言われた通り防犯システムのスイッチを入れて鍵を掛けてから、綱吉は坂を下りた。心成しか速足なのは下り坂のせいにする。
最寄りの駅は夜とは様子が違い、それ以上に綱吉は待ち合わせの場所を頭の中で確認するのに忙しくて、つい先日のことを思い出す余裕がなかった。
改札を通るとちょうど電車が滑り込んで来て、少し小走りで乗り込む。
車窓一杯に広がる海を何となく見ながら、これから骸と会うと思うと綱吉はどうしてか叫び出したい衝動にも駆られた。
無事乗り換えをして目的の駅に着く。慎重に出口を確認して階段を下りて行く。
(南口を出て…)
大きな改札を出る前にもう一度標札が南口になっているか確認してから出る。
(改札を背にして右側…)
人の流れもさほど大きくなく券売機を尻目に右に曲がる。
構内を出てバスのロータリーが見えて来ると、大きな時計台があった。
(あ、あった)
待ち合わせ場所を確認出来て綱吉は心底安心してへにゃっと笑ったが、一人だと言うことを思い出してすぐに顔を引き締めた。
綱吉は携帯も持ってないので無事に会えなければ待ちぼうけになってしまう。
ひとまず安心出来たので、辺りをきょろと見渡した。
ここが見える位置にファーストフード店があったのでそこに入って時間を潰すことにした。もう一度駅の構内に戻ってフリー冊子の求人誌を何冊か持って行った。これであと一時間くらいなら潰せるし、仕事も少し探せる。
綱吉は窓際の席に座って時計台が見えるのを確認すると、冊子を開いた。
(…とりあえずバイトしながら正社員探すかな…早く出て行かないと迷惑だろうし…)
そう思ってふと睫毛を揺らした。
溜息を落としそうになって我に返った綱吉は、誤魔化すようにポテトを口に入れた。
ゆるゆると噛み進めて視線を上げて、綱吉は固まった。短くなったポテトがぽろりと落ちる。
時計台の下に見覚えのある人がいた。
背が高くて目鼻立ちまで目立つその男は間違いなく骸だった。
まさかもう一時間経ったのかばっと時計台を見上げると店に入ってからまだ5分程度しか経ってない。
もしかして待ち合わせ時間を間違えて覚えていたのかと不安になったとき、骸が綱吉に気付いた。
硝子越しに目が合って綱吉は慌てて出ようとしたのだが、意外にも骸が歩み寄って来て、店の中に入って来た。
自動ドアが開くと冷たい風が足元を抜ける。
冷たい風を纏って近付いた骸を、綱吉は薄く口を開いて見上げている。怒るでもない骸の表情がかえって綱吉をじわじわと不安にさせた。
「あれ…オレ…時間間違えてた…?」
骸は怪訝に眉根を寄せる。
「いえ、別に」
「ああ…よかった…って、お前早くない!?」
「君こそ早いですよね」
言って綱吉の手元に視線を落とすと、ああ、と納得したように言った。
「仕事探してたんですか」
「へ…!?え、あ、ん…そう、そうだよ、そうそう」
実際仕事を探すのは後付けの理由で本当は落ち着かなくて出て来たので、綱吉が妙な低さで肯定すると骸はまた眉を顰めた。
「…まぁ座れよ」
誤魔化して隣の椅子をばんばん叩くと、骸は素直に腰を下ろした。そしてトレーを覗き込んでこう言った。
「ああ。ここはハンバーガーショップですか」
綱吉は文字通り目が点になった。
ハンバーガーショップ
世界中に支店を持つ大手ファーストフード店は、恐らく知らない人はいないだろし骸くらいの年代なら馴染みのあるものではないのだろうか。愛称だってたくさんある。
それを「ハンバーガーショップ」
更に言うなら「ハンバーガーショップ」と言う言葉を使う人間がいたという驚き。
けれどそこで綱吉は思い至った。骸を取り巻く環境は、自分とは違うのだ。
「…まさか来たことない?」
骸は少し考えるように視線を少し上げた。
「…小さい頃に来たかもしれませんが、覚えてないですね」
「多分それ来たことない!」
きっぱりと言うと骸は妙なものを見る目をした。
骸の環境なら小さい頃に両親がわざわざ連れて来るとも思えない。綱吉は骸のへんてこな顔を見てうん、と力強く頷くと席を立った。
「小腹空いてない?」
「…言われれば少し」
綱吉はまた力強く頷いて迷わずカウンターに行った。
ベーシックなセットを注文してせっかくなので飲み物は炭酸飲料にした。油っこいものには合う。
怪訝な顔をしている骸は綱吉を目で追って、席に着いてもじろじろと見ていた。綱吉は骸の前にトレーを置くと、食べてみろと真摯な顔で言うので、骸はやっぱり怪訝な顔のままポテトを口に運ぶ。
二人は真面目な顔でお互いの目を見ながらもぐもぐと食べているので、傍から見たらちょっとおかしい。実際店員たちがヒソヒソしている。
「美味しいだろ?」
「シンプルでいいですね」
自分で訊いておいて何だが、意外過ぎる反応に綱吉は肩透かしを食らった気分になったが、すぐに嬉しそうにうんと頷く。
二人で求人誌を覗き込みながら、少し早目の昼食を終えた。
自動ドアを抜けて外の空気に少し身震いをすると、数歩先を歩く骸に急いで追い付く。
「なあ、これから何するんだ?」
骸は歩きながらちらと綱吉を見下ろす。
「服、いるでしょう?」
「へ!?」
綱吉は反射的に今自分が着ている服を押さえた。
「まさか毎日同じ服を着るつもりでしたか?臭いそうですよね、もう臭ってるんじゃないですか」
「何だと!」
眉を吊り上げる綱吉を他所に骸はショッピングモールへすいすい入って行くので、慌てて着いて行く。
かと思ったらいきなり海外ブランド店に入って行くので綱吉は慌てて止めた。
「ちょ、待て…!こ、こんななぁシャツ一枚何万もするような」
「十何万ですね」
「そうそう、十何万えええええ!!!!」
入り口で絶叫した綱吉を、店員さんたちが見守るような目で見てくすくす笑っている。
綱吉は居た堪れなくなってすみませんとごにょっと言って骸を引っ張って行った。骸が怪訝な顔をしているのがまた腹が立つ。
「あのなぁ、今オレの全財産はお前に借りた一万だけなんだぞ。あんな高価な服買ったって、お前に返し切れるか分からないだろ!」
「は?」
「は?ってなんだ、は?って!」
綱吉がぷんぷんしている前で骸は瞼を半分落とした。
「別にいいですよ」
「何が」
「返さなくて」
「はああああああああ!?!?」
絶叫は木霊する。骸は瞼を半分落としたまま耳を塞いだが、通行人は驚いた様子で二人をじろじろ見ていくので、綱吉はまたすみませんとごにょごにょした。
「馬鹿!そんな訳にはいかないだろ!元を辿ればそれは親御さんのお金なんだし!」
「馬鹿に馬鹿とは言われたくありませんね。それに、僕は親に一切お金は貰ってません」
綱吉は骸と同じように瞼を半分落として笑うと、「またまた〜」と骸を肘で小突く。その肘を遠慮もなく払い落とした骸はまた更に半分瞼を落とした。もうほとんど一本線だ。
「僕の描く絵、売れるんです。高値が付いてもせいぜい3桁ですけど」
綱吉は顎が外れるんじゃなかっていうほど口をあんぐりと開けた。
描いた絵に値段が付くなんて誰でも出来るものではないし、骸は大したことないように言ってるけど3桁なんてそれこそ付かないだろう。
馬鹿じゃないですかと言い捨てる骸の方がある意味馬鹿なんじゃないかと思う。こういうのを世間知らずと言うのだろうか。
「でもそれとこれとは別問題だ!オレはちゃんと返す!!」
きっぱりと言い返すと骸は何だか間の抜けた顔をした。綱吉も釣られて間の抜けた顔になる。
「普通なら飛び付きそうなものですけど」
「へ!?」
「分かりましたよ。それなら少しずつでいいので返してください」
「うん…!分割助かる!」
言うと綱吉はほっとして笑顔になるので、骸はどこか呆れたような諦めたような吐息を漏らし歩き出した。
「次回からね」
「え?」
「今日の分は返さなくていいです」
「ちょ、お前いてててへ」
ぎゅうと耳を引っ張られて、綱吉は涙声になった。骸は些か伸びた綱吉の耳元に口を寄せる。
「言う事を聞かないと摘まみ出しますよ!」
困るでしょう?と骸は勝ち誇った笑顔で綱吉を隅に追い遣り、追い詰める。
「…こ、こまります…」
綱吉は隅っこに体をぎゅうぎゅうと押さえ付けられて縮こまり、観念して呟く。だって本当に困る。
そうでしょうそうでしょうとご満悦になった骸はようやく綱吉の耳を解放した。そして綱吉のコートの袖をぐいぐいと引っ張って歩き出した。
「ではもう文句はありませんね」
「でも、そんなに要らないからな…!」
「臭うのは御免なので好きにさせて貰いますね」
「ちょっとは人の話聞けよ…!って言うか臭わないし!」
ブランド物は何とか避けさせて身近なショップに誘い込むことには成功したのだが、骸はそれこそ「ここからここまで」というような買い方をしようとするのでそれを止めるのも大変だった。
何か言えば臭う臭うと言うので店員さんが綱吉からちょっと顔を遠ざけたのも致し方ないとは思うもののちょっと涙目になりそうだった。
何とか買い物を終えていざ会計になったとき綱吉はもうぐったりだった。
骸はレジに向かう途中何かに気付いてふと足を止める。
萎びた綱吉の俯く視線の中に骸の足が入り込んだので顔を上げると、ふんわりと耳が温かくなった。
「君、いつも耳が冷たいですよね」
骸が綱吉に着けたのは黒くてふわふわした耳あてだった。
耳が温かい。見上げると骸は一度瞬きをしてから、眉をハの字にしてくふっと吹き出した。
完全に馬鹿にした顔だ。
「似合ってますよ」
「え…!」
「似合い過ぎて笑っちゃいますけど」
言ってる傍からぷぷと笑うので頭に来たし、結局褒められているのか貶されているのか全然分からない。似合うと言われてちょっとどきっとしてしまったことを記憶から抹消したい。
けれど骸は店員に着けて行くので値札切ってください、なんて大人っぽく告げている。
「…」
なので綱吉は(まあ、似合ってるならいいか…)と前向きに思うことにした。
毛並みのいい耳あてはとても温かかった。
まだ明るい歩道をカップルに混ざって歩く。
すぐそこまで海の香りがしていた。船の汽笛が聞こえる。
「…でも正直こんなにして貰っていいのかなって思うよ」
大きな紙袋を肩から提げて、綱吉は素直な気持ちをぽつんと呟く。
「…責任取れと言ったのは君ですよ」
骸もぽつんと返す。
「う…まあそうだけどさ」
「だったら早く仕事見付けてください。まあ死ぬのを手伝って差し上げても構いませんけどね」
「本当に鬼だないへへへへ」
少し冷え始めた頬をぎゅうと摘み上げられて綱吉は涙目になったけど急にへらっと笑ったので、骸は気味悪がって手を離した。
「何なんですか」
「いや〜」
綱吉はへらっと笑ったまま頬を擦った。
「オレさ、こうやって話せる人いなかったから…うん、だからお前といると楽しい」
ぴったりと足を止めてしまった骸を追い越してから、綱吉ははっとして振り返った。
「言っておくけどな!ホモ的な意味じゃな、」
けれど振り返った綱吉は動きを止めて、言葉さえも止めてしまった。ただ瞠目して薄く口を開く。
骸の口元はマフラーに隠れてよく見えなかったけど、薄く逆光に陰った頬は、それでも淡く染まっていたのだ。
どこか泣き出しそうな色違いの瞳はゆらゆらと揺れて綱吉を見ていた。
喧騒も遠くにただ見詰め合っていた。
人の波に緩くぶつかった骸はふと我に返って、少し速足で綱吉に近付くと肩に掛けていた大きな紙袋をほとんど押し付けるようにして綱吉に渡した。
「…僕はもう戻る時間なので」
「え、あ…」
ありがとう、と言った言葉は骸の背中にしか届かなくて、骸はそのまま人の波を擦り抜けて行ってしまった。
綱吉は一人でぼんやりとその背中を見詰めていて、耳あての下で耳がじんわりと熱を帯びるのを感じた。
「な、んだよ…その反応…」
小さくなった骸の背中に思わず呟く。