蜘蛛の巣、蝶が出てきます。苦手な方はご注意ください


庭の片隅に蜘蛛の巣が張る。

指を通せばぶちぶちと妙な感触だけを残して簡単に切れる。
木に引っ掛かった透明の糸が無様に風に揺れる。

そうして気付けばまたいつの間にか透明には少し遠い巣が出来上がっている。

滑稽だなとデイモンは思った。

作る方も作る方だし、雨に濡れれば簡単に姿を現す罠に引っ掛かる方も引っ掛かる方だ。

ぶちぶちと指先で切れば糸に絡まった蝶が弱弱しくはためいて、デイモンはその蝶を指先で握った。


革手袋の指の先から透明な糸がゆらゆらと伸びていた。


「簡単に千切れてしまう」

デイモンの声は月明かりに沈む部屋にぽつりと落ちる。

枕に顔を埋めていたジョットは静かに顔を上げて、デイモンの方を向いた。シーツの擦れる微かな音がやけに大きく耳の残る。

ジョットは天井を見上げたきりのデイモンの横顔を見ている。
先を促す瞳はそれでも強制はしていなかった。デイモンは少しだけ睫毛を揺らす。

「そう思いませんか?」

やっぱり天井を見上げたままのデイモンを、ジョットは見ていた。


ジョットは二人きりになると思いの外無口だった。


普段人に囲まれている彼はよく話し、時には冗談を言って場を和ませる。
それなのにデイモンと二人きりになると、しなやかに動く唇は最低限の言葉しか紡がなかった。

でもそれはデイモンもそうだった。

饒舌だと言われるし、適当な言葉を並べるのも得意だった。
それなのに、ジョットと二人きりになると途端に無口になる。

じゃあそれが苦痛なのかと言ったらそうではなくて、実のない言葉を並べる空虚な音がない事こそが心地良かった。

ジョットは真実の音しか発さない。もしかしたら知らずに自分もそうなのかもしれない。


それが心地よいなんて、閉口してしまうのだけれど。


「エンゼルヘアー」

不意に発せられたジョットの言葉はデイモンの思考を途切れさせた。

「知っているか?」

デイモンは天井を見上げたまま同じ調子で答えた。

「いいえ、知りません」

天窓の向こうで三日月が揺れる。

「千切れて宙をたゆたう蜘蛛の糸の事だ。それに掛かると幸運が訪れるらしい」

視界の端に金色の髪が滲む。

「信じているの?」
「盲目的な訳ではないが、どうせ真に受けるなら幸運の方がいいだろう?」

デイモンはそこでようやく笑った。
隣でジョットも笑って、その振動が鼓膜を揺らす。くすぐったい。

「何故蜘蛛の糸の事だと分かったのですか?」
「たまにお前が蜘蛛の糸で遊んでいるのを見掛けたから」
「遊んでいる訳では、ないのですが」
「じゃあ、何を?」

少し考えてからデイモンの口から出た言葉は結局「さぁ?」だった。

ふと吹き出す呼吸まで合ってしまって、それが余計に可笑しかった。

ジョットの呼吸が素肌をくすぐる。

デイモンはふと口を開いた。

「…私の事を見ているの?」
「見ている」

迷いもなく返ってきた答えにデイモンは目を見開く。

「デイモン」

名を呼ばれて伸びてきた手がデイモンの胸に置かれた。

デイモンははっと体を強張らせる。


じんわりと滲む熱に、デイモンは何かを考える前にジョットを抱き寄せた。


二人の剥き出しになったままの肌はすぐに吸い付き合い、熱を生んだ。

腕に力を込める。体が邪魔だと思った。体がなければきっともっと強く抱き合える。

視界の中で金色の髪が揺れる。


ジョットは足りない言葉を全部拾い集めて並べてくれる。

じゃあ例えば愛してるなんて言葉も拾われてしまっているのかな。


緩やかに視線を下げれば夜明けの様なオレンジの瞳がデイモンを見上げていた。
互いの視線は静かに絡み合って逸らす事も知らなかった。

滑稽だなとデイモンは思った。


絡め取られているのは一体どちらなのか。


こんな筈じゃなかったと思っても時はもうすでに遅く、気が付けばこの世の何よりもこの体温を欲していた。


失なう事になったなら死んでしまえばいいとさえ思うのは、きっと後にも先にも今回だけだろう。


細い細い蜘蛛の糸は、きっと二人を乗せたら千切れてしまう。

それでも二人で死ねるのならそれもいいと思った。


それが、いいと思った。



2011.10.12
心中が似合うカップル
事後ですね。また始まりそうですね(ぶち壊し)