「骸」は今箱の中にいる。柔らかな布に包まれて心なしか温かい気がする。「感覚」なんてない筈だけれど。
「骸」が切に願っていた事が本当になった。これが本来「骸」の持つ力のお陰なのかは定かではないが、そんな事はもうどうでもよかった。
意識を最大限に綱吉に向ける。
すると綱吉はふと睫毛を揺らして「骸」に視線を落とす。
過程などどうでもいいのだ。結果として綱吉の物になれたのだから。
車の後部座席で箱を大切そうに膝に乗せる綱吉に側近の男、獄寺が静かに口を開いた。
「しかしあの野郎、どさくさに紛れて沢田さんの手を…調子に乗りやがって。ぶっ飛ばしておきますね」
それはその通りなのだが、部下のくせに綱吉と同じ後部座席に座っているんだから「骸」からしたら獄寺だってぶっ飛ばしたい。
会話などから察するにどうやら二人は幼馴染のようだ。それだって大分面白くない。
「オレは大丈夫だよ。無茶な事はしないでね」
綱吉が穏やかに言うと獄寺は些か躊躇いながらもはいと頷いた。
無茶して自爆すればいいのに。
「骸」はそんな事を思う。
車で30分ほど移動して到着した綱吉の会社は高層階にあった。
パノラマの窓ガラスの向こうにビルの群れが見える。若いのに大したものだと「骸」は年相応の事を思った。
「これ、どうしますか?」
獄寺が「骸」の箱をこつんと人差指で弾く。頭にきたから威嚇する気配を出すと獄寺がふと指先を持ち上げて訝しげに箱に視線を落とした。やっぱり勘はいい方だ。
「せっかくだからコーヒーでも飲もうかな」
席に着きながら穏やかに微笑む綱吉に、獄寺もふと口元を綻ばせた。まったく獄寺という男は邪魔でしかない。
自分に実体があればいいのに。そうしたら獄寺なんか綱吉に近付けさせない。
「器」の使い方はコーヒーを淹れる物ではないけれど、綱吉に口付けられるならそれがいい。
獄寺がコーヒーを淹れるために「器」を取り出す。どうしてこの男が甲斐甲斐しく綱吉の世話をするんだろう。
だったらもっと奴隷のように扱えばいいのに。面白くない。
満たされたコーヒーの水面がぱしゃりと跳ねて器の胴にそっと伝う。
獄寺は眉根を寄せて得も言われぬ怪訝な顔で「骸」を見詰めた。造作の整った顔が間延びして随分と間抜けな顔だ。「骸」は少し気持ちが晴れる。
トレーに乗せて運んでいる間も獄寺は怪訝な顔で「骸」を見詰めて何度も緩く首を傾げる。
「どうしたの?」
それに気付いた綱吉が柔らかく問うと獄寺はようやく視線を上げた。
「いえ…なんかこの器が生意気な気がするんすよね」
そう言いながらも自分の言葉に首を傾げて「骸」を綱吉の前に置いた。綱吉はぱちりと瞬きをしてからふと吹き出した。
「物には魂が宿るって、聞いた事があるよ。オレもね、たまにこの「器」に意思があるんじゃないかなって思う事があった」
綱吉の言う事を全面的に信用しているだろう獄寺はどこか安心した様に微笑んだ。やっぱりそうですよね、と言いながらトレーを置きに戻った獄寺に、本当は中のコーヒーをぶちまけてやりたかったが、綱吉がその事で獄寺を心配するのが厭で止めた。
綱吉はくすと笑ってありがとうと言いながらミルクをゆっくりとコーヒーに流した。
どうしたらこの気持ちが伝わるんだろう。
存在を微かには感じてくれているようだけど、それだけでは既に物足りなくなっていた。
「骸」は溜息を落とすような気持ちでコーヒーの表面で静かに回るミルクに意識を向けた。
今のこの世界では好意を現す記号がある事も「骸」は何となく知っていた。
褐色のコーヒーの上の白いミルクがゆっくりと回りながらハートの形に変わっていく。綱吉はぱちりと瞬きをしてそっと顔を寄せた。
「ねぇ、隼人」
綱吉はいつもの落ち着いた声とは少し違くて弾んだ声で獄寺を手招きする。
「どうしました?」
獄寺が隣に立って覗き込むとミルクは形を変えてただ流れていった。見せたいのは綱吉にだけだ。
二人は同じ様にきょとんと瞬きをした。
「…ごめん、何でもない」
綱吉が不思議そうに呟くと、獄寺はくすっと笑ってまた戻っていった。
その背中を見ていた綱吉がまた視線を戻すと、回転の速度を落としたミルクがまたゆったりとハートを作った。
綱吉はぱちりと瞬きをしてから静かに微笑んだ。
「お前は、本当に生きているみたいだね」
「どうしました?」
振り返った獄寺に、綱吉は緩く手を上げた。
「ごめん、独り言」
綱吉はまた「骸」に視線を戻して柔らかく笑う。
「骸」が、とても好きな表情だった。
綱吉が初めて語りかけてくれた。
とても嬉しかった。
もっともっと、綱吉の事が知りたい。
触れてみたい。
2011.06.28