変わらない速度で走る汽車の窓には燦然と輝く月が浮かぶ。
同じ車両に乗る人はなく、ジョットは密やかな夜に身を任せそっと瞼を落とした。
車輪とレールの軋む音。
窓から零れる風の静かな唸り。
しかしジョットは目を開いた。
途端ずぶりと鈍い音を立てる風。
ぐずぐずと泥が沸き立つかの様な不快な音が月を、景色を飲み込み消してゆく。
汽車は何かに絡め取られる様に速度を落とし、やがて止まった。
目の前の車両はいつしか消えて、広がるのは虚ろな空間ばかりだった。
静かに振り返ったジョットの燃える様な瞳に映ったのはやはり車両ではなく、鈍い色の曖昧な空間が広がるばかりだった。
けれどジョットは落ち着き払って静かに前を向いた。
「デイモン」
当たり前の様に名前を呼べば、空間が微かに軋んだ。
「お一人ですか?」
どこからともなく響いた声に、ジョットは口元を緩めた。
「ああ。もう護衛を必要とする立場ではないんでな」
「知ってますよ、プリーモ」
ずるりとブーツの足先が目の前に現れて、瞬きの間にデイモンが地に足を着けて立っていた。
ゆったりと微笑んだ唇に、ジョットもふと笑う。
「いいえ、もうただのジョットですね」
「その通りだ。お前が一番よく知っているだろう」
「日本に行くらしいですね」
「ああ。長旅になる」
「日本は四季がある小さな島国」
柔らかく目を細めたデイモンに、ジョットはまた少し笑う。
「日本が好きか?」
「いいえ、嫌いです。大嫌いです」
カタンと小さな振動を起こし、汽車がゆったりと走り始める。
「貴方が行く場所だから大嫌いです」
金属を擦る音が響き、音はやがて細くなり消えた。窓の外を流れる風景は変わらずに鈍い色だけだった。ジョットは静かに瞬きをしただけで、特に微笑むのを止める気配はなかった。
「随分と嫌われたものだな。この汽車は何処へ行くんだ?」
デイモンはこつんと足を一歩前に出した。
「地獄かもしれませんね」
くす、と笑う。
ゆったりと木の床を踏みまた足を前に出す。
「デイモン」
ジョットは穏やかにその名を呼ぶ。
揺れる汽車に緩く身を任せ、デイモンはまたジョットへ向かって歩を進める。
「お前がいつも言っていた様に、『勝ち』『負け』で言うのならばお前が『勝った』んだ、デイモン。お前の望んだ通り、オレはボスの座を退く」
揺れたデイモンの腕が座席にぶつかるが、気にする素振りもなく緩く歩く。
ジョットの燃える様な色の瞳がただデイモンを映す。
「それなのに、何故」
ジョットの目の前に立ったデイモンは、力なくその場に膝を落とした。
淡い水の色の髪が揺れて微かに顔を隠す。ジョットはその様を静かに見詰め、倒れ込む様にジョットの膝に顔を乗せたデイモンの髪にそっと触れ、掌が頬に滑る。
「何故、そんなに泣いているんだ」
頬に添えたジョットの掌に、温かな涙が止め処なく伝う。
「…泣いてなど、いません」
言った傍からデイモンの揺れた睫毛の先から涙が落ちる。ジョットは慈しむ様にそっと目を細めた。
何処に居るとも知れない汽車が二人だけを乗せて走る。
「オレはもう、イタリアには帰らない」
呼吸もままならない様にデイモンは吐息を震わせた。
「日本は遠い。もうお前に会う事もないだろう。だから、もっとちゃんと顔を見せてくれ」
デイモンは辛く眉根を寄せて、ジョットの膝に頬を擦る様にして顔を伏せた。
「……嫌です」
「デイモン」
「そんな事を言うのなら、絶対に顔なんか見せません」
歯の奥をきつく噛み合わせて、デイモンは喘ぐ様に言葉を吐いた。
「貴方は…!悔しくないのですか…!部下に裏切られボスの座を失くしたのに…!」
ジョットは悟られないくらいに微笑み、今はもう頬すら見えなくなってしまったデイモンの髪を柔らかく撫ぜる。
「これが時の流れだ。もしオレがまだボンゴレに居るべき存在なのならば、お前の目論見は全て成し得なかっただろう」
「どうして…!悔しくないんですか!」
「悔しいさ」
ふと目を見開いたデイモンの赤に染まった目尻から涙が落ちる。
「お前の恋人の座から滑り落ちたのが悔しい」
息を止めたまま顔を上げたデイモンの滲んだ視界の中で、夕日よりも切なく朝焼けよりも確かなオレンジの瞳が、それはとても柔らかく笑った。
デイモンはただ見惚れる様にぼんやりと見上げていると、ジョットのふたつの掌が涙の伝う頬を優しく包んだ。
「捕まえた」
ジョットはまた柔らかく笑った。
窓の外に、空のオレンジが溢れ、二人を照らす。
「デイモンが、これからのボンゴレを支えるのだろう?任せたぞ。滅びるも栄えるも好きにしろ」
瞬きをしたデイモンの瞳は子供の様な色を宿し、ジョットを見上げている。
「だが、お前が道を外した時には、オレがお前を迎えに行こう」
瞳が涙の膜の中で揺れる。そしてぽつりと零れる。
「……私が悪い事をしたら、貴方が来る…?」
ジョットは静かに首を振った。
「履き違えてくれるな、デイモン。道を外せと言っている訳ではない」
頬を覆っていた指先がそっと伸びて、デイモンの髪を分ける。
露わになった額に、ジョットはそっと己の額をぶつけた。
酷く近い距離でジョットの瞳が光りを弾き、デイモンは息を詰める。
「離れていても心は寄り添っている」
デイモンが目を見開くと、ジョットは静かにその唇にキスを落とした。
離れていく唇を目で見詰めていたデイモンは表情を険しくし、追う様にジョットの肩を掴むと背凭れに強く押し付けた。
ジョットの髪が強く揺れる。
窓が一斉に細かく強く揺れ出し、いつの間にか外は酷い嵐だった。
「それが本当なら…!」
掴んだ肩のスーツに強い皺が寄る。
ジョットの目の前でデイモンが苦しそうに表情を歪める。
「今ここで抱いて…」
瞳を細めたジョットがデイモンを抱き寄せて唇を強く重ねた。
「…貴方は私を置いて遠くに行ってしまうの」
微かに離れた唇の隙間で未だ泣き顔のデイモンが小さく呟く。
擦れ違った道はいつかどこかで重なり合うのかもしれない。
けれど確信もないままに応えなど出なかった。
ジョットは応える代わりにその体を抱き締める。
2011.07.06
スペたんって自分では冷静沈着とか思ってそうだけど、絶対情緒不安定だと思う。
それでジョットはそんな所も可愛いなぁとか思ってて、周りはドン引き。
スコールっていう缶ジュースを見掛けてここまで妄想しちゃったんですドン引き。