綱吉は大きな鞄を抱えてばたばたと走って来た。
10秒以内に来なければならない謂われなんてないだろうに、必死な姿がなるほど、足を引っ掛けたくなる。
ビアンキがちらと骸に視線を投げてきたけど骸はそれは遣り過ごし、おもむろに腕時計に視線を落とした。
「もう4分経ってますよ」
「え、えええ!!ロッカーまで5分あるのに4分で戻って来たって」
「凄くないですよ、別に」
言い放って歩き出した骸は、肩越しに綱吉を振り返る。綱吉はびくんとしたが、結局骸の後を躊躇いながらも着いて行く。
門の所で追い付いて、綱吉はそろっと骸を見上げた。
「あのさー…もしかして、オレに用…?」
骸は前を向いたまま愕然と目を見開き、そしてぎらりと綱吉を見下ろした。
綱吉がびくんとするので無性に苛々する。横面を張り倒してやりたいのを堪えて、骸はぎりと口を引き結ぶ。
「…この辺で食事出来所はありますか?」
「へ!?」
二人の横をダンプカーが砂塵を巻き上げて走り抜ける。骸は埃に眉根を寄せる。
「あ…えーと…六道さんが行く様な、お洒落なお店はないですけど……」
骸は緩やかに片眉を上げた。
「なぜ僕がそういう店にしか行かないと思うのですか?」
「え…だってナルシ」
眉尻を下げたままでもはっきりと言い放ちそうになった綱吉に殺気交じりの視線を突き刺せば、ぎこちない瞬きをしたきり黙ったので骸は鼻を鳴らした。
「どこですか?」
「え!?」
「よく行く店はどこですか?」
腕を組んで言うと綱吉は少し逡巡してからそろりと視線を道の向こうに投げた。かちかちと点滅している青信号の奥に古びた店がある。
「あそこの定食屋か…あ、それか」
綱吉は骸の向こうに視線を上げた。骸は釣られて振り返る。視線の先には赤いレンガの平たい建物があるった。大きな看板が青い空に突き出している。
「ファミレスの方がよく行くかも」
骸は憮然と綱吉を見遣る。綱吉はどういうつもりで答えているのか分かったものじゃない。
「じゃあそこに行きましょう」
「え…!?オレも…!?」
ほらやっぱり、と骸は心の中で思う。
「何の為に来たと思ってるんだ!」
「えぇ…!だって何も言ってくれないじゃん…!」
ふんと不機嫌に歩き出した骸の、長い髪が左右に揺れる。綱吉は睫毛の下からちらと骸を見上げ、ほんの少し瞳を彷徨わせた後、結局後ろを着いて行った。
大きなトラックが横断歩道の手前で停止する。渡り始めると青信号がちかちかと点滅した。陽射しが緩く傾いていく。
アイドルタイムに入った店内に客は一人しかいなくて、ピンポンと入店を知らせるチャイムが気だるく響いた。店員が緩慢な動作で近付いてくる。
通された席は窓際だけど、工場と大きな車だけのつまらない景色だった。
骸は目の前に座った綱吉を、片眉を持ち上げて見てからメニューに視線を落として頬杖を突いた。そして面倒臭そうにページを捲った。
「ファミレスに入ったの初めてです」
「えぇ!?」
興味深くしげしげと綱吉が見詰めてきたので目だけで綱吉を見遣ると、綱吉はびくっとする。骸はまたメニューに視線を落とした。
「大学までイタリアにいたのでファミレスに入る機会も習慣もなかったので」
「えぇ…!?そうなんですか!?日本語…上手い…ですよね」
言いながらどこか違和感を感じているような素振りで、綱吉もメニューに視線を落とした。
「そうですか?」
「う、うん…日本の人かと思ってた…」
でも合コンは行くんだ、と綱吉がぽつんと言ったので、骸はじろりと視線を上げた。綱吉は睫毛を落としたままびくんと手を引き攣らせた。
「僕にとって言語を覚えるのは、そうですね、歌詞を覚えるようなものでしょうか。聞いていれば1週間程度で日常会話くらい出来ますよ」
「なぁ…!」
綱吉は零れて落ちそうなほど目を見開いた。こんなに素直な驚き方をする人間がいるのかと骸はどこか感心するのだが、顔はと言えば眉間に皺が寄っているので綱吉はそろっと視線を落としてしまう。
骸はむっとする。
「…なんでまた日本に…?」
よそよそしさがまた骸をむっとさせる。
「栄転です」
「そう、ですか…」
大通りをトラックが走り抜けて、カタカタと窓硝子を僅かに揺らした。
骸は溜息と一緒にページを捲った。
「社長と随分気安いですよね」
何だかとげとげとした口調で言って、でもそれは骸自身気付いていなかった。綱吉は棘の部分だけ受け取ってしまって、所在なく瞳を彷徨わせた。
「あー……と、信じられないかもしれないんだけど…その」
綱吉が言い難そうに口籠るので、骸はまた苛々とした。
「何ですか?そんなに言い辛い事でも?」
「いや…!そんなんじゃないんだけど…」
骸のじりじりとした視線に綱吉は観念して頬を掻いた。
「あー…オレ…次期社長なんだよね…」
「は?」
骸が思わず目を見張ると、綱吉は居心地悪そうにした。
「元々オレの家系であの会社を受け継いできたんだけど、オレはまだ18だし見習いだから、リボーンが代行で社長やってるんだ。あ、リボーンは父さんの友達でオレの家庭教師でもあって、小さい頃から知ってるから…気安いというか…外回りに付いて来てるのはただトラックを運転したいだけっぽいけど」
「18なんですか?」
「あ、そこ!?そこが引っ掛かるの!?」
「別にどうでもいいですけど」
「あ、うん…どうでもいいよね…」
はははと綱吉が乾いた笑いで表情をぎこちなくさせる。骸がはぁと大きく溜息を吐くと、綱吉は手を引き攣らせた。ここまでびくびくしていると本当にいじめたくなる。
それはそれとして、骸はメニューの写真に視線を滑らせながら他の事を考えた。
「間抜けな癖に社長なんて務まるんですか?」
「う…オレもそこが気になって…オレより優秀な親戚なんてたくさんいるのに…」
「そうでしょうね。しかも女装して合コンに行くなんて、社員が聞いたらどう思うか」
「あれは…!」
骸はそこでようやく視線を上げた。慌てた様な綱吉の視線を捕えると、「あれは?」と有無を言わせぬ強い口調で先を促した。
綱吉は溜息みたいに肩をしょぼんと下げた。
「あれは………仕事のノルマこなせなかったらやれって言われて…冗談かと思ってたんだけど本気だったっていう…反抗するとぼこぼこだからね…」
はははと綱吉はまた乾いた笑いを零した。骸はそれを聞いて一気に脱力してしまった。
何て単純明快なのだろう。難しい事などひとつもなかった。
あれだけ複雑怪奇で謎めいていた綱吉と言う存在が、まったく思った通りのただの馬鹿だった訳だ。
骸は思わず舌を鳴らす。
「くそ」
「え…!?な、何どうしたの…!?」
骸は頬杖を突いた手で目元を覆った。
暫く何も言わずにいる骸を、綱吉はそろっと見詰めているだけだった。
また少し間を置いてから骸は「分かりました」と言った。
「な、なにが…?」
ごもっともな質問に、それでも骸は高圧的に腕を組んだ。
「償え」
「つぐ、え、は…!?」
骸は苛立たしく前髪を掻き上げ、テーブルを拳で打った。綱吉はぴょんと跳ね上がり、少し離れた所にいた店員もびくっとする。
そして長い指で綱吉をびしっと指した。綱吉は銃でも突き付けられた様に勢い良く両手を上げる。
「お前は嘘をついて人を騙した」
「へ…!?いや、騙すつもりは…!」
「現に僕が騙されています」
「オレなんて相手にされるなんて思ってなかったから…!」
「黙れ!言い訳をするな!」
綱吉は引き攣る様に「はい!」と元気に返事をした後、所在なく瞳を彷徨わせた。
「あの…金銭的なのは無理だから…」
「は?」
「いや、だからさ…実家は確かにお金持ちの部類に入るのかもしれないけど、オレはアパート住まいで一切援助は受けてないし、給料だってもちろん優遇なんてされてないし」
骸の苛々とテーブルを弾き始めたので、綱吉は顔色も悪く目を剥く様にしてかちかちと上下する指先に釘付けになった。
「僕はお金に困ってません。高収入なので。外車に乗ってるので。高層階に住んでるので」
ぎりぎりと力を込めて言うと綱吉が「そうですよね」と消えそうな声で言った。
「じゃ、あ…どうすれば…」
「そうですね。とりあえず僕の気が晴れるまで」
すうと細められた骸の目に、綱吉はごくりと喉を鳴らす。
「最低でも週一で、僕と会いなさい」
舌打ちでもしそうなほど苦々しい表情で言い放った骸に、綱吉は大きく瞬きをしてから、みるみる内に目を見開いていった。
「えぇ…!あ、会ってどうすれば…!?あの、暴力はちょっと…!」
「はあ?いい加減にして貰えませんか」
「え、なにを…!?」
「だから、会って食事にでも付き合いなさい。費用は僕持ちで構わないので」
綱吉はぼんやりと大きく瞬きをした。今更だけど、茶色の瞳が硝子みたいだと思った。
「…それって…六道さんになにか良い事があるんですか…?」
骸が思わず舌打ちをするけど、綱吉は怯えないでどこか泣き出しそうな顔で真っ直ぐに見詰めてくるので、骸は些か面喰った。けれどすぐに眉根を寄せる。
「嫌ですか?」
「嫌とかじゃなくて…!だって、オレはご飯御馳走して貰えたり…悪い事がないのに…だから六道さんの言う償いになってるのかな…」
もごもごと言う綱吉に骸はむっと口を引き結び、遮るように言った。
「だから、僕の気が晴れるまでと言っているでしょう。いいから携帯を出しなさい」
「へ!?」
「連絡先」
「あ、うん…!」
綱吉はわたわたと携帯を取り出した。
胸の中のもやもやが、晴れる日なんてくるのだろうか。少なくとも今は、晴れる気がしない。
不思議そうに眺めてくるたった一人の客も店員も、窓の外を走る車も少しも視界に入らない。
ただ目の前の綱吉だけがやけに鮮明に瞳に映り込み、どうしてだろう、連絡先を交換するだけなのに、何だか妙にどきどきした。
2012.01.03
がんばれ…!