改札を出てすぐのベンチに並んで腰を落とした。ひんやりと冷たいプラスチックのベンチはすぐに熱を伝導した。
温め合うように体を強く寄せる。骸の腕が綱吉の肩をゆっくりと抱いた。どきりと鼓動が鳴る。

膝に置いた手に骸の手が重なってまた少し泣きそうになる。

「傷付けるつもりではなかったんです…ただ」

骸は少し言い難そうに言葉を詰めてから観念したように睫毛を伏せる。

「ただ、嫉妬を…」

骸の言葉にかあと頬を熱くして綱吉は慌てて俯いた。

「な、何言ってるんだよ…!考えてもみろよ、オレだよ?そんな…相手にされる訳ないだろ…」

語尾に被せて骸が緩く首を振るので綱吉は目を見開いた。

「そんなことはありません。笑ったり泣いたり、怒ったり…表情が豊かで君は、魅力的だから…」

骸が睫毛を伏せたまま少し言い難そうにしているのが妙に現実的で、決して冗談で言っているのではない事は、綱吉でも分かってしまう。
強く打つ鼓動が痛くて、幸せの鼓動の中には痛みも入っているのだと骸の横顔を見ながらそんな風に思った。

骸が素直に気持ちを教えてくれたのだから、綱吉も言わなければならない事がある。

言わなければならない、ではなくて、他の誰でもなく骸に、聞いて欲しかった。

「…骸」

意を決した声とは裏腹に、綱吉は少し俯く。視界の端で骸に見詰められているのが分かった。
綱吉がぎゅうと手を握ると同じ強さで握り返してくれて、背中を押されるように口を開いた。

「……オレ、付き合ってる人がいたんだ……」

ぴくりと動いた骸の指先にどこかで申し訳なく思ったけど、また握る手に力を込めれば想いを返してくれるから、伏せた綱吉の瞳が緩く滲んだ。

「オレより15歳も上だったんだけど、全然そんな年に見えなくて…それで…始めから結婚前提だったから…預けてたんだ…」
「………貯金、ですか…?」

素直に頷くと視界の端で骸が口を引き結んだのが見えた。

「警察に行きましょう」
「わ!ちょ、待って!!」

立ち上がりかけた骸の腕を強く引いて元の位置に戻すと、骸は不機嫌になった。

「もしかしなくても結婚詐欺にでも遭ったのでしょう?」
「……うん、まあそうなんだけど…」

口籠ると骸が鎮まるのが分かった。綱吉はむぐむぐと唇を動かしてから、また目を伏せた。

「……母親、だったんだ」
「え…?」
「…結婚する前にちゃんとオレの生い立ちを話しておこうと思って…でもちゃんとは言えなくて…詳しいことは言わないで、母親に捨てられて施設で育ったことを言ったんだ…そしたら顔色が変わって…次の日から連絡が取れなくなったんだ…」

不思議だった。骸になら言える。

「引かれちゃったんだろうなぁって思って諦めてたら…しばらくして警察が来て…詐欺の常習犯だったみたい…それで、共犯が父親…」
「生きている価値ないですね」
「え!?」
「君のことではありませんよ」

そっか、と綱吉は安心して息を吐いた。

「何か…ぜんぶ嫌になっちゃったんだよね…こんな事話せる人もいなかったし…」
「それで」
「うん…でもオレたち手も握ってなかったから、それだけは本当によかったよ…結婚してからねって言われてて、オレはそれが当たり前と思ってたし」
「…そうですか」
「……何でちょっと嬉しそうなんだよ…」
「いえ別に」

明らかににやにやしている骸に眉を吊り上げるが一向に効果がなく、骸はにやにやしたままだった。

「何だよ!」
「君が案外古風な考え方をしているのが…」
「バカにすんな!」
「してませんよ。それなら僕としたことは遊びではないんだなあと思ったら、君の気持ちが分かった気がして」
「なあ…!何だよ、勝手に誤解して怒ってたくせに…!」

恥ずかしいのを誤魔化すようにまた眉を吊り上げて怒ってみせるが、骸はどうやらそれどころではないようで笑っている。何だか毒気が抜かれてしまってへにょんと眉を下げるが、骸に改めて手を握り直されたのではっとして顔を上げる。

「益々そんな記憶必要なくなりましたね。ぜんぶ根こそぎ捨てなさい。それで、僕のことだけ考えていればいい」
「な、あ…!」

あんまりにも気障な言葉に頬を真っ赤にするが、骸にその台詞が似合ってしまっているのがまた憎たらしくもある。
どうしていいか分からずにわたわたする綱吉に、珍しく骸が些か申し訳なさそうな声を出した。

「それで…僕は学生の内は実家で暮らすように両親と約束をしているので、すぐに出られないのですが」
「へ…!?大丈夫大丈夫…!オレは元からそのつもりだったから」
「そうですか」

元々一人でこの家を出るつもりだったけど、あからさまにほっとした骸にはさすがに頭にきてしまう。

「おま、そんなほっとしなくったっていいだろ…!」
「普通しますよ」
「なあ!?」
「部屋は僕と一緒でいいですよね?どうせ一人では眠れないでしょう?」

綱吉は大きく二度瞬きをした。

「へ!?」
「まあ部屋は余ってるので好きにすればいいですけど、怖いとか言い出すのが目に」
「ちょ、待て!」
「何ですか?」

わたわたする綱吉に、骸は憮然と眉根を寄せる。

「一人は絶対怖いと言いますよね」
「そ、それは言うと思うけど…っ」
「それなら一緒で構いませんね。本当にほっとしましたよ。親と同居でもいいと言うから」
「え、な、や、いや、オレはその、でもご両親が絶対びっくりするから止めた方がいいと思うよ…!?」

骸はぱちと瞬きをしてから斜め上空に視線を投げて少し考え込むが、結局あっさりと言った。

「大丈夫ですね」
「何で…っ!?い、いきなり同居の上、相手が男とか」

骸はまた少し考え込むが、結局あっさりと言う。

「大丈夫です」
「軽…っ何なの!?根拠あるのか!?」
「僕の両親は変わってるので。息子がまた一人増えたと喜ぶと思いますよ」

えぇ!?と素っ頓狂な声を上げる綱吉の手を握る力が一層強まって、綱吉ははっとして骸を見上げた。


「帰ってきてくれますか?」


もうさっきからずっと、骸がやけに真摯で鼓動が痛いくらい胸を打つ。

そんなの、もう、答えなんて決まってるじゃないか。
でも恥ずかしくてゆるゆると頷くと、よかった、と骸らしくなく弾んだ声を出すから顔を上げられなかったけど、不意に立ち上がった骸に手を引かれて思わず顔を上げた。

「帰りましょう、一緒に」

なんて、甘い誘い。

「…うん!」

手を握って、立ち上がる。

小さな駅のロータリーに一台の車が止まっていた。ふと見遣るととても背の高い男が車に寄り掛かって腕組みをして立っている。帽子を目深に被っているが制服のようだし、よく見たら車がタクシーだった。道なりに行けばその男の前を通る訳だが、どうにも圧迫感が酷くて綱吉の腰は無意識に引けた。

どうしたのかと骸が怪訝に少し振り返ったとき、「おい」と低い声がかかり綱吉は思わずびくっとするが、その声には聞き覚えがあった。

「おや、誰かと思えば」

骸の鼻で笑うような声に綱吉は「あ!」と声を上げた。

「運転手のおじ…お…え!?意外に若い…!!」

じろと睨まれて綱吉は首を竦める。そこにいたのは散々ホモ疑惑を掛けてきたタクシーの運転手だった。運転席を出れば結構な上背もあり、帽子の影から覗く目元もおじさんと呼ぶには少し早かった。あまりの印象の違いに愕然としてしまい、すっかり吹っ飛んでしまった声を掛けられた事を思い出した時、運転手が緩く口を開いた。

「乗っていけ」
「生憎持ち合わせが」

ぱちぱちと瞬きを繰り返す綱吉の横で珍しく骸が真っ当な受け答えをした。すると運転手が小馬鹿にしたように鼻を鳴らしたので骸はたちまちむっとする。

「よく見ろ。回送だ」

腕組みをしたまま面倒くさそうに指差した先の、フロント硝子の中で回送の文字が光っていた。
骸と綱吉がぱちりと瞬きをしたのはほとんど同時だったかもしれない。


四方開け放たれた窓から全力で風が入ってくるので何だかもう髪も服もぐちゃぐちゃにはためくので、何もそんなに開けなくてもと思うが乗せて貰っている身だし、要望を言っても聞いてくれる相手ではなさそうなのは何となく分かっている。でもさっきからずっと握り合ったままの手から伝わる体温のせいで寒いなんて少しも思わなかった。

それでも綱吉はどうしても気になることがあってちらちらと運転手を見ていると、フロントミラー越しに目付きの悪い目と目が合ってしまってビクッとなる。
骸にまで怪訝な顔で見られたので、綱吉は思い切って訊いてみることにした。

「…あの〜…ホモ…嫌いなんじゃないんですか…?」

散々ホモホモ言われて怒鳴られたのでてっきり嫌いなのかと思ったが、今日は手まで握り合っているのに特に罵られることもなく不思議に思った。横で骸が更に怪訝な表情を深めたのでますます居た堪れない気持ちになった。

「ホモっつうか」
「答えてくれるんですか…!?」

思わず言うとじろとまた睨まれて骸の怪訝な表情が深まり、綱吉はますます縮こまった。

「ホモつうか、お互い興味があるのに認めねぇでそのくせイチャイチャしてる連中が嫌ぇかもな」
「えぇ…!」

素っ頓狂な声を上げた綱吉と違って骸はむうと口を引き結ぶと運転手の後頭部をじいと見ている。
そしてぽつりと「なかなか的を得ている」と言った。綱吉は目を見開いて慌てるように骸を見遣った。

「ちょ、それって、始めからその、オレのこと」
「駄目ですか?」

語尾に被せるような強さで言い切った骸は酷く真摯な表情をしているので、綱吉は頬を真っ赤にして「や…別に駄目とかじゃないんだけど…」ともごもご言うことしか出来なかった。運転席で笑いを堪える気配がした。


家の前まで乗せて貰ってありがとうございましたと頭を下げると、骸も素直に礼を述べる。

「またその辺で会いそうだな」

そう言った運転手の名前を知っておこうと何気なくネームプレートに視線を向けて、綱吉は二度見した。

「リ、リボ、リボー…ン?え?外国の人なの?え?」

更に深い謎を残したままタクシーは走り去って行った。

「随分気にかけてますね」
「へ…!?」

愕然とタクシーを見送っていた綱吉に不機嫌な声がかかり、綱吉はかあと頬を熱くした。

「お、お前意外に嫉妬深いのか…?」
「ええ、僕も自分で意外です。ついでに言わせて貰えるならもう父親のバスルームは使わないでくださいね。親子と言えど他の人間と同じバスルームを使われるのは面白くありません」
「なあ…!」
「分かりましたか?」

今は夜で暗いから赤い頬も目立たないで済むけれど、綱吉は無意識に頬を摩る。

「わ、分かったよ…」

満足そうにする骸が嬉しくて恥ずかしくて綱吉はまた少し俯く。

「おや、凪を起こしてしまったようですね」
「え!」

顔を上げるとリビングの窓から凪が顔を覗かせていた。けれど手をしっかりと繋いでいる二人を見て嬉しそうに笑って小さく手を振った。
まだ少し恥ずかしいけど綱吉も手を振り返した。

「ちょっと見て欲しいものがあるんです」
「ん?」
「課題、君の絵にしました」
「え、えええ!描き直してるのって、オレを描くためだったの…!?」
「そうです。でも出来が良過ぎて人に見せるのが嫌になったので、また課題は描き直しです。君のせいで」
「な…っそれオレのせいじゃないだろ…!」
「絵でもね、不特定多数の人間の目に晒すのは嫌なので」
「お…っ!」

お前は!と照れ隠しに怒ってみるが、骸は楽しそうに綱吉の手を引く。手を繋いだままゆっくりと小走りに家に向かう。

「そうだ。家に帰った時はちゃんと言ってくださいね。凪が真似したら困る」

大きく瞬きをした綱吉に骸は笑う。

「”ただいま”ですよ。ここが君の、家なのだから」


緩く走る足音が夜の庭に響く。目の前の大きな家、玄関から凪が顔を覗かせる。

大きく揺らした綱吉の瞳が光りを弾く。

骸を見上げると、骸が笑ってくれた。

嬉しくて綱吉も笑う。


骸が玄関を開く。そこには凪も居て。

「ほら、ちゃんと言って?」

優しく促されて、綱吉は笑う。

「ただいま!」

「おかえりなさい」
「おかえり、ツナ君」



温かい声はきっと、ずっと求めていた。
すべてのことが、無駄じゃなかったって思える。


帰れる場所が、出来たから。



I’m home!



2010.05.03
結婚してねv
母親と父親に関してはご想像にお任せしますw私の中でも割と妄想が進んでますw