まさか男が気になるなんて。
キスして以来、綱吉の唇の感触がどうしても離れない。
柔らかくて濡れていて、思い出す度止め難い衝動に駆られる。
その度骸は(くそ)と思ってまた止め難い衝動、今度は怒りのようなものがこみ上げてきてどうしようもなくなる。
一人の人間にここまで感情をかき乱されたのははっきり言って初めてだ。
それはそれはとても悔しい。
しかも相手が綱吉となれば余計にそう思える。
このまま連絡しなければ、すべて解決するのではないかと思う。
けれどこのまま綱吉から連絡がこなかったらそれはそれで腹が立つのだ。
(くそ、なんなんだ)
骸は夕日に沈み始めた街を高い位置からぼんやり見ながら機嫌悪く眉根を寄せる。
「…」
だったらいっそ、犯してやろうか。
(いや、おかしいだろ)
骸は頭を抱えたくなった。
何なんだろう、沢田綱吉という存在は。
「おい、六道」
「外道だ!」
骸は頭痛でもしている様にこめかみに指を宛てがった。じろと目だけを後ろに向けると、リボーンがオフィスの入口に寄りかかり、にやにやと笑っていた。
「うるさいですね…」
「オレは何も言ってねぇけどな?」
「存在が煩い」
暴言も一切気に留めた様子もなくリボーンはくくと笑う。
「君は暇なんですか?」
「暇じゃねぇよ。ここにもちょいちょい用事があってな」
ところで、とリボーンは仕切り直すが、にやにやとした笑は引いていない。
「ウチのツナに何かしたのか、てめぇは」
骸は眉根を寄せたまま緩く片眉を上げた。
「…はい?」
「てめぇらのケツの穴の事情なんざ心底どうでもいいが使い物にならなくなるのは面倒くせぇんだよ」
「ちょっと待ちなさい」
今度はリボーンが緩く片眉を持ち上げた。
「僕と沢田くんはそんな関係ではありませんよ」
「なんだよ、セフレじゃねぇのか?」
骸は口元を引き攣らせた。
「…あのねぇ…男同士だという事を忘れてませんか」
「前にベッドでどうのって言ってたのてめぇだろ」
骸はひとつ息を吐くとごく自然に口を開く。
「それとも沢田くんはそっちの趣味なんですか?」
「知らね」
リボーンはあっさりと一蹴する。
「興味がねぇ」
次いできっぱりと言い放ったあと腕組みをするも、笑は崩れないので骸は眉を潜める。
「彼が使い物にならないのは僕のせいではないでしょう」
「まぁな。ただそれに加えて連絡がねぇだの鬱々とされると鬱陶しいって言ってんだ。切るなら切るでハッキリしろ」
「切るも何も」
「いちいち煩せぇ野郎だな。はいはいっつてりゃいいんだよ。じゃあまたな」
終始余裕な態度が癇に障る。
けれども胸の奥にふつふつと湧き上がるものがあった。
考えるよりも先に携帯に手が伸びる。
3回目のコールで通話音が鳴った。
『ろ、六道さん…!』
電話の向こうの綱吉が思った以上の反応で、骸は思わず目を丸くした。
「連絡が来ないと言ったって、たかだか一週間じゃないですか」
『え、え…!?リボーンと会ったの…!?』
何て事だ。思った以上に気分がいい。
けれど骸にとっては一ヶ月より長い一週間だった。
綱吉と会う日に何かを察知したのか、シャマルがどこにでもいいからとりあえず押し倒しておけと余計な事を言ってきたので、骸はなんて事をこの男に言ってしまったのかと後悔はした。
でもそれは一理ある。
キスだって綱吉は嫌がらなかった訳で、もしかしたらその先だって、と思って思考を止める。
(いやいや、男だろ)
骸は階段を登っていく綱吉の後ろ姿に視線を向けた。ちょうど目線の高さくらいに男らしい平たい尻があったので思わず殴る。
「いてっ!な、なに…?」
反射的に尻を抑えながら、綱吉がびくびくと振り返る。
なんかもうイライラする。
「別に」
吐き捨てて言うと綱吉は眉尻を下げて不思議そうにするものの、特に何も言わない。どうして骸がそんな行為に及んだのかとか何故自分がそんな事をされなければならないのか、気にしていないのだろう。ここまで流せる人間もそうそういない。心が広すぎるのかただの馬鹿なのか、検討もつかない。
「帰ります」
「え…!?」
「…」
「…」
しばし目を合わせたままでいた。街灯の白い光がじじと揺れる。
振り返った綱吉は悲壮な表情をしている、ように見えてしまう。骸は静かに腕を組んだ。
「何ですか。もっと僕といたいんですか?」
「う…だって、最近は夕飯食べた後は大体オレの家に来てただろ?」
「だからと言って今日も行くとは限らないじゃないですか」
綱吉は眉尻を下げている。余計にいじめたくなってしまうのは元々の性なのか。けれど骸としても気持ちが急いでいる自覚はあった。
知りたい。
「まぁここまで来て帰るのもね」
そう言って見上げた先には綱吉の部屋の玄関が見える。
綱吉がへにゃっと笑うので、胸の奥がじくじくとした。
先導していた綱吉が玄関の鍵を開ける。後ろ姿の耳元に、廊下の明かりの淡い光が乗っている。
(別に何を期待している訳でも)
綱吉の手がドアノブに掛かる。
かちゃりとつかえが外れる音に鼓動が重なった気がした。
風がゆったりと吹き抜けて、綱吉が振り返った。
「どうしたの?」
ふと瞬きをして我に返ると綱吉はもう靴を脱いで玄関に上がっていた。
やっぱり帰ると言うのはしょうに合わない。
「帰ります」
けれどもやもやとした気持ちのまま強引に事を進めるのは酷く嫌な気がした。
「え…!?なんで!?」
思い込みでも綱吉の寂しそうな顔は見たくなかったので、骸はすぐさま踵を返した。
その勢いのまま階段を降りて行く。
ドアの閉まる音がしない。
電車が横を通り過ぎる。
振り返らなければいいのに、気になってつい、振り返る。
綱吉は靴下のまま玄関先に立って、緩く開いたドアの間に立っていた。
眉尻を下げて、とても寂しそうに見えるのは、思い込みなのだろうか。
そうは思っても骸はすでに階段を駆け上がっていた。
綱吉が驚く暇もなく玄関に押し込んでドアを閉める。バタンと騒々しい音が鳴った。骸は乱暴に腕を掴むとその勢いのまま壁に綱吉の体を壁に押さえ付けた。綱吉の髪が強く揺れる。
窓からの入る淡い明かりだけが部屋の輪郭を縁取る。一瞬だけ世界が静かになった。
骸はどうしてか苛々としている。綱吉を睨みつけるようにして顔を近付けた。綱吉はほの暗い中でも十分分かるほどに驚きと戸惑いに目を開いている。
「…君、僕の事が好きでしょう…?」
ぴくんと綱吉の睫毛が震え、顔を逸らされたので骸は余計にイラついた。
「僕の事が好きですよね」
俯いた綱吉に問い掛けというよりは頷くための言葉を吐く。綱吉はゆるゆると瞼を持ち上げたけどまつげは下を向いたまま、その瞳は骸を見上げなかった。骸は奥歯を噛む。
「分から…ない」
綱吉の睫毛がぎゅうと頬に押し付けられる様まで見えて、骸はまた奥歯を噛んだ。
「分からないとは?」
強く責め立てる口調で言うと、綱吉がぴくんと体を揺らしたのが腕に伝わった。
「分からない、よ…だって、六道さんは、男だし…」
そんな事は分かっている。
「でもその気がないのなら、男が好きな訳がないとハッキリ言う筈でしょう。僕なら言いますね」
骸は薄く息を吸っただけで言葉を続けた。
「こっぴどく振られた事があると言ってましたよね。それなら女が苦手になったって…おかしい事はないじゃないですか」
まくし立てる様に言葉を吐いて何を言っているのだろうとどこかで思って、けれど骸は止めなかった。止められなかった。
「君は!僕が好きだ!」
らしくない骸の大きな声に綱吉は目を更に大きくさせてぽかんと口を開けた後、すぐにぎゅうと唇を噛んだ。
「六道さんは…どうなんだよ…!急にキスしたり…!」
お互い眉根をきつく寄せて睨み合って、これじゃあ喧嘩が始まりそうだ。
骸は更に眉根を寄せ、綱吉の両頬をわし掴んだ。むにゅっとなった間抜けな顔の酷く近い距離からはっきりと言った。
「知るか!」
言った勢いのままキスをした。
ほんの少し間が空いただけなのにその感触を懐かしくさえ思った。
骸の胸元を強く掴んだ綱吉の手に一層力が入った。少しも間を置かず舌を差し入れて綱吉の舌を弄る。
やけに丸みを帯びている舌を唾液を伴わせて辿る。されるがままの舌はやがてたどたどしく応え始め、骸はそれだけで気持ちがいいと思った。
2012.10.3