赤い花の大きな花束を手に持って、人混みを擦り抜けて、赤い家に足を向ける。
綱吉は、この街で暮らすつもりなのだろうか。
この街に知り合いはいないはずだ。
何もかも捨てて、何もかも忘れて一人、新しい生活を送るのだろうか。
骸はそっと眉根を寄せた。
迷惑、だろう、きっと。
勝手に、こんなところまで追って来て。
会うのが怖い。
もう骸の知らない綱吉になっているかもしれない。
けれど、会えないのはもっと、怖かった。
赤い扉を押し開けると、部屋の中には老女がひとりチェアに腰を掛けて編み物をしていた。
「いらっしゃい。あんたも部屋を探しているのかい?」
骸はしまう事すら忘れて手に持っていた写真を差し出した。
「この子が、ここに来たと思うのですが。」
老女は眼鏡を上げて写真を覗き込むと、ああ、と声を上げた。
「来たよ。一週間だけ借りられるアパートはないかってね。」
「一週間?」
「そう、一週間。店の前の道を2ブロック行ったところのアパートだよ。表札を出しておくように言ったから、すぐ分かると思うよ。大通りに面しているんだ。パレードがよく見える。あんたも邪魔しないように一緒に見させて貰ったらどうだい?友達なんだろ?」
「え?」
「ここには一人で来たけど、恋人と旅行なんだってね。」
ぐらりと地面が揺れた。
冷たいものが、体の奥にひんやりと落ちてきて息を詰めた。
「どうしたんだい?」
ふと我に返って、骸は緩く首を振った。
「いえ・・・ありがとう、」
何とか店の外へ出ても、地面は揺れたまま、息が上手く吸えない。
人混みを、上手く、擦り抜けられない。
恋人。
恋人と旅行。
いつの間にか、綱吉にはもう、他に想いを通わせるような人間がいたのか。
気付かなかった、何もかも。
青く高い空が白々しく冷たく見えて、僅かに傾き始めた日の光に焦燥感が滲み出た。
もう迷惑でしかないだろう。
けれど、このまま身を引く事なんて出来ない。
勝手だと分かってる。けれど、このままただ綱吉の幸せを願うなんて、出来ない。
2ブロック先にオレンジ色のアパートメントを見付け、骸は無意識に息を落とした。
あちらこちらの窓から下がる華やかな飾り付けも今は、骸の目には映らない。
階段を上って、表札の出ている扉の前に佇む。
もしかしたら今、恋人といるのかもしれない。
ノックしようとした手を下げて、けれどまた持ち上げた。
叩こうとした手を止めた時、不意に扉が開かれて、骸は目を見張った。
中から出て来たのは、黒猫のお面を被っている、間違いなく、綱吉だ。
「トリックオアトリート!」
綱吉の、声。
言葉を見付けられずにいる骸に、焦れる事なく綱吉は面をずらして頭に乗せた。
「あれ、お菓子持ってないの?ハロウィンなのに!」
綱吉は大きな目をぱちぱちと瞬かせてから少し笑った。
いつもの綱吉で、当り前の光景で、骸は戸惑った。
誰かと間違えているのだろうか。
そのふたつの瞳は間違いなく骸を映しているのに、何もなかったように笑う。
まるで自分を映していないように思えて、言葉を失くす。
「あ、もしかしてその花がお菓子の変わり?貰っていいの?」
「え、あ」
骸の手から花束を取ると、綱吉は部屋の中に入って行った。
「あ、でも普通は逆だよね。外から来た人がお菓子貰うよね。」
ゆったりと閉じていく扉に、綱吉は少し振り返った。
「入らないの?」
促されて、骸は躊躇いがちに中に入った。
「この部屋にも子供たちが来るって言うから、バスケットにお菓子をたくさん入れておいたんだ。だけどさ、ほら、少し寂しくない?だからちょうどこんな花が欲しかったんだよ。」
綱吉は嬉しそうに赤い花をバスケットに飾る。
「白いお皿も寂しいからね、この花を飾ればご飯も美味しそうに見えると思うんだ。」
二人分の食器に、骸は目を奪われる。
綱吉が食器を大切そうに扱う。
誰の、ために?
「・・・誰ですか?」
ようやく絞り出した声に、綱吉はきょとんと首を傾げた。
「ん?」
「君は、この部屋で誰を待っているんですか・・・?僕の知っている人間ですか?」
綱吉がとても柔らかく、どこか諦めたように笑うから、骸の心はじくじくと痛んだ。
綱吉が誰の名を呼ぶのか知りたい。けれど、知りたくない。
息を詰めた骸に、綱吉ははっきりとした言葉を紡いだ。
「骸。」
「え?」
「骸を待ってたんだ。」
目を見開いて言葉を失くした骸の前まで、綱吉はゆっくりと歩いて行った。
ずっと見詰めてきたふたつの瞳が、今また骸を映す。
「俺たちさ、恋人って呼べるようになってから随分時間が経ってるだろ?何となく一緒にいるのは嫌なんだ。だから、はっきりさせようと思って。」
骸は続く言葉を思い、悲しそうに眉根を寄せた。
「俺、骸が好き。この先もずっと一緒にいたい。」
目を見張った骸を見上げる瞳が大きく瞬きをすると、涙の膜が光りを乗せた。
泣き出しそうに、綱吉は言う。
「骸は、俺の事好き・・・?」
骸は迷わず綱吉を抱き締めた。
「好きじゃなければ、こんなところまで来ない・・・!」
吐き出すように言って更に腕に力を込めると、綱吉は骸の腕の中で涙を落として、抱き締め返した。
「試すような真似してごめん・・・。」
「・・・僕も、今までずっとごめんなさい。僕は、綱吉が、好きです・・・大好きです・・・」
パレードが来る。
煩わしかった音楽は、今は祝福の音にさえ聞こえて。