夕暮れ時の少し温い風が吹く。

工場の入り口の辺り、綱吉がぽつんと立っていた。
骸は一度足を止めるが、すぐに何事もなかったように歩き出す。
綱吉が骸に気付いてへらっと笑った。

いい加減工場地帯の外に連れ出してみたくなって、飽きたという理由で綱吉がいつも行く店に案内しろと言った。考えてみれば骸がセッティングしてもいいのだけれど、連れて行く店も適当に知ってはいるが、どれも気乗りしなかった。
自分の知っている世界に綱吉を連れて行くより、綱吉の知っている世界を見てみたいと思った。

案内されたのは工場地帯からほど近い一軒家の居酒屋だった。チェーン店ではない事は、古い暖簾や手書きのメニューからも分かった。
客層はいかにも肉体労働者といった風体の男性客がほとんどで、まだ少し早い時間にも関わらず席はほとんど埋まっていた。

きっと綱吉の勤め先の連中と来ているんだろうと思うと、何だか面白くない気分にもなった。

あのリボーンとかいう得体の知れない社長もこんな所に来るのか疑問に思ったけれど、自分の口から彼の名を出すのは面白くないので止める。どうせ食事中に一回は綱吉の口から彼の名が出るのだから。綱吉がリボーンの名を口にするのも面白くはないのだけれど。

「六道さん、飲まないの?」

目の前に置かれているジョッキの中身はふたつとも烏龍茶で、綱吉はおしぼりで手を拭きながら伺うように首を竦める。骸は憮然と睫毛を伏せる。

「一人で飲むほどアルコールが好きな訳ではないので。何でもいいんですよ、飲めれば。アルコールでも、ノンアルコールでも」

へ〜と綱吉が意外そうに目を瞬かせて言う。
綱吉は本当に分かり易いと思いながら、鼻を思いっ切り摘まんでやった。

「いひゃい!」
「良かったですねぇ」
「良くないよ…!」

微かに赤くなった鼻を押さえながら、綱吉は涙目で骸を見遣る。

「やっぱりこの店、嫌だった?」

ガヤガヤと騒々しい店内。大きな笑い声が響く。骸は頬杖を突いたまま、白く染まるジョッキに触れる。

「嫌じゃないですよ。食べ物が美味しい」

それは事実で、運ばれて来る料理はどれも柔らかな味がした。

綱吉が嬉しそうにふにゃっと笑う。

骸は分からないだけ目を見張って、すぐにむっと口を引き結んだ。

「別にお前を褒めた訳じゃないですから!」
「!?わ、分かってるよ…!」

骸は悩まし気に眉間を押さえると、無意識に溜息を落とした。綱吉はぴくんと体を跳ね上げてから、そろっと骸の顔を覗き込む。その視線に気付いて骸は睫毛だけを持ち上げた。

「六道さん、何か悩み事でもある…?」

骸は「お前のせいだ!」と叫びそうになったのを堪えて、眉を顰めた。

「なぜ?」
「え…!あー…なんか会うたびに溜息が深くなってる気がして…」

もごもごと言いづらそうにする割には核心を突いている。骸は眉間に皺を寄せたまま腕を組んだ。長い指をとんとん、と動かしてから口を開いた。

「気になる人間がいるんです」
「え、ええぇええ…!」
「そんなに驚く事ですか?」
「や、だって六道さん…」
「…」
「…」
「誰がナルシストだ!」
「オレは何も言ってないからな…!」

綱吉は顔の前に翳した箸袋の陰に隠れようと体を竦める。少しも隠れていないので呆れて何も言う気がしない。骸はまた強い溜息を吐いた。

「どんな人なの…?」

箸袋の陰からそろりと綱吉の目が覗く。正確には全部見えているので、覗く素振りだけだけれど。その瞳にはどうしてか恐怖が滲んでいるようにさえ見えた。怖い物見たさかと骸はまたむっとする。

「生ゴミのような人間です」
「な、生…生ゴ…」
「生ゴミです」

骸は綱吉の動揺をすっぱりと切って、はっきりときっぱりと言い切った。

「ひでぇ…」

青い顔で呟いた綱吉に、骸は鼻を鳴らす。

「沢田くんは人間に向かって君は人間ですね、と言う事に罪悪感を覚えるのですか?覚えませんよね。沢田くんに向かって沢田くんですね、と言うのは何も可笑しい事ではありませんよね。それならその生ゴミに生ゴミですね、と言う事も可笑しい事ではない」
「分かり易いけど、やっぱりひでぇ…!」

ますます顔色を失くした綱吉に「お前の事だ!」と怒鳴り散らかしたくなるのを抑えて骸は鼻を鳴らす。

「でもさ…そうは言っても気にするなら…嫌いじゃないって事だよな」

綱吉はぽつんと言うけれど、骸は今度は目を見開いた。

「六道さんは嫌いな人は気にしなさそう」

綱吉はぼうっとしているけど、案外人を見抜く力はあるのかもしれない。

「そうなんですよ」

骸は思わず体を乗り出す。
嫌いならそもそも気になんかしない。存在すら視界に入らない。
それならこうしてわざわざ綱吉とは会うのだから、嫌いとは言えない。
そこで骸はふと我に返る。

それなら何だと言うのだ。

「なんか…理由があって好きって認められないとか…?」

綱吉はうーんと唸りながら天井を見上げる。
骸は目の前が真っ暗になった気がした。

「ふざけるな!」

だん、と強くテーブルを叩くと食器が大きくがたんと揺れた。周りは騒々しいので大して目立たずにその音はすぐに埋もれて消えた。

「ちょ、落ち着けよ…!」

綱吉は慌てて食器を押さえて、骸は頭痛でも抑えるように肘をテーブルに突いて頭を押さえた。

「六道さんはその人の前でもこんな感じなの…!?」
「はあ…?」

目だけ持ち上げた骸のぎらついた視線にびくびくしながらも、綱吉は言葉を続ける。

「合コンの時と…雰囲気違うって言うか…もうちょっとなんか…大人ぽかったよな…」

骸はちっと舌打ちをするので、綱吉はびくっとする。

「そうですよ。その生ゴミの前ではこんな感じですよ。こっちの方が素ですけどね」

投げやりに言うと、綱吉は妙に明るい声を出した。

「あ、それなら結婚相手にいいんじゃない?素を出せる方が長く一緒にいられる気がする。…相手がどう思ってるか分からないけど」
「――……」

骸は顔を上げてから、ハッと我に返った。

「馬鹿な!」

両手でがん、とテーブルを叩き、その手で頭を抱える。

「ちょ、落ち着けって…!もう飲まない方がいいよ…」
「馬鹿言うな。ウーロン茶ですよそれ」

綱吉がそろっと骸から遠ざけたジョッキを取り返し、骸は絶望的な溜息を落とした。

(何て事だ)


じゃあ結婚してみますか?と言いそうになった。


(ただのプロポーズじゃないか…!)

骸は口惜しくもう一度テーブルを叩くと、綱吉は慌てて食器を押さえる。

「でもさ…そうやって好きになれるならいいんじゃない」
「…」

骸が緩く顔を上げると、綱吉は情けない顔で笑っていた。

「…沢田くんは彼女は…まぁいないでしょうね」
「う…いないよ」
「モテないでしょうねぇ」
「うるさいな…」

綱吉はおてふきでジョッキから流れた水滴を静かに拭く。

「前にこっぴどく振られた事があってさぁ…もういいかなって感じ…」

へへ、と綱吉が珍しく寂しそうに笑う。


骸は酷く腹が立った。


綱吉の過去に自分がいない。



2012.6.17