どことなく気持ちが揺れる。
外の空気は温いままだった。

風が吹く度にゆらゆらと靡く綱吉の淡い色の髪にちらと視線を落とす。
見下ろしたら思いの外睫毛が長くて気を取られていると、不意に綱吉が骸を見上げたので思わず瞬きをする。
綱吉は釣られる様に瞬きをしたけれど、それに関しては何も言わなかった。

「何ですか?」

骸は居た堪れなくなって少し攻撃的に言葉を発すると、綱吉は怒られた子犬の様に眉尻を下げた。

「う…」

言葉と一緒に動きまで止めてしまった綱吉に、骸も止まって腕を組んだ。
風が吹き抜ける。髪が大きく揺れた後、綱吉は骸を見上げた。
まっすぐな瞳に骸は心の奥で狼狽した。
けれどそれはほんの少しの間だけで、綱吉はすぐにうろうろと視線を漂わせた。

「オレは…あー…合コンで会った六道さんより、今の六道さんの方がいいと思います…」

ぼそぼそと気まずそうに言うので悪口でも言われているのかと思ったのはきっと、骸の思考が追い付かなかったから。

「六道さんが好きな相手がどう思ってるか知りませんけど!」と言って綱吉はじゃあ、と足早に歩き出した。
骸は目を見張ったままそのどこか慌てている様な綱吉の後ろ姿を目で追った。
温い風が吹く。

「君の部屋に行きたい」

弾かれた様に振り返った綱吉に、骸はハッと我に返った。綱吉は大きく瞬きをする。
何を言っているのだと嫌な鼓動が胸を支配した時に、綱吉の唇が動く。

「うん、いいよ」
「いいのか…!」
「え、だめ…!?」

骸はハッと我に返ると咳払いをした。

「この近くと言ってましたよね」
「うん。あ…あー…でも部屋の中凄く汚いんだけど…」

骸はむ、と口を引き結ぶ。

「一度いいと言ったのだから、そんな言い訳通用しませんよ」
「や…!そういうつもりで言った訳じゃなくてホント汚くて…怒らない?」
「なぜ僕が怒らなければならないのですか」
「じゃあ怒るなよ、絶対…!」

綱吉が念を押しながら案内する様に少し前を歩く。
錆びた外灯の色よりも、月明かりの方が鮮明に思えた。

骸は大人しく綱吉の少し後ろを歩く。

あまりにもあっさりと綱吉が頷いたので反射的にそう言ったものの、男同士なのだから、部屋に上がったからと言って何がある訳ではない筈だ。
何を勘違いしていたのだろうと骸は嘲笑う様に口元を歪める。

まったく馬鹿馬鹿しい。

そう気付けば後は何て事無い。
骸は足取りも軽く綱吉の後ろをゆっくり歩いて行く。


けれども骸は他の事を読み誤っていた。


数回会った程度でも分かるくらい、綱吉は少しだらしない所がある。

例えばジーンズの後ろに一部だけTシャツが入り込んでいても気付いていなかったり、ボタンを掛けちがえていたり、口に運ぼうとした料理を箸からぽろぽろ落として服を汚したりと、ちょっと鈍臭い。
だから、部屋も汚いんだろうな、とは何となくだけど思っていた。
汚いと言っても限度はあるだろうとも思っていた。

けれど人間のすべてに限度がある訳ではないのだ。


骸は人生でほとんど初めて絶句した。


言っていた通り、思っていた以上に、部屋が汚い。
狭い部屋の中は物がとっ散らかって床が見えない。恐らく自社製品と思われるペットボトルが入っているダンボールが秩序なく積み重なっている。捨て損ねたのかゴミ袋が玄関に何個も置いてある。悪臭がする訳ではないのがせめてもの救いだ。

「ちょっと待ってて」

綱吉は忙しなく部屋に上がって、足先で物を雑に散らした。底にクッションらしきものが覗く。

「…そこに座れと言う気ですか?」
「へ?うん…」

骸は玄関に突っ立ったままこめかみを押さえた。

「ベッドの上に座ってもいいですか?」
「あ、うん!どうぞ」

どこに足を置いていいのか分からないので、もう遠慮なく踏んで歩く。
綱吉も特に気にしていない様で、ベッドの上の洗濯物を端に寄せて骸を迎えた。
骸は溜息と一緒にベッドに腰を下ろした。綱吉がテレビの電源を入れたので、緩い空気の映像が画面に流れ始めた。

「よくここで生活出来ますね」
「う…帰って来たら疲れて寝ちゃうからさ…」
「こんなに部屋を汚くしていたら、社長に怒られるのでは?」

テレビを見るふりをして綱吉を視界の端に捕えると、綱吉の背中がびくんとしたので自分で言った事なのに面白くない気持ちになった。

「な、内緒にして…」
「どうしましょうね」

骸は足を組んで鼻を鳴らす。綱吉はその足元に転がる様に座り込んだ。

「お願い…!内緒にして…!」

必死に懇願する綱吉の額を指で弾くと、ぱちんととてもいい音がした。

「いてっ」
「僕とあの男がどこかで会う筈ないでしょう。そもそも接点がないのだから」
「あ、そか…」

綱吉が弾かれた額をすりすりと撫ぜる。捲れた前髪から覗いた額は淡いピンク色に染まっていた。骸は目を見張る。テレビから笑い声が溢れ、骸はさり気ない仕草で視線を逸らした。

「あ、飲み物これでいい?ウチの会社のだけど…」

綱吉は手に持っていたペットボトルを差し出した。骸は片方の眉を持ち上げて綱吉を見上げ、それを受け取る。鮮やかな緑色のラベルには見覚えがある。

「…これはたまに飲みますよ」
「ほ、ほんと…!?」

甘さが控え目の炭酸飲料はなかなかないので素直にそう言うと、綱吉が嬉しそうに笑うので骸は思わず顔を逸らした。開け放っている窓の縁でカーテンが揺れた。

「オレも結構好きなんだーこれ」

ぷしゅ、と炭酸の抜ける音が隣でして、トスンとベッドが揺れた。
スプリングで弾む様にして、綱吉の体が骸にぴとりとくっ付く。じんわりと広がった体温に目を見開いた骸は、反射的に綱吉をベッドから蹴り落とした。

「いてっ」

尻もちを突いた綱吉が短く声を上げると、骸は更に綱吉をげしげしと蹴った。

「下僕の分際で僕の隣に座るとは浅ましい!」
「え、ええ…!いつからオレは六道さんの下僕になったの…!?」
「産まれる前からですよ」
「そんな前から…!?」

骸は深く溜息を吐いた。
リボーンと綱吉は小さい頃からの知り合いだと聞いていたので、張り合ってしまった。

産まれる前から、だなんて何て子供じみた台詞を吐いたのだろう。

骸はもう一度溜息を落とすと一気に立ち上がった。綱吉がぽかんとした間抜けな顔で骸を見上げる。

「帰ります」
「え…!もう!?」

その言葉にまた心が波立ったのだけれど、骸は口を引き結ぶと玄関に向かった。

「怒ってる?」

綱吉が小さな動物のように後ろをついて来る。骸は緩く眉を持ち上げて、肩越しに見遣るものの、靴を履くのを止めなかった。

「だから、何故僕怒らなければならないのですか」
「え、あ、そうか…あ、駅まで送るよ」

狭い玄関だから体が触れる位置で綱吉がスニーカーを潰すように履く。

「大丈夫ですよ。すぐそこでしょう」

骸がガチャリと扉を開くと目の前の線路に電車が走って行った。
線路沿いの綱吉のアパートの廊下から、煌々と明かりの点る駅が見える。歩いてほんの2、3分の距離だ。

「あ…うん」

しゅんとした綱吉は本当に子犬みたいだ。

「じゃあ、次来る時までには部屋、綺麗にしておくな…」

骸は大きく瞬きをしてから振り返った。

「……次?」
「うん」

骸はふと我に返り、階段を下り始める。

「分かりました。楽しみにしてます」

言って振り返ると綱吉は体の半分を玄関から外に出し、骸を見ていた。骸は一度足を止める。

「…沢田君から誘ってもいいんですよ?」

下りの電車が横を通り過ぎる。

「え、あ…いつも奢って貰ってるから、オレから誘うのは悪いかなーって…」

(…やっぱり)

骸は短く思う。

「構いませんから。お前に心配されるいわれはない」
「う…わかった…」

綱吉はゆっくり視線を上げる。
淡い色の瞳が光りを乗せて、笑う。

「じゃあ、またな」
「…ええ」

カン、カン、と階段を下りて行く。

風は相変わらず温い。

また横を電車が行き過ぎる。

革靴が地面を弾く度に心の奥がじりじりする。

(また、次)

また、会う。

子犬みたいな目。
感情を隠しもしない表情。
馬鹿みたいにすぐに謝る。
風に揺れる淡い色。

反芻する。

不思議だ。


じりじりとする所がくすぐったくもある。


2012.07.23