*「オレのメリットならあるぞ」
玲瓏なオレンジの瞳がゆったりと綱吉を見詰める。綱吉は思わず狼狽した。
「オレが面白い」
「え、ええええ…!」
目を剥いた綱吉を涼しげな顔で眺めているだけのジョットに、どうしても勝てる気がしない。かと言って、悪魔の様な捜査官と国際的な凶悪犯を追うなんて、想像しただけで胃に穴が開きそうだ。ジョットは顔色悪く吐き気を催している綱吉を眺め、静かに背凭れに寄り掛かった。
「いいだろう。お前の言い分も聞いてやる」
「え…!」
どんな気紛れかと思うが、聞いて貰えるのなら言うだけ言ってみようと綱吉はぐっと吐き気を堪え、口を開いた。けれどじいと見詰めてくるジョットの瞳から逃れる様にふよふよと視線を漂わせる。
「研究所に行って、サイバーの捜査官としてもっと深い知識を得て、専門的にそちらの捜査に集中したいと考えてまして…」
かちゃかちゃと音がする。メモでも取ってくれているのだろうかと思うと、何だか居た堪れない気持ちになって、綱吉は更に視線を彷徨わせた。
「あー…今の様に雑用まで押し付けられると中々…いえ、今のはちょっと言葉の綾で…研究所のある片田舎でのんびりと…って言うのも言葉の綾なんですけ」
かちゃかちゃと鳴り止まない音に視線を向けた綱吉は、ざあと顔色を失くし完全に動きを止めた。
ガチャンと最後の装備を終えたブレダM37重機関銃は大袈裟な三脚に支えられ、その大きな銃口がたった三十センチ先で綱吉を狙っていた。これじゃあ比喩ではなく本当に頭が木端微塵だ。ジョットは何でもない様に顔を銃身に添え、狙いを綱吉に定めている。
「ほう、それで?」
「イエ、何デモアリマセン…」
固まった表情のままぎこちなく返事をし、綱吉ははははと引き攣った笑い声を漏らした。
「あ、そうだ…六道さんの所に行こうかな〜…えー…っと、今どちらにいるか知ってます…?」
顔まで引き攣らせた綱吉は乾き切った喉で何とか言葉を吐いた。ジョットが体を起こしたのでほんの少しだけ安心をする。ジョットなら本当に発砲し兼ねない。
「講堂前の広場にいるぞ」
ジョットはスーツのポケットから取り出した携帯の画面を見てあっさりと答えた。
「え…あ、もしかして、発信器とか着けちゃってるんですか…?」
「そうだ」
「違法…じゃ」
ジョットが緩く口角を上げたので、綱吉はぎちっと固まった。
「まさか違法王のお前に言われるとはな。ハッキングはするわ、情報操作はするわ」
「でもそれは、仕事の許可を」
ガチャンと弾倉が不吉な音を立てる。
「口答えか」
「イイエ、滅相モゴザイマセン」
微かにずれた銃口から火花が散るのが見えた。ちゅん、という音と共に突風が頬を掠める。
「手が滑った」
「…っ!」
声にならない悲鳴を上げた綱吉は、頬を押さえて後ずさった。どかんとぶつかったドアには弾痕があって、綱吉は呼吸を引き攣らせた。
「行くよな」
「…!」
淡々と静かに、しかし有無を言わさぬ強い意志の籠ったジョットの瞳に綱吉は顔色も悪く口を引き攣らせる。
「イキマス」
「よし行け」
ガチャンと再び弾倉が不吉な音を立てたので、綱吉は脱兎の如く部屋を飛び出した。
「沢田、ひとつだけ忠告をしておく」
酷く静かな声に綱吉はハッと目を見開いて動きを止めた。温度の高い炎を飼っているオレンジの瞳は今は静謐にその身を隠し、それでも強い意志が溢れている。
綱吉は息を飲んだ。ジョットはゆったりと口を開く。
「お前のスーツのセンス、いかがなものかと思うぞ!」
「放って置いて下さいよ…!」

*くちゅ、と口の中で唾液の混ざる音がした。綱吉の頭の中は沸騰しそうで、力の入らなくなった爪先がぐらぐらと揺れる。骸はそんなのお構いなしで綱吉の口の中を荒らした。綱吉の口の端から溢れた唾液が落ちそうになった頃、ようやく骸が綱吉を解放した。
ぺっと捨てる様に体を離されて、綱吉はその場にくちゃっと座り込んだ。
(う、う、わ、あ…ああ、あ)
あまりの衝撃に綱吉は口をだらしなく開けたままで、顔を真っ赤にした。とうとう唇の端から緩く唾液が延びて、綱吉はハッと我に返り慌てて口をぬぐった。
(ファ、ファーストキスが……っ!)
まさか初めてのキスがこんな状況だと夢にも思わなかった綱吉は、奪った相手を見上げた。骸はと言えば平然とした顔で携帯を耳に当てている。何て事だ。もうちょっと何かアクションがあってもいいんじゃないか。そもそも何でキスしたんだ。言ってやりたい事は山程あるのに実際は頬を真っ赤にしてあ、とかう、とか短く千切れた音しか出せない。
頭上で舌打ちが聞こえて、次の瞬間、ぐいと強く腕を引かれた。強引に立たされよろけた綱吉の手首に、がちゃんと手錠が掛かった。ばちんと瞬きをしたその視界の中で、もう一方の手錠が骸の手首にがちゃんと掛かった。
(ええ…!?)
状況を飲み込めずに大きく瞬きを繰り返していると、骸の革手袋の指先に、小さく光る手錠の鍵が見えた。そしてその指先は、迷う事なく鍵を噴水の排水溝に投げ入れた。鍵は瞬く間に吸い込まれて見えなくなった。綱吉は大きく瞬きをする。
(え)
「ええええええええええ……!」
綱吉の絶叫が広場に響き、鳩が一斉に飛び立った。
「うわ、うわああああ…」
消え入りそうな声で噴水を覗き込み、ハッとした。
視線が痛い。
綱吉はぎちりと固まった。それはそうだろう。近年、社会は同性愛に理解を深めて来ているが、こんなに大っぴらに熱烈なキスをするカップルなんていない。男女のカップルだってここまでしないだろう。

*綱吉は思わず「あ!」と声を上げる。
ランポウ、と骸が呟いた。
視線の先のランポウは、ヤバ、と口を動かした。
それを合図にランポウが身を翻し、人混みを擦り抜け駆け出した。骸も綱吉の手を握り直すと、走り出した。
余りの勢いに自然に道は開けていくけれど、所々で短い悲鳴が上がる。謝る暇もなく綱吉は骸に置いて行かれない様に足を懸命に動かした。少し先を走るランポウはやはり身軽で、中々距離が縮まらない。
やがて先頭車両に辿り着き追い詰めたかと思った時、ランポウは走って来た勢いのまま手摺を掴んでぶら下がり、足先から操縦室に入って行った。驚く間もなくランポウの爪先が操縦盤のスピードレバーを蹴って、それを踏み台に運転席の反対側の窓からするりと外に出た。
綱吉は叫びそうになったが、ランポウは壁に取り付けてある鉄製の非常階段を掴んで、余裕な表情で笑い骸と綱吉に手を振った。
その唇は「バイバイ」と言っていた。
緩やかに電車のスピードが上がっていく。目で追う事すら叶わず、あっという間に地下の景色が流れる。
「落ち着いて、ゆっくりスピードを落として」
平静な骸の声にハッと我に返ったのは綱吉もだった。
運転席の操縦士は突然の出来事に茫然自失の状態で、速度が上がっている事さえ気付いていない様子だった。けれど骸の声にハッとし、ゆっくりとレバーを下げて行った。電車は何事もなかった様に、通常の速度に落ちて行った。先頭車両の一番手前にいた乗客でさえレバーが上げられた事も知らずに、ただ不審者が三人、車内を駆け回っていただけと思っている様だ。大した混乱もなく、電車は次の駅に向かった。
ふうと息を吐いた綱吉は、操縦盤の端に差し込まれている封筒に気付いて「あ!」と声を漏らした。骸もすぐに気付いて体を乗り出すと、指先で封筒を摘み上げた。昨日、コロッセオで手にした封筒と全く同じ模様で金色の箔押しがされている。骸が封筒を開けると、綱吉が中のカードをそっと抜き取った。