大通り沿いと言っていたからひたすら駆けて行くと、
赤と黒を基調とした大きな店が目に入る。

店の名前のイメージからしてもしかして、と看板を覗くと確かに骸の店のようだ。

けれど漆黒の硝子の向こうはまるで見えない。

本当にここでいいのかと硝子に顔をつけて目を凝らすがやっぱり見えない。

「二分遅刻。」

はっと横を見ると、大層不機嫌な色違いの瞳が腕時計に視線を落としていた。

「す、すみませ、ってあれ?二十分前行動でも十分余裕が、」

「口答えですか。」

「な・・・!?ち、ちが」

「ちなみにそこの硝子はマジックミラーですよ。君の間抜けな行動が店の中から丸見えでした。
面白いのでしばらくそのままにしておきましたよ。」

「・・・っ」

そんな恩着せがましく最悪なこと言わないで欲しい。

「入りなさい。」

愕然としている綱吉はエスコートされるまま店に足を踏み入れた。


店の中央には煌びやかなシャンデリアが飾られ、
天井や壁の黒は皮の質感を思わせ、床には真紅の絨毯が敷き詰められている。

天井から床に掛けて落ちる漆黒の硝子細工のカーテンはセット面を区切っていて
半個室のような雰囲気だった。


「素敵な店でしょう。ぜんぶ僕がプロデュースしました。」

(自分で言った・・・!)

確かに想像以上に素敵な店で思わずぼうっとしてしまったけど、しまったけれども、と愕然とする綱吉の腰に
まるでエスコートするように手が置かれた。

あまりに自然な流れだったものだから、
しばらくそのまま歩いていたけれど
綱吉は気付いてしまった。

何だこの手は。
まるで恋人同士じゃないか。

「凪、手が空いたら犬を連れて奥のVIPルームに来なさい。」

「はい。」

セット面を掃除していた目の大きな可愛らしい子に声を掛けて尚、骸と綱吉は並んで店の奥へと足を進めた。

「あ、あの、」


「何ですか?」

さっきから腰に置かれた大きな手が気になって仕方なくて
ちらちらと腰を見ると、骸は鼻を鳴らした。

「本当は髪を掴み上げて運ぶくらいがちょうどいいのでしょうけれど
お客様から見える場所なのでね。手加減してやってるだけですよ。」


ですよねー、と綱吉は遠い目をする。

奥まで辿り着くと、洒落た映画館にでも続きそうな革張りの扉が、間隔を開けていくつか並んでいた。

「どうぞ。」

「え、あ、」

そういえばさっきVIPルームがどうのと言っていたのを思い出した。
その時綱吉は腰に置かれた手にばっかり意識がいっていたから、すっかり忘れていた。


「次に展開する店はすべて個室にしようと思ってるんですよ。」


そんなことを言いながら通された部屋は、やはり赤と黒を基調とした部屋で
そこにはシャンプー台からソファから揃っていて、ホテルの部屋のようだった。

わあ、と思ってから綱吉ははっとする。

「あ・・・!あの、俺、今日そんなにお金持ってないんですけど・・・!」

ここまで設備が整っているなら、それなりのお値段なのだろう。
ところが骸はさも分からないと言ったように眉根を寄せた。

「はあ?君にはスタイリストデビューする子たちの研修で髪を借りるので支払は結構ですよ。」 



そうでしたか、それは知りませんでした。


抗議をするのも無駄な抵抗にしかならないことをこの短時間で悟った綱吉は、ぐっと言葉を飲み込んだ。

飲み込んでから気が抜けて、少しだけだけどアルコールを飲んで走ってしまったから
気付いたらぐらぐらする。

ふにゃあ、と体の力が抜けた時に、肩を支えられてはっと我に返った。

「随分飲んだようですね。」

「いや、あの・・・っ」

肩を支えていたはずの手が、体ごと支えるように背中に回される。
見た目よりも大分広い胸に包み込まれるようにされて、綱吉は言葉を詰めた。

その時、出入口から「失礼しましたー!!」と大きな声が聞こえて勢い良く扉が閉じられたから
綱吉は体を離そうとしたが、腕の力は弱まらずに綱吉をしっかりと包んでいる。

「い、今ひと、がぁー・・・、」

気付いていないのかと思ったのに、綱吉が口を開いたらやんわりと後頭部を手で包み込まれて
口を閉じさせるように胸に顔を押し付けられた。

(うわわ・・・)

抱き締められたことなんてないから、ほとんど初めて感じる人の体温にどうしていいか分からない。
綱吉は電池が切れたようにぎちりと固まって、じわと頬を赤くした。

どうしたというのだろう、この人も酔っ払っているのだろうかと思考がぐちゃぐちゃになった頃に
扉の外から大きな声が聞こえた。

「あ!今オーナーが客食おうとしてっから入んなよ!!空気読めブス女!!」

今何て言ったんだと目を剥いて更にぎっちりと固まった綱吉を置いて
骸が扉を勢いよく開けると、ぎゃん!と断末魔のような声が聞こえた。

骸はスタッフを扉で殴っておいて平然としている。

絶対わざとだ。
綱吉は確信して顔を青褪めさせた。



摘み上げられるようにしてセット面に座らせられると、
凪と呼ばれた可愛らしい女の子が綺麗な細工のグラスに水を注いでくれて、
その上レモンを器具で緩く絞って注いでくれた。

「わ、あ、ありがとうございます・・・、」

結露したグラスの中にふわふわとレモンが緩く落ちていく。
喉が渇いていたからとても美味しそうに見えた。

「こんなものまで揃えてるんですね、」

冷たい水に口を付けながら凪に話し掛けると、凪は小さく頷いた。
凪がグロスの唇を開き掛けたところで骸が綱吉の髪の毛を引っ張った。

「い、いたい・・・っ!!!」

「うちのスタッフを変な目で見ないでください。いやらしい。」

「み、見てません・・・!!」

「どうだか。どうせさっきだって女に囲まれて鼻の下伸ばしてたんでしょう?」

「な、伸ばしてません・・・!つかどっかから見てたでしょ!?」

「はあ?」

不毛な言い争いをしている骸と綱吉を眺めていた犬が、あれー?と首を傾げた。

「デキてるんれふかー?」

「え!?」

「はあ?」

「らって痴話喧嘩みたぎゃんっ!」

ごりごり、とよからぬ音がして、
骸の座っているカットチェアーが犬の足を思いっ切り轢いたのだと知ったら綱吉は顔面を蒼白にした。

骸は平然として顔が青を通り越している綱吉の髪に指を差し入れた。

「見てください。この救いようのないくせ毛。」

「・・・っ」

「重力に逆らって生えている。それなのに手入れを怠ってごわごわです。たわしのようです。」

「・・・っっ」

「たわしらったらエビ刺さりまふかー?」

いつの間にか復活した犬がちょっと涙目を引き摺ったまま、なぜか嬉しそうに質問していた。

「意味が分かりませんが刺さるでしょうね。こうするとまったくめでたくない貧相な門松に見えなくもない。」

「・・・っっっ」

綱吉の髪をさくさくっと3つに分けて、骸は鼻で笑う。

まぁ見えなくもないけど、酷い。

さっきから酷過ぎる。

未だに体の中に居座るアルコールのせいもあって、綱吉の大きな目にはじわじわと涙が溜まり始めた。

けれども一応成人男性。
人前で泣いて堪るかという理性はまだ働く。

だからきゅっと眉を上げてみるが、瞬きをしたら涙が落ちそうなほど視界が滲んでいる。

「泣かせた・・・。」

「骸しゃん泣かせた・・・」

泣かせた泣かせたとぼそぼそ呟き続けるスタッフたちに、骸は仕方ないというように溜息を落として
鏡越しに目に涙をいっぱい溜めてぷるぷるする綱吉を見遣った。

そして、はっきりと言った。


「謝りませんよ。」


「・・・っ!!!」

あまりの衝撃に涙が引っ込んだ綱吉は愕然と目を見開いた。

骸は得意気にほら、泣きやんだでしょう?などと言っているが
犬が酷ぇ・・・と呆然としてくれたのを見て少し救われた気持ちになった。

「濡らすとますます訳が分からない頭になると思うので、ドライカットでいきます。」

また失礼なことを言いながら、長い指がするりと髪を取った。

(あ、あれ・・・?)


正直言うと、綱吉は拍子抜けしてしまった。


長い指は髪をまるで壊れ物のように柔らかく扱い、
触れられた先からふんわりと慈しみが伝わってくるようだった。


そっと分けられた髪はダッカールで綺麗に留められる。


露になった耳元に薄く掛かる髪に通すコームも、
緩やかで優しくて、どこの皮膚にも接触しなかった。

熱心に見詰めるアシスタントの二人に説明をしながら、
照明を弾くように光るハサミが、淡い色の綱吉の髪を手早く正確に、
それでもいっぱいの柔らかさを持って切り落としていく。

鏡越しに見る高圧的でしかなかった色違いの瞳は、
真摯な色を乗せて長い指に挟まれた淡い色の髪を見詰める。

長い睫毛がゆったりと持ち上がった。

「・・・何ですか?間抜けな顔でじろじろ見ないでください。」

はっと気付けば鏡越しに不機嫌そうな顔と目が合う。

「いえ、あの・・・!び、美容師っぽいなって思って・・・!」

「バリカン。」

骸は無表情に
凪に手を差し出すと、凪は何の躊躇いもなくバリカンを差し出した。

「ちょ・・・っ渡さないでください・・・!!」

「この髪型ならモヒカンも楽ですよ。」

「すみませんすみませんすみません・・・!!!!」

「本当にやるから気を付けた方がいいびょん。」

「なぁ・・・っ!!」

何て遠慮のない人なんだと心の中でがくがく震えながら、それでも。


長い指がするりと髪を通るたびに、光を弾くハサミが髪を切り落としていくたびに
そんなこともすべて忘れていくようだった。



「代わります。」

「いえ、片付けをしてください。」

不思議そうに大きな目が瞬きをした後、素直に「はい。」と言って凪は箒を取りに行った。


頭の後ろでシャワーの水が勢いよくぶつかる音がして、暖かな湯気が頭を包む。

見上げれば骸がほとんど覆い被さる
ようにして、丁寧に毛先を濡らし始めていた。

骸の影がすっぽりと綱吉を覆って、深く藍を孕む髪が照明の光を弾いてきらきらとして見えた。
綱吉は無意識にかあ、と頬を赤くする。

「ああああの・・・っ!何かかけないんですか・・・っ!?」

「熱湯かけて欲しいですか?」

「ち、ちが・・・!!あの、ガーゼとか・・・っ!!」

先程の犬の本当にやるから気を付けた方がいいという言葉を思い出してぞおっとしながら
顔の前で一生懸命四角を描いてアピールするが、骸は投げ遣りに溜息を吐いた。

「わがままですねぇ。」

「え!?わがまま!?ふつう、」

「うるさいですねぇ。」

「・・・っ」

取り合って貰えない。

泣きそうになりながらぎゅっと目を瞑ると、ポンプを押す音がしてふわりと柑橘の香りがした。

(あ・・・いい匂い・・・)

長い指がするりと優しく頭皮を滑る。

泡立てるような仕草でゆったりと生え際に指が往復していく。

大きな手だな、と思った。

その大きな手の長い10本の指がまるで意思を持ったように動く。

こめかみをほぐすように指が滑り出した辺りで、綱吉はうとうとし始めた。なのに、

「い・・・っ!!」

うとうとし始めた途端、ごつ、と鈍い音と共に頭に衝撃が走った。
どうやらシャワーヘッドで頭を殴られたようだ。

「人がシャンプーしてるのに寝るとはいい度胸ですね。」

どんな美容師だ。

「だ、だって気持ちがよくて・・・」

だってじゃない、とかまた言い掛かりをつけられると思ったのに、一向に何も言わないので
思わずそろっと瞼を上げて、後悔した。

「そうですか。それはよかった。」なんて、そんなことを言って柔らかく笑うものだから
綱吉は耳まで赤くしてしまった。

ぎゅっと目を閉じると、濡れた指が赤くなったその耳を柔らかく濯いでいく。

まだ酔ってるんですか、と呆れた声に綱吉はううと呻くしか出来なかった。



(・・・すごい、)

セットされた髪は、見た目にはさほど変わっていないのだが
指通りがまったく違った。

カットだけでこうも変わるのかと綱吉は何度も髪に指を通しててはおお、とか一人小さく声を上げていた。

「何してるんですか。」

「え!!いや、えへへ」

と、誤魔化せるはずもなく、店の外まで一応見送りに出て来てくれた骸の冷たい視線が痛いいたい。

「戻るんですか?」

「え!?」

どこか不機嫌な骸の言葉に、何を言われているのか分からなくて目を瞬かせる。

「・・・合コンですよ。」

「え!?も、戻りませんよ・・・!戻る気もなかったし、と言うより戻れないでしょ・・・!!」

病弱な兄がいることになってしまったので戻れる訳もないし、
けれどもどういう訳か必死になって否定している自分に首を捻る。

訊いたくせに骸はふうん、と大して興味もないように答えた。

ほんの少し間が空いて、緩やかに夜の風が通り抜けた。
揺れた髪からシャンプーの香りがする。

「僕は、今は講習会がメインなのでほとんど店にはいませんが、
前もって連絡をくれれば来ますよ。」

「え!?」

「君が僕の予定に合わせるんですよ。暇な人間と一緒にしないでください。」

ですよねー、と綱吉は遠い目をするが、正直なところ、嬉しかった。

綱吉はぱちぱちと瞬きをした後、少し恥ずかしくなって目を伏せた。

「・・・あの・・・上手く言えないんですけど・・・驚いたっていうか、凄いなって思って・・・
だから、もし迷惑じゃなかったら・・・その、またお願します・・・」

「気が変わりました。」

「んなぁ・・・っ!!!」

綱吉としては精一杯の言葉で、思い切って言ったのに
間髪入れずに返って来た声にも驚いたし、顔を上げたら背中しか見えなかったのにも愕然とした。

どれだけ気まぐれなんだ。
呆然としていると早急な仕草で店の扉を開けた骸は振り返った。

「もっと時間を掛けようかと思いましたが・・・そこで待っていてください。」

「え!?」

「車を回して来ます。食事に行きましょう。」

「え、な、」

「僕のこと、知りたいでしょう?」

「なあ・・・!!」

かあ、と顔が赤くなるのが分かって、わたわたし始めた綱吉に、意外にも真摯な声が掛かる。


「僕は、君のことが知りたいです。」


髪に触れていた時のようなあの瞳で、しっかりと綱吉を見詰めてから骸は店の中に入っていった。




綱吉は今はぼうっと頬を染めて佇んで、つい数時間前の骸と出会った瞬間を思い出していた。



09.11.19
食事のあと綱吉はお持ち帰りされると思います(ry)

らいえりかさまに捧げます!
らいさまのみ、宜しければお持ち帰りくださいvvv