パラレルです

緩やかな湿気を纏った夜道を、綱吉は洗濯物を抱えて歩いていた。

疎らな外灯で薄暗い道の中に、一際明るい小さな建物が見えてきた。

安っぽい蛍光灯に古びた壁で、建物の中には同じくらいくたびれた洗濯機が並んでいる。


綱吉はここに入る時いつも躊躇う。


だって壊れかけた洗濯機が、がこんがこんと音を立てて、
時折思い出したように大きな音を鳴らすから、心臓が飛び出そうになるのだ。

人見知りの綱吉だが、夜ここにいる時は
例えそれが誰であれ、同じ建物の中にいて欲しいと思ってしまう。

思い切って足を踏み入れて、
片隅の椅子に腰を下ろしている長い足が視界の端に入ったから些かほっとした。

その足は見覚えがあって、数日前に来た時に同じ足を見た。

けれどそちらには極力顔を向けないようにして、
洗濯機を開けてから慌てて閉じた。

中には乾燥まで終えただろう明らかに女性物の衣服が入っていた。

頬を染めながら隣の洗濯機に手を掛けた時、不意に声が掛かって
驚いて手を跳ね上げてしまった。

「ぜんぶ埋まっていますよ。僕もさっきから待っているのですが
一向に誰も取りに来ません。女性の物のようなので迂闊に出せませんしね。」

溜息交じりで、それでも優しい声に綱吉はまた少し頬を赤くして
少し俯きがちで振り返るとそうですか、と小さく返した。

「ここまで待ったらもう少し待ってみようと思いながらもう一時間経ってしまいました。」

苦笑いを滲ませる声に、綱吉は何故か酷く安心した。

(一時間、か・・・)

そこに座っている男性が一時間待ったと言うなら、
いい加減そろそろ誰かしら衣服の持ち主が現れてもよさそうだ。

「・・・。」

昨日とおとといは雨が酷くて、とてもじゃないけど怖くてここへは来られなかったから
洗濯物は溜まっている。

「どうぞ。」

洗濯物を抱えたまま逡巡していた綱吉に、男性が席を少し詰めてくれた。

どういう訳かこの人の声はとても安心出来るので、勧められるまま椅子に腰を下ろした。

座ったはいいけれど、どうしよう。

見ず知らずの人と二人きりなんて本当は嫌だし、いつもなら何を言われてもきっと帰っていた。

どうしよう、と手持ち無沙汰に視線を彷徨わせてから、
目の前のテーブルに無造作に放られている雑誌に目を落とした。

どれもすべて古くて湿気を吸っていて、でもその中に星空が表紙の外国の雑誌があって思わず手に取った。

「僕の家の洗濯機は壊れてましてね。」

「え、あ・・・!」

不意に掛かる声は驚くけどでも、とても優しい。

「仕事に追われているとつい忘れてしまって、いつも洗濯をする時になって思い出します。」

綱吉はひとつ頷いた。

分かる気がする。

もっとも、綱吉はまだ学生なので仕事に追われる気持は分からないけど、
使う時になって忘れていた事を思い出す気持ちならよく分かる。

「君の家の洗濯機も故障を?」

「え、あ・・・」

柔らかい問い掛けに綱吉はぱちぱち瞬きをして頬を淡く染めた。

「あ・・・俺は・・・買うの忘れちゃって・・・」

「え?」

「ああ、あの、家族で引っ越した事は・・・あるんですけど・・・
一人暮らしは初めてだから、その・・・つい。」

「なるほど。勝手が分かりませんからね。」

「そう、なんです・・・」

くす、と柔らかく笑う声に、また少し安心した。

「・・・星、好きですか?」

「え・・・!?あ・・・!」

柔らかく問い掛けられたのに驚いてしまって雑誌を落としそうになったが、
頬を赤くしながら、何とか頷いた。

「そうですか。それなら暇潰しに。」

「え・・・!」

不意に手元が暗くなり、電気が落とされたのだと分かった。

驚いて電気のスイッチに手を伸ばしていた男性に目を向けるが
振り返りそうになったので綱吉は慌てて俯いた。

「あ・・・!」

視界に光が灯って、顔を上げてから綱吉は更に目を大きくした。

「すご、い・・・」


暗くなった天井に、繊細な光の星が散っていた。


綱吉はきらきらと目を輝かせて見上げて、その口元は綻んでいた。

「それ、あ、そんなに小さいんですか・・・!?」

男性の大きな掌に控え目に乗っていた小さなプラネタリウム。

本当に小さくて、鞄にでもつけられそうで綱吉は頬を紅潮させて大きな掌を覗き込んだ。

すぐそこで小さく笑った吐息が聞こえて綱吉は慌てて元の位置に戻った。

カチリ、と切り替えの音がして、
「天の川・・・」
綱吉は嬉しそうに声を上げた。

古びた天井を忘れてしまうほどの光の粒子が天の川を描いている。

「ここに、星の名前を入れようか迷っているのですが、君はどう思いますか?」

「あ・・・」

光の星が散らばる。

その中に星の名前があったらきっととっても嬉しい。

でも、

「・・・このまま、が綺麗・・・です。」

やっぱり?と柔らかい声が返る。

「決めかねていたので助かります。」

綱吉ははっとしてから、恥ずかしさで少し俯くが、またそろそろと視線を上げて星を眺めた。


綱吉の部屋にも、同じようなプラネタリウムがある。


それは男性の掌にあるものよりも、もう少し大きい。

けれど壊れてしまって、電池を替えても動かなくなっていた。

直そうにも既製品ではないので、どこへ持っていっても駄目だった。

それでも綱吉は、そのプラネタリウムを捨てずに大切に取っておいている。



優しい想い出が、詰まっているから。



「俺の部屋に・・・同じようなものがあるんです・・・」

「え?」

綱吉は長い睫毛を伏せて小さく微笑むが、どこか寂しく睫毛を揺らす。

「もう壊れちゃってるんですけど・・・昔、泣いてばっかりいた俺に作ってくれた人がいて・・・
いつも優しくしてくれて・・・隣に住んでた、」

言葉を区切り、淡い記憶をなぞっていって、綱吉は目を見開いた。

「お兄さん!?」

辿り着いた答えに横を向くと、面影を残した色違いの瞳が優しく笑った。

「はい。」

綱吉はうわああ、とか細い声を上げて耳まで赤くすると、
椅子の上に足を乗せて膝を抱えて小さくなった。

「こ、この間もいたよね・・・?」

「はい。素通りされて悲しかったです。」

揶揄する声に綱吉はまたわあああ、とか細い声を上げた。
丸い頬が真っ赤に染まる。

「留学、終わったんだ・・・って、そうだよね・・・」

「はい。向こうでどうしても就職しなければならなくなって我慢してましたが
やはり日本がよくて無理を言って帰って来ました。」

「そう、だったんだ・・・」

「帰って来たら隣が綱吉の家ではなくなっていたので驚きました。」

「う・・・ごめん。連絡しようと思ってたんだけど・・・」

綱吉はジーンズのポケットから財布を取り出すと
中から小さなメモ用紙を出した。

「おや、まだ持っていてくれたのですか?」


綱吉は掌の中の小さなメモ用紙の中に書き綴ってあるアドレスを見詰めた。
何度も手紙を書こうとして止めていた。

「うん・・・連絡しようと思ってたんだけど、恥ずかしくて・・・
時間が経てば経つほど・・・もう俺の事なんか覚えてないだろうなって思って、」

「そんな事、ないのに。」

綱吉は染まった頬にふわふわと睫毛を落とした。
柔らかい空気が、落ちてくる。

「・・・今でも、人の顔を見るのが苦手ですか?」

「うん・・・恥ずかしいけど、そうなんだ・・・」

綱吉はスニーカーの爪先を眺めて、それから小さく呟いた。

「お兄さんの顔は、よく、見てたんだけど・・・・」

星のような色違いの瞳がぱちりと瞬いたのが分かって、
綱吉はかあ、と頬を染める。

「あ・・・、あの、ごめんね。本当は、声を聞いた時に気付かなきゃいけなかったのに。」

「いいえ?君の声が変声期を経て変わったように、
僕の声もまた少し、変わったでしょうから。」


柔らかい声はあの日のまま、その瞳の優しさも、その存在の優しさも。


「だから、顔を上げて?」


優しい声に導かれるように顔を上げて、見上げた先の星よりも綺麗な瞳が微笑んだ。


「ちゃんと、僕を見て。」


小さなプラネタリウムの中で、壊れかけた洗濯機ががこんと鳴った。


でも今は、壊れていてよかったと思った。



だってそうじゃなきゃ、心臓の音が、届いてしまいそうだったから。






09.07.05
綱吉の初恋。


七夕が近いので七夕のように織姫と彦星が再び出会うような、
むく兄たんが綱吉を探しあてたような。

・・・私が骸を書くとどうしてもストーカーになるような。