(案外目立つものだな)

骸はサングラス越しにあたりを見やってそう思った。
目前に海が広がる観光地はカップルと家族連れが目立つ。

どちらかでもスーツなら仕事中にも見えるかもしれないが、そもそも私服の男二人がテラスでお茶なんてしているのは珍しいのかもしれない。いつもは骸はスーツだし、凝った場所には行ってなかったから気付かなかったけど、さっきからちょろちょろと視線を感じる。

目の前の綱吉は何も気にせずケーキを食べているので、急に脱力する。

「…のんきですよねぇ」
「う…?」

ちょうどケーキを口の中に運んだばかりだった綱吉が微妙な返事をするので、骸はますます瞼を落とした。

「食べないの?」

綱吉がきらきらした目で骸のケーキを狙っているので、骸は皿を持ち上げさっと避難させる。

「食べます。そんなに食べたいなら一個でも二個でも追加していいですよ」
「あー…じゃあ、頼む。六道さんは?」
「食べます」

メニューを覗き込みながら、もうこの際だと思った。

「そんなにケーキが好きなら今度ホテルのデザートバイキングでも行きますか?」
「え、行く…!いひゃい!」

あまりにも目をきらきらとさせて見上げてくるので思わず花を思い切り摘んでやった。
うう、と唸って涙目になる綱吉をよそに骸はメニューに視線を落とす。

休みの日にわざわざ会うなんてどうかしている、と自覚しながらも、綱吉が臨海のカフェに行ってみたいなんて言うから車まで出してしまった。
それが嫌々なのかと言ったらそうじゃないから、骸はもやもやして仕方がない。
難しい顔をしていると、綱吉がそろりと見上げてくる。

「…上手くいってないのか?」
「はい?」
「その、好きな人と…」

しん、と沈黙が落ちる。
綱吉は睫毛を伏せてどことなく気まずそうに口を引き結んでいる。
なんだか苛々した。

「沢田くんには関係ないでしょう」
「う…まぁ関係ないけどさ…たまに急に元気なくなるから気になって」

骸はむっとする。
きっとその綱吉が言う元気がなくなる瞬間というのは、綱吉の事を考えてもやもやしている時の事だ。

「元気がない訳ではありません。そいつの事を考えているとムカムカしてくるだけです」
「え、えぇ…!それって本当に好きなの?」
「さぁ。ほら、さっさと頼みますよ」
「あ、うん!」

話を無理やり切り上げて店員を呼んだ。

波の音がやたらと煩い。潮の香りに混る甘い匂いが胸の中を余計に混乱させた。


ぷらぷらと海岸を歩く。砂浜はもうほとんど人がいない。
目的がカフェしかなかったので時間が余るかと思ったが、なんとなく並ぶ商店に立ち寄ってみたりしたら、時間はあっという間に過ぎた。
色を濃くした光はそろそろ夕陽に変わる。
波のひだは黄色い光を浴びて反射する。
穏やかな時間だと、素直に思った。

「あ、そうだ。家来る?」

不意に綱吉が骸を見上げる。波の音が大きく聞こえた気がして骸は目を見張る。
綱吉はその些細な反応には少しも気付かないで、瞳の中に骸を映し込んだ。

「掃除したんだぞ」

綱吉が珍しくどうだ、と言った風に胸を張るので骸はふと我にかえると、風で露になった額を指で弾いた。

「いてっ」
「掃除は当たり前です」

言い捨てて骸はすたすた歩き出した。そしてぽかんとしている綱吉を振り返る。

「沢田くんの家に招待された気がしたのですが、行かないんですか?置いて行きますよ」

綱吉はぱっと背筋を伸ばして慌てて骸の後を着いて行った。
隣に並んで「驚くなよ」と綱吉が得意気に言うので、骸は無言で額を弾いておいた。


部屋に入ると綱吉が「どう?どう?」と小動物の様に纏わりついてくるのを見下ろして鼻で笑う。

「まぁ、この間よりはマシですよ」
「だろ!」
「…」

骸はすっきりとした床に足を下ろしずかずかと遠慮なく部屋に上がると、無言で押入れのふすまを開けた。

「わ!ちょっと、ま」

綱吉は慌てて制止したものの、押入れから物が雪崩落ちてくる方が早かった。雪崩はぐしゃあ、と伸びて骸の足元を埋めた。

「どうせこんな事だろうと」
「掃除は…した。あ…!ちょっ、蹴るなよ…!」

骸は爪先で荷物を蹴散らかす。

「片付いてないですよ」

慌てて止める綱吉の額を弾いてから、やれやれ、と骸は呆れた溜息を落としてベッドに座った。

茜色の夕陽の中でカーテンがふんわりと舞う。潮の香りが漂った気がした。

ふと視線を落とすと足元で綱吉が骸に向かって正座をしていた。思い詰めた様な顔に何事かと思ったけど、結局はその様が面白かったので吹き出した。

「何してるんですか」

笑って言うものの綱吉は表情を崩さないので、骸は怪訝に眉根を寄せた。

「なんか…ホントごめんな」
「はあ?別にお前の部屋が散らかってようがなんだろうがどうでもいいですけど」
「や、違くて…」

うつむいた綱吉の頬も茜の色に染まる。

「ほら…オレが女装してさ…六道さんの事傷付けちゃったなら、本当にごめんって、思うんだ…」
「…」

別に八つ当たりをしている訳じゃあない。
そうは思っても骸は無言のままだった。

本当はもうそんな事どうでもいいのだ。いや、厳密に言うと最初からそんな事はどうでもよかった。ただ体の奥にぐずぐずと燻るもやもや苛々したものが晴れればそれでいいと思っている。
けれどそれが晴れる日がくるのか分からなくなってきている。

もやもやとしたものは日増しに大きくなり、苛々は募るばかりだ。

「本当に悪いと思ってるんですか?」

それでも骸は責める言葉を吐いた。

「思ってる…!思ってるよ…」

それなら土下座しろと言ってからかって、本当にされた所を想像してみても、気持ちは少しも晴れる気がしない。
それなら一体何がいいのかと思考を巡らせた時、ひとつの可能性に辿りついた。

「キスさせろ」

骸の高圧的に吐き出された言葉に綱吉はぱちんと大きく瞬きをしてから、夕陽の中でも分かるくらいばあと頬を真っ赤にした。

「な…!キ、キスって…!え、あ、あのキス…!?」

骸はふんと鼻を鳴らす。

「そうですよ。口と口を付けてぺろぺろと舌を舐め合うあれですよ」
「な、あ…!」

真っ赤なまま思わず口を抑えた綱吉を、骸は酷く冷静な目で見ていた。

(馬鹿らしい)

そうだ。まったく馬鹿らしい。

どうして綱吉なんかとキスしなければならないのだ。

思った事を口にしようとした時、綱吉がそろりと立ち上がった。
骸は思わず言葉を飲んで、見張った目でその姿を追った。
綱吉は立ち上がった時と同じくらいそろりとベッドに腰を下ろす。その頬が一層赤くなった気がした。

「そ、れで…六道さんの気が済むなら…」

ほらね綱吉ならそう言うと思った。

骸は更に目を見張った。


そう言うと思った?


それなら自分だって、はじめからキスするつもりだったんじゃないか。


言って綱吉はちょっと俯くとぎゅうと目を閉じた。

そんなんじゃキスしづらいじゃないかと見当違いの事を思った。
骸は口を開きかけて結局何も言えなかった。

まったく馬鹿げていると言って、その鼻面でも叩けばこの状況は終わる。

終わるのだ。

すぐそこを走っている電車が線路を滑る音が、ひぐらしの鳴き声が、やたらと大きく鼓膜を揺らしている気がして酷く耳障りだった。

また口を開きかけた時、綱吉のお腹がぐう、と鳴った。
骸はぱちんと瞬きをする。
綱吉はあ、と短く声を零し、そしてそろっと顔を上げた。

「お腹空いちゃった…」

綱吉が情けなく眉尻を下げてふにゃんと笑う。

その表情に体の奥から湧き上がるものがあった。

気づけば骸の腕は綱吉を抱き寄せて、逃がさないようにと少し華奢な項を掌で掴み、唇を重ねた。

柔らかい感触にぐにゃりと世界が歪む。

固い歯をくぐり抜け、舌を捕まえる。

合わさった舌の粘膜がぬるりとして、骸は更に強く舌を合わせた。

綱吉は驚いたのか反射的に骸の手首を掴んだが、抵抗はなかった。
ただぎゅうと握り締められて体の奥が痛くなった気がした。

緊張した綱吉の舌は固いけれど、粘膜の感触がやたらと気持ちよく思えて骸は執拗に舌を絡ませた。

(マズイ…)

頭の片隅で思う。
これ以上していたら口を離せなくなってしまいそうだ。


口を離せなくなったら、後は肌が欲しくなるだろう。


骸はハッと我にかえると綱吉をぺっと床に捨てた。

「いて…っ!」

床に転がった綱吉を見もせずに骸は玄関に向かった。

「帰ります」
「え…!何で…!?」

骸は大きく目を開いて振り返ると、綱吉は何も分かっていないように骸を見上げていた。
その目が悲しそうに見えるのは、自意識が過剰だからだろうか。
骸は奥歯を噛む。

「ここにいる理由もないでしょう」
「そ、そうだけど…!」

骸は靴を履くと神経質に眉根を寄せて綱吉を振り返った。

「次はデザートバイキングでいいですね?」

綱吉はぱっと目を開く。

「うん!」

何て事だ。

骸は絶望に似た感情を抱いて外に出た。

そのまま振り返るもせず駐車場まで歩く。

乗り込んだ車は蒸していたけど、骸は気にもせずドアを閉める。

見上げた先で暗くなった橙の空の中でちかちかと外灯が灯る。

(何て事だ)

そして骸はハンドルに額をこつりと付けた。


欲しいと思ってしまった。


2012.08.09