逃げて帰るような気持ちで帰りの電車に乗った。
こんな時間だから下りの電車はガラガラで、綱吉は大きな紙袋と一緒に座席に腰を落とした。
眩しい光が海に反射して車内を緩く照らす。

「…」

別れる間際の骸の顔を思い出して、綱吉はじわと頬を染めると慌てて首を振った。

(な、何なんだよあいつ…!)

最寄の駅を降りて無駄に坂道を駆け上がる。
途中息が切れて苦しい呼吸を繰り返しながらすごすご歩くけど、やっぱり骸の顔を思い出すと駆け出してしまう。

「あああ…!もう!!」

思わず叫ぶと丁度人がいて視線がとても痛かったので、へへと中途半端な笑顔を浮かべて誤魔化した。きっと誤魔化しきれてないけど。
逃げ込むように門に飛び込んで家に駆け込む。セキュリティーの解除を忘れていて大きな音にびくんと飛び跳ねた。
慌てて教えられた通りに解除してほっと一息吐くとまた骸の顔を思い出してうわあ!と叫んだ。

(いやいやいやいや)

綱吉は懸命に首を振って気を逸らすために求人誌を開いたが逆さまだった。でも気付かずに眉をきゅっと上げたまま眺めている。
そしてふと時計を見て目を見開くと、慌てて家を飛び出した。

凪のお迎えを頼まれていたのだ。

幸い5分前に気付いたので間に合うだろう。綱吉は今さっき上って来た坂道を駆け下りる。
坂を降り切ると、ウサギの形をしたスクールバスが丁度停留所に止まったので、ほっと息を吐いてゆっくりとスピードを落とした。

開いた扉から園児達が降りて来て、同じ様に手摺に掴まりながら降りて来た凪は綱吉を見付けるとぱたぱたと走り出した。そしてぎゅっと足に抱き付く。

「お帰り、凪ちゃん」

「ただいま」

走って来たので未だに呼吸が荒い綱吉をお母様方が些か不審な目で見ている。聞かれてもないのに言い訳したら余計怪しいから、綱吉はちょっと泣きそうになった。

「あらいいわね、凪ちゃん。お兄さんのお友達?」

気を取り直して話し掛けてくれた女性がいて綱吉はほっとして、凪が緩く首を振ったのに気付かなかった。

「…お友達じゃないの?」

一気にトーンが落ちた声に不審者じゃない!と叫びそうになったが、その前に凪がぽつと呟いた。

「ペット」

ぎちりと空気が固まったのが分かって、綱吉もがっちり固まった。

子供は正直だとよく聞く。お母様たちはそれは身を持って知っているだろうし、結婚・出産という経験を経た女性なら「お兄さんのペット」という言葉に何かしら性的なものを感じたり、犯罪の臭いを感じてしまっても致し方ないことかもしれないけど嫌過ぎる。


もしくは奴隷的なもの。


どれも絶対に嫌だ。

「な、凪ちゃんは冗談が上手いな〜!」

アメリカ仕込み?とよく分からないことを言いながら青くなった顔でへらへら笑ってみせると、お母様たちもそうよね〜ペットじゃないわよね〜お友達よね〜なんて乗ってきてくれて助かった。

ほっとしたが凪が首を振ったので、綱吉はまた青褪めた。そして止める間もなく凪は言った。

「骸さまの恋人になる予定の人…」

綱吉は絶句した。

ぎっちりと空気が固まって、その場にいたお母様たちも幼稚園の先生も果てはバスの運転手まで、一斉に綱吉の顔を見て喉元を見て胸の辺りを見て、そしてとうとう視線は下半身に落ちた。

恐らく顔を見たがどちらとも取れる顔立ちだったから喉仏を見たがマフラーで見えず、胸を見たがコートで分からず、そして最終的にそこへ辿り着いたのだろうけど、残念なことにそこも服の上からでは分からない。

でもみんながあまりにもじっと見るので、綱吉は居た堪れなくなって思わず膝を寄せて頬を赤くする。

「ああ!そ、そうだ…!凪ちゃん、オーナーさんがね、わざわざおやつにプリンを持って来てくれてたんだよ!早く帰って食べよう!」

こくんと頷いた凪を攫うように抱き上げて「じゃあそんな訳で」と些か声をひっくり返させながら逃げる様にその場を去った。

背後の静けさと視線が痛い。きっとこの後綱吉は女なのか男なのかホモなのか何なのか激論になることだろう。

急ぎ足で坂道を上る。早くその場を離れたくて視線が坂の上の青空ばかりに向いている綱吉の頬を、凪は小さい指でつんつんしたりふにふにしたりしている。そしてぽつんと言った。

「ほっぺ、まっかっか…」

凪の言葉に綱吉は更にかあと頬を熱くした。

「いや、あのね、こ、恋人っていうのは、男同士じゃなれないんだよ?勝手にそんなこと言ったらお兄ちゃん困っちゃうよ」

「私ね」

「うん?」

「骸様がホモでもいいと思ってるの」

「ホモおおおおおお!?!?!?」

思わず絶叫してしまうと、前を歩いていた人が怪訝な顔で振り返るので、綱吉も一緒に振り返って誤魔化した。誤魔化しきれてないと思うけど。
綱吉は赤い頬をそのままに、自分を落ち着かせるためにひとつ咳払いをした。

「…お、お家に帰ってからゆっくりお話ししようか」

凪がこくんと頷いた。



朝食と一緒に配達されていたおやつ用のプリンを出して、二人でいただきますと言ってから綱吉は口を開いた。

「あ…あのさ、骸はホ、ホモじゃないと思うよ…さんざんオレに違うって言ってたから」

「ツナ君はホモなの?」

「違うよ…!?オレもホモじゃないからね…!」

幼稚園の子に向かってこんなにホモを連発していいのか躊躇いながらも、骸への誤解もきちんと解かないとという使命感に駆られる。
凪がスプーンを止めてその大きな瞳を伏せてしまったから、綱吉ははっとした。

「…どうしてホモでもいいと思うの?」

いまいちシリアスになりきれない台詞に少し悲しい気持ちになりながらも、綱吉は心配そうに凪の瞳を覗き込む。
硝子玉のような瞳がゆらゆら揺れる。

「骸様は家族には優しいけどあんまり他の人が好きじゃないの…」

「あー…」

そういえば人と接するのが好きじゃないから人が寄って来ないのも才能などと言っていたことを思い出した。愛想笑いはしないし、拒絶こそしていないが受け入れてもいない雰囲気はある。

「ホームパティーにお呼ばれしてもさっさと帰っちゃうし」

「ホームパティー…」

世界が違い過ぎるのでいまいちピンとこないが、ここの家のリビングもリビング?と首を傾げたくなるくらい広いので、なんとなく想像は付く。

「そこで綺麗な人に話し掛けられても死んだ魚の目みたいになってどっか行っちゃうの」

死んだ魚の目という表現に骸の顔を当て嵌めてぶっと吹き出してしまったが、慌てて口を抑える。

「贅沢だね…」

今度は綱吉が死んだ魚の目のようになって思わず本音をぽろと言うと凪はうんと頷いた。

「そうだよね。贅沢だよね…」

凪はもう一度うんと頷く。

「でもだからって、骸がホモとは限らないよ?オレに濡れ衣をかけてまで否定してたから」

凪を安心させようとしたが、ホモを心配していたのではなかったらしく凪は小さく首を振った。

「骸様に恋人を作って欲しいの」

「え…!」

おませな言葉にどきっとしてしまって、だからさっきそんなことを言ったのかと納得いったが、だからと言って「オ、オレが恋人になるのはおかしいよ…!?普通女の人が恋人になるんだから!」

凪は強い否定を込めるように首を振った。

「骸様はツナ君のこと気に入ってる」

別れ際の骸の顔を思い出してしまってぼんと顔を赤くしたが、綱吉は慌てて首を振った。

「や…!あのね…!仮にだけど万が一だけど…!気に入ってたとしてもそれは友達としてだよきっと!」

凪はきゅっと眉尻を上げた。

「性的なものを感じる」

「ちょお…!!!!!!!!」

綱吉は白目を剥きそうになった。

「だ、駄目だよ…!そんなこと言っちゃ…!!」

凪はいつも通りの顔をしてほよんと綱吉を見上げた。心臓をばくばくさせながら綱吉は凪の視線を受け止め、見つめ合ったまましばし間が空いたが、凪はほよんとした表情のまま口を動かした。

「性的な」

「駄目だってば…!!」

大袈裟なほどに手を振って、凪の口が閉じるようにプリンを救ったスプーンを差し出す。凪はぱくんとプリンを食べてからスプーンを受け取った。
凪がもぐもぐして口を閉じているので一安心して綱吉もプリンを口に運んだ。柔らかなバニラエッセンスの香りに何だか胸が締め付けられる。

「分かった。じゃあオレが骸の友達になるから、ね?」

凪は首を振った。

「友達じゃ駄目なの。恋人の方が骸様は成長出来ると思うの」

女の子は本当に大人っぽい。骸を子供扱いしてしまう辺り凪は特別大人過ぎると思うけれど。いや、骸はちょっと子供っぽいところがあるから否定しないけど。

「骸様は本当はとても優しいのに、みんな知らないから…」

しゅんとしてしまった凪に、綱吉も胸が痛くなった。凪なりに骸を心配しているのが凄く分かる。

「ツナ君は骸様が初めてお家に連れて来た人なの。だから骸様はすごくすごくツナ君のこと気に入ってる」

大きな瞳が期待を込めてキラキラと見詰めている。
ああなるほど凪が期待を込めた眼差しで見てくるのはそういうことだったのか、と初めて合点がいった。

「で、でも気に入ってるからって恋人には、なれないんじゃないかな〜…」

様子を伺うように言うが凪の心には響かないらしい。期待を込めてキラキラと綱吉を見ている。

「私、ホモでもいいと思う」

凪のキラキラとした瞳に、綱吉は思わず顔を手で覆ってしまった。

不意に玄関の開く音がして「ただいま」と骸の声がしたから綱吉は思わずどきりと心臓を跳ね上げた。
凪はスプーンを置いておもむろに時計を見上げた。

「今日早い…」

ぽつんと言って凪はぱたぱたと玄関に駆けて行った。綱吉も反射的に立ち上がろうとしたのだが、出迎えに行くのはおかしくないだろうかと余計なことを思ってしまって、そうしたらまた別れ際の骸の顔を思い出して不自然な位置で止まってしまった。

意識しないようにしてたけど、心臓が少し煩い。

二人分の足音が近付いて来る。綱吉はとうとう立ち上がろうとしている不自然な格好のまま骸を迎えてしまった。
当然「何してるんですか」と淡々と突っ込まれる。

「え、っと…ねぇ」

骸の足元しか見えない。どうしても顔を上げることが出来なかった。

「ちゃんと帰れましたか?」

予想外な言葉に綱吉ははっとして思わず顔を上げたけど、骸は眉をハの字にして完全に馬鹿にし切った笑みを浮かべている。はっとしてしまった自分をぶっ飛ばしたかった。

「帰れるに決まってるだろ!あ、って言うかお前の分のプリンないからな」

ふふん、と勝ち誇った笑顔で言ってやるが骸の失笑を買っただけで何の腹いせにもならなかった。むしろ腹が立った。

「じゃあ私の食べてください」

「いいんだよ凪ちゃん。ぜんぶ食べな。何ならオレのも食べていいからね」

「駄目ですよ。こんなのと半分こしたらバイ菌が伝染りますからね」

「何だと!」

掴み合いをしていると凪が嬉しそうににこにこして見てくる。綱吉は思わず手を離してじわと赤くなった顔を手で覆った。その横で骸が綱吉のプリンを食べ始めていた。

ああ、こんなに言われたら、意識してしまうじゃないか。
 


凪が寝付いた後は当たり前のように骸の部屋に行った。この家は広過ぎるので一人だと耐えられない。

昨日の夜は骸も寝室ではなく綱吉と同じ部屋のソファで寝ていた。見せて貰ったけど隣の部屋に立派なベッドがあるのに、と思ったけど、そんなこと言って一人にさせられたら嫌なので口を噤むことにした。

今日も絵を描く骸の傍で毛布に包まっている。

「そうだ。オレ明日面接行くから」

「…え?」

「え!?」

不機嫌に眉根を寄せるという骸の予想外の表情に、綱吉は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。今日はいつもより心臓が騒がしいので今も意味も分からずどきどきしている。

「だ、駄目なのか…?」

骸がいつまでも眉間に皺を寄せて何も言わないので、居た堪れなくなった綱吉はそろりと口を開いた。骸はふと瞬きをすると素知らぬふりで筆を置き、ゆっくり立ち上がった。

「別にそんな訳ないでしょう。それで、どこですか?」

「へ!?え、あ、昼間一緒に見てたところだよ」

骸が歩み寄って来るので慌てて求人誌を開いた。折り目をつけていたのですぐにページを開いて、骸に差し出すと正面に座って覗き込んできた。

「ああ。ここから歩いて行けるところですね」

「そうそう。近い方がいいかと思って」

「まあそうですね。通うなら近い方がいい」

「だよな」

同時に顔を上げてしまって思っていた以上に距離が近くなる。実際にはそんなことないのだけど、鼻先がくっ付いてしまうんじゃないかとさえ思えてしまった。

二人はとても近い距離で目を丸くし合って、その後ふいと顔を逸らした。

(うわああ…ああ)

顔を逸らしたはいいけど頬が赤くなっていくのが分かる。

(なんかオレ変だよ…!)

男相手何赤くなっているんだと思うが、心臓の速さは増していくばかりだ。骸はそのまま立ち上がって元の位置に戻って行った。
骸の方をちらと見るが口元が視界に入っただけでその上に視線を向けられなかった。まさかとは思うものの、昼間の顔がどうしても脳裏を過る。

不意に電話のベルが鳴り、綱吉はどきっとして目が覚めた思いをした。

じりり、と随分古いベルの音の中で、綱吉の心臓もとくとくしている。少し間が開いて一息吐いたとき、骸が口を開いた。
「出て貰っていいですか。筆を止めたくないので」

「って言うかお前さっき凄い止めてたけどね…!?」

言ってみても骸はツンと綱吉を無視して筆を動かしているので、綱吉は戸惑いながらも電話に手を伸ばしたが。

「ど、どれ…?」

じりりりとけたたましい音がするが、それらしきものがない。あるのはアンティークの繊細な電話だけだ。

「それですよ、それ。目の前にあるじゃないですか」

「な…!?使ってるのかよ!」

「早く」

色んな意味を込めてくそ、と呟くと電話を手に取った。華奢なデザインなので折れてしまいそうで怖い。

「はい」と言った後、息を飲んで「ろ、六道です…」と頼りなげに言う。耳先がじんわりと熱くなるのが分かった。
骸は手を止めて綱吉の背中に視線を向ける。

綱吉はすぐにぱちりと瞬きをすると慌てた様子で「はい!」と姿勢を正すので、骸は怪訝に眉根を寄せた。

「はい、あの…え!?…あ、そうですそうです、はい!あー…明日は多分大丈夫だと思いますが…あ、オレですか?オレは六道君の友達です…あ、そうです、はい、看病です」

骸はますます眉間の皺を深くした。

「はい、おやすみなさい、失礼します。あ、はい、伝えておきます。失礼します」

ちん、と受話器を置いてひとつ息を吐くと、綱吉は視線をうろうろさせながらゆっくり振り返った。その頬は心成しか赤い。

「誰ですか?」

「あー…大学の教授」

骸の指先がぴくと動いたのが分かったが、綱吉は俯いたまま視線を上げることが出来なかった。

「お前…一限の途中で帰ったんだってな…だからあんなに早かったんだな…」

口にするとむずむずと恥ずかしくなってきて、明確な答えも貰えないだろうけど、それでも口に出さずにはいられなかった。

「珍しく落ち着きなかったしその後の講義も欠席だったからって心配してたぞ…休んだことなかったんだって…?」

骸は口を噤んでいてうんともすんとも言わない。でも綱吉だって顔を上げられない。今お互いにどんな顔をしているか分からないけど、綱吉は自分の頬が赤いのは自覚出来た。だから骸にも顔を上げて欲しくなかった。

けれど沈黙が落ちるのに耐え切れなくなったのは綱吉だった。

「あー…漏らしてたみたいですって言えば良かったな…今度言ってやろいて!」

飛んで来て綱吉の頭に当たったのは消しゴムだった。骸がいつもの憮然とした顔で綱吉を見ているのでどこかでほっとして毛布に戻った。
それでもどこか落ち着かなくて、瞼だけを持ち上げてちらと骸を見る。何食わぬ顔で筆を動かしている。

うろうろと視線を彷徨わせてからまたちらと様子の変わらない骸を見上げる。

誤魔化すように手元の求人誌に視線を落としてまたちらと骸を見ると、骸が怪訝な顔で綱吉を見ていたので思わずびくっとなった。

「何ですか?」

「え!?あー…か、彼女とか作らないの?」

言ってからはっとした。ますます気まずくなるような質問で、案の定むずむずするような沈黙が落ちた。

「…何でそんなこと」

「え!あ、…何でかって…」

「…」

「…」

骸も綱吉も中途半端な言葉を紡いだっきり黙ってしまった。
耳先が染まる音が聞こえる気がする。

「へ、変な意味じゃないけど…」

沈黙を破ろうとしたのに墓穴を掘ってしまった。言えば言うほど変な意味のような気がしてくる。

綱吉は抱えた膝の上に顔を埋めて寝たふりをしてみたけど、不自然だから絶対誤魔化せてないと思う。


骸は今日も同じ部屋のソファで寝てた。


2011.2.9