街のネオンも消え始めた夜も深まった頃、綱吉はようやく帰路に着いた。
相変わらず隣には獄寺がいて、自宅まで綱吉を送り届ける。
それは大変面白くないのだが、「骸」は綱吉の自宅に連れて帰られた。だから綱吉はきっと自分の事を気に入ってくれているのだと、骸はそんな風に思う。

高層ビルの住居はエントランスでさえ深紅の絨毯が敷き詰められていて、「骸」は酷く昔の事を少しだけ思い返した。
けれど大した思い入れも思い出もないのですぐに思考は霧散した。

気配を綱吉に絡み付かせて部屋まで着いていく。
綱吉の住居は広く、とても無機質だった。窓の向こうのネオンが写真の様で、部屋の明かりを点ければ光りに沈んだ。

綱吉は鞄から「骸」をそっと出してテーブルの上に置くと、ジャケットを脱いでソファの上に放り、自分の体も放る様に座ってテレビを点けた。

ソファに一層体を沈めた綱吉は、きっとテレビなんか見ていない。

どこか寂しそうに見える綱吉に、「骸」は心を痛めた。

きっとこの感覚が心なんだ。今更ながらそんな事を思う。

頂点に立つという事は孤独でもあるだろう。ましてや綱吉はまだ若い。

守る事が出来たらどんなにいいだろう。

傍に居て、綱吉が寂しい時は抱き締めてあげたい。

人間と同じ体を持つ事が出来たら、どんなにいいだろう。

綱吉がふと「器」に目を向けた。

けれどこれはきっと偶然。もっと、ちゃんと見て欲しい。

綱吉は「器」に少しのブランデーを注いだ。

果実にも似たアルコールの香りが微かに漂う。

添えられた手から綱吉の体温が広がる。

じんわりと温かく滲み、得も言われぬ高揚感が意識を支配する。

触れたい。抱き締めたい。

綱吉の柔らかな唇がそっと、触れた。

途端強く引かれた感覚に意識が途切れる。放り込まれた暗闇の中に困惑を抱き、次いで酷く「重い」と感じた。

重い。

霞みがかる様な意識がふと開けた。
眩しくて「痛い」と思うと、また暗闇に覆われた。

そしてまたふと開けた意識の中で、綱吉がすぐ目の前にいた。
目を大きく見開いて、確かに自分を見上げている。目が合うという感覚を強く意識した。
しかも、酷く近くで見詰め合っている様だ。

いつも凛とした表情の綱吉が文字通りぽかんとしているのが可愛らしくて思わずふと笑うと、空気が振動したので「骸」は我に返る。

綱吉の瞳は確かに何かを映している。

「骸」が静かに視線を落とすと、綱吉とはまた別の手が視界に映り込んだ。

意識してみると皮の手袋を嵌めたその手が持ち上がる。

流れる様な動作で窓の方を見遣ると、薄く口を開いている綱吉の視線の先には髪の長い人間がいて硝子越しに「骸」と目が合っている。

「…」

手を意識すると硝子に映った手も持ち上がった。硝子に映り込んだ人物は、綱吉よりも大分大きい様に思う。
意識を綱吉に戻すと、視界に映った綱吉がぴくんと睫毛を揺らした。

「器」がどこにも見当たらない。それなら今の自分の「器」は。

「骸」は人と同じ形の「器」に手を滑らせた。
胸は平たく筋肉質で、足の間に手を滑らせると確かに男性だった。

「…」

顎に手を添え難しい顔をする骸を、綱吉は未だ同じ表情で見上げている。

思念の強さでどうやら人間の器を形成出来たようだが、なぜ男性なのか。
「骸」は綱吉に対して抱いているのは間違いなく恋愛感情だ。恋愛をするなら男女だろう。

試しに綱吉の足の間に手を添えてみる。やっぱり綱吉も男性だ。ぴくんと睫毛を揺らした綱吉はそれでも抵抗するにまで至らない。

「骸」は暗い寝室に姿見鏡を見付けて立ち上がる様に意識した。視界がぐんと上がり、ほんの少しだけよろける様に歩き出した。
歩けている。
真っ直ぐに見た先の鏡の中には、やはり一人の男がいる。

目の色が赤と青。恐らく嵌め込まれたルビーとサファイアの影響だろう。

「骸」はまた顎に手を添えて難しい顔をした。鏡の中の「骸」も同じ様に難しい顔をする。

なぜ男なのかと思うが、きっと「骸」の中で綱吉を守りたいという気持ちが一番強いのだろう。精神的ではなく物理的にも「守る」と言うのならきっと力の強い男性の方が都合がいい。

そう思い至った「骸」は一人頷き振り返ると、綱吉がさっきと同じ体勢のまま振り返って寝室を覗いていた。
「骸」はすたすたと歩き綱吉の前に戻る。その間中綱吉は「骸」を目で追っていた。

改めて綱吉の前に膝を着くと、「骸」は静かに息を吸い込んだ。

「骸」はもうずっと決めていた。

声を授かったなら、一番最初に綱吉の名前を呼びたい。

「沢田、綱吉」

その名前を口にしたなら、「骸」は大きな幸福感を得た。

目の前の綱吉がひとつ大きく瞬きをした。

「……骸?」

「骸」の心は喜びにうち震えた。

名前を呼ばれた。初めて自分の名前を意識した。

「沢田綱吉」

もう一度名前を呼んで幸せを意識して、綱吉の体を抱き締めた。

思っていた以上に温かくて、細くて、でも確かに綱吉の体だった。

じんわりと熱が伝わる。このまま溶け合ってしまいたい。

衝動のままに唇を合わせ熱い綱吉の感触に眩暈を覚え、甘える様に唇を食むと意識が途切れた。

ふと意識を開くと、今度は目を大きくした綱吉がこちらを覗き込んでいる。
すぐさま意識を浮遊させると、骸は陶器の「器」に戻っていた。

骸は舌を打つ。

綱吉がふと手を伸ばし「器」を手に取ると温度が伝わってくる。
どうして元に戻ったのかと考える前に綱吉が「器」にそっと口付けた。

途切れた意識から目覚めれば、目の前の綱吉は骸を見上げている。

持ち上げると視界の中に手が映り込む。

同じ動作をしたというのなら。

「キス!」

同時に声を上げた綱吉と目を合わせ、思わずふと笑う。
綱吉がどこか困った様に、でも確かに笑う。

「…嘘みたいだ」
「本当に…ですが、常識より僕の想いの方が強かった」
「え?」

手袋をそっと脱ぎ落して、その手で綱吉の頬を撫ぜた。
血が通っているのかも分からない体は、綱吉の体温で温まっていく。

骸は生まれて初めて世界のすべてに感謝した。

「わ!」

強引に抱き寄せると綱吉が少し驚いて声を上げる。けれど骸はもう我慢も限界で、更に強く力を込める。

スラックスからシャツの裾を引き抜くとそこから強引に手を差し入れた。陶器の様に冷たい手に綱吉の皮膚が震えるものだから、骸は苛烈な興奮を覚えた。滑らかな背中に掌を這わせると、綱吉が骸の腕を押し遣るが無視して首筋に顔を埋めた。綱吉の柔らかな皮膚の匂いに溜まらず舌を這わせる。

「む、くろ…待って、お願い」

その言葉さえ甘い誘いに聞こえてならなかったけど、綱吉の願い事だというのならと衝動を抑え込んで体を離した。

淡く染まった綱吉の赤い目元に、思わずキスを落とす。

「むくろ」

名前を呼ばれる事がこんなに嬉しいなんて。骸は綱吉をそっと抱き締めて頭に頬を寄せた。

「こういう事は、少し待ってくれる…?」

予想もしていなかった言葉に骸はぱっと体を離して腕の中の綱吉を見遣ると、思った以上に真摯な眼差しと目が合った。

「まだ気持ちが追い付いてなくて…そんな気持ちでお前と寝たり出来ないよ」

いかにも誠実な綱吉らしい言葉だった。そんな綱吉が好きだから骸は耐える様に瞬きをして、頷いた。

「…分かりました。でも、一緒に眠るくらいは構いませんよね?」

綱吉はぱちぱちと瞬きをしてから柔らかく笑った。
骸が好きな顔だった。

「うん。いいよ」

とても柔らかい笑顔に、骸も知らずに微笑む。

今はまだ自分でも置かれている状況が把握出来ていないが、それでも人間の形でいられるのならば綱吉を守る事は出来る。

ベッドに入った綱吉の隣に体を横たえると、綱吉が少し照れた様に笑った。

「何か…変な感じだ」

骸は微笑んで綱吉の方を向くと、そっと体に腕を回して柔らかく抱き寄せた。

「体が冷たいな」
「でもほら。一緒にいると体が温まってくるんですよ」

じんわりと体温が滲む手を綱吉の頬に添えると、綱吉がくすぐったそうに笑う。

「本当だ」

頬に添えていた手をもう一度背中に回す。

「安心して眠ってください」

綱吉はふんわりと微笑んで目を閉じた。

「ありがとう」

じんわりと心まで温まっていく気がした。

腕の中の綱吉にそっと頬を寄せる。綱吉はもう静かに寝息を立て始めていた。よほど疲れているのだろうと骸はそっと背中を撫でる。

綱吉の寝顔は昼間見るよりも大分幼く見えた。骸は静かに微笑むが、ふと動きを止めた。

キスしたい。

キスの度に「器」に戻ってしまうなんて腹立たしい。どうしたらキスしても人の形のままでいられるのだろうか。

考えても分かる筈ないけれど、骸はじっと綱吉の寝顔を見詰めていた。




綱吉が朝目を覚ますと、隣に骸の姿がなかった。

夢だったのかとどこかで静かに思った時、指先に硬い物が触れた。

ふと視線を落とすとそこにあったのは陶器の器「骸」だった。

綱吉は朝日の中でぱちぱちと瞬きをした後笑って「骸」に口付けた。


2011.07.24