「骸・・・!」

誰かはすぐに分かった。

四年と三か月振りに聞く『彼』の声。

「むくろ・・・」

舌足らずなのは相変わらずなのか。

見上げた先で彼は階段の踊り場から
体を乗り出していた。
そのまま落ちてしまえばいいのにと思った。

かちり、と目が合う。

彼は少しだけ泣きそうな顔で笑った。

空が乱反射して目が痛い。

「・・・おや」

やっと出てきた言葉はそれだった。





最悪の別れ方をしてから四年三か月。
もう二度と彼には会わないと決めていたのに。





とんだヘマをした。
人生最大の汚点と言っても過言ではない。

アジアにも拠点を構えるとは知っていたが、
まさかこんな辺鄙な所で出食わすとは思わなかった。

(油断したか)

だからと言ってこうして肩を並べて
不味いコーヒーを口にする理由にもならない。
彼も彼だ。
何故声など掛けてくるんだ。
あそこで声を掛けられなければ気付かずに
済んだものを。

彼の護衛が嫌味な視線を向けている。
雑多な風景に紛れていれば気付かれないとでも
思っているのか。
もしそうだとしたら、何て愚かなのだろう。
憐みすら感じる。

「元気だった・・・?」

控え目に見上げてくる様も変わっていない。
変わった所といえばスーツくらいだ。
幼い顔もそのままで全く似合わない。

「この通り。」

おざなりに手を軽く持ち上げる。
彼はだらしなく笑って「そっか。」と言った。
見ていられない。

彼はいつだって僕を苛立たせる。
それは今も変わらないようだ。



最悪の別れ方と言っても、彼と僕は懇意にしていた訳ではない。
まともに会話をした試しがない、知り合いというにも足りないくらいの関係だった。

彼の言動はいつも癪に障り、
殴り付ける事も多々あった。
その度に彼の周りが喚きたて、彼は僕を庇った。
鬱陶しくて仕方がなかった。



「クロームも犬も千種も、骸の事は全然教えてくれないからさ。」

またじわじわと苛立ちが押し寄せてきた。

「それはそうでしょうね。」

「連絡取れないって言ってたから、だから大丈夫なのかなって思ってて。」

こうやって盲目的に人を信用する所も癪に障る。
あの子たちは僕が口止めしているから言わないだけだ。
そのくらい分かれ。

「あれ!煙草吸うの!?」

「・・・・たまに。苛々すると吸いたくなりますね。」

「そうなんだ〜」

当て擦りで言ったのに、全く通じてないようで興味深そうに覗き込んでくる。
これは最早天賦の才能だ。
呆れ果てる。

「あ・・・!灰、落ちたよ!」

コートに落ちた灰を払おうと伸ばしてきた手を叩き落とした。

「触らないで貰えますか。」

「あ・・・ごめん・・・」

親切を無下にされて謝る神経が分からない。
ここまで邪険にされて、それでも近付いてくる意味が分からない。
やはり彼は何一つ変わっていない。
絶望すら感じた。

「やっぱり、俺の事嫌い?」

何を今更。

「大嫌いですよ。だからあの時あなたを刺したんだ。殺意を持ってね。」

彼と出会って一年と八カ月目の話し。
僕にしてはよく我慢していたと思う。
ずっとずっと、殺したくて仕方がなかったのに。

「うん・・・だよな。」

答えを予想出来ていたのか、
彼はあっさり頷いて、少しだけ泣きそうな顔で笑った。

その表情すら変わらない。

「なのにあなたは間抜けにも僕に声を掛けてきた。」

「うん、だって」

だって、何だと言うのだ。

「俺は今、生きてるし。」

見透かすような目が気に入らなくて
舌打ちをした。

そう、現に彼は生きている。

「臓器が全然傷付いてなかったから」

「黙れ。」

どうして彼はこうも僕を苛立たせるのか。


あの時確かに殺意はあった。
間違いなく仕留めようと思っていた。
確かに、直前までは――


殺そうとした相手を生かしておくなど
どうかしている。
訳が分からない。
だから嫌なんだ、この男といるのは。


「なぁ、俺にも一本ちょうだい。」

「・・・・は?」

彼は天賦の才を発揮してこだわりもなく笑い掛けてくる。

「俺だって、煙草くらい吸った事ある。」

訝しんでいる間に彼は煙草を手にすると、やはりというべきか不慣れな様子で火を点けた。

幼い唇から零れる白い煙は、
細くなって消えていく。
彼は銜えたフィルターを拙い仕草で噛んだ。

「う〜・・・ん。やっぱ美味しいもんじゃないよな。ベロが痺れる。」

「それなら止めなさい。」

取り上げて灰皿に押し付けるが、
彼から抗議の言葉は漏れなかった。

「俺さ、ホントに少しの間だけどグレててさ。」

「・・・え?」

「な・・・!何笑ってんだよ・・・!」

口元を押さえて堪えようとしたが、無理だった。
心外だと言わんばかりに眉を吊り上げる彼がまた滑稽だ。

「ボンゴレ十代目が非行に走ったとは聞いた事がありませんね。」

言ってから口が滑ったと思ったが、愚鈍な彼の事だから何も思わないだろう。
やはり彼は少し不貞腐れた態度を取っただけだった。

「そりゃそうだろうな。ホントに少しだけだったから。あの時は自暴自棄になってた。」




彼はふと笑みを引き、酷く小さな声で呟いた。




「死んじゃおうかとも思った。」




鳥肌が立った。
骨と骨が擦れ合うような気味の悪い感覚が全身を這った。




「・・・はっ、よく思い留まりましたね。」


自分が何を言ったのかよく分からなかった。


「・・・うん。だって体を傷付けたって、死んだりしたって、何も変わらないんだって思ったんだ。
だから、それなら、知りたいと思った。」



ゆっくりと見上げてきた瞳は大きく瞬きをし、
光を弾いた眼球に、厚い水の膜を牽いた。



「それが、四年くらい前の話し」



やけに、ゆっくりと、言葉が、脳髄を揺らす。



「お前が、骸が、急にいなくなるから・・・」



もう自分が、どんな顔をしているのか分からなかった。








「ボス、そろそろお時間です。」

不覚としか言いようがなかった。
声が掛かるまで近付いて来たのにも気付かなかった。

「うん。車、こっちに回して来てくれる?」

彼に向って頭を下げた後、訝しむ視線を向けられたが相手にする気にもならなかった。




鬱陶しいほど見上げてきていた目は今はもう伏せられて、僕の方を見ない。




ここで

離れたら

もう二度と

会わない




彼は一度も顔を上げずに
手帳に走り書きを始めた。


「骸はまだここに滞在するのか?」

「・・・は?」

「俺は明日の朝に発つ予定なんだ。」

「だから、」

何だって言うんだ。

彼は僕の方を見ない。

伏せられた目はそのままに、紙切れを手に押し付けられて反射的に受け取ってしまった。

「それ、プライベートの番号だから。でもちゃんと傍受されないようにはなってるから。」

「・・・僕に、連絡しろと・・・?」

「うん、だってお前連絡付かないんだろ?」

疑う素振りも見せない。
正気かと言ってやりたくなる。

「もしまだここに滞在するなら、晩ご飯でもどうかな。あ、でも骸も用事があるからここにいるんだよな?
忙しかったら今日じゃなくても・・・俺は大体日本にいるし、人目に付きたくなかったらアジア圏ならすぐ飛べる。」

僕の反応に構う様子もなく一人で話す。



彼はまだ僕の方を見もしない。



けれど、今まで見た事もないような微笑みを浮かべて。



「何を・・・考えているのですか?」

「何って、」

「お優しいボンゴレ十代目は、誰とでも仲良くならないと気が済まないのですか。」

弾かれたように顔を上げた彼は、何故か頬を赤くしていた。
意味が分からない。

「お前、が、どう思うか分からないけど、でも」

言い辛そうに口籠る。

「でも、何ですか?」

「・・・その番号は、母さんしか知らない番号なんだ。内緒で持ってるやつ・・・。
緊急用って言うか、俺の仕事は母さん知らないし、連絡する時仕事用のは使いたくないって言うか・・・。」

「・・・は?」

「あああ!もう、だから言いたくなかったんだよ!どうせマザコンとか言うんだろ!
でもそういう事だから!お前が俺をどう思ってるか知らないけど、俺は誰とでも仲良くしたいと思うほど社交的じゃないよ!
そんな、嫌われてる奴に取り入ろうとかそんな事、絶対思わないし・・・」

一気に捲し立てる彼の話しは全く要領を得ない。
今はその先の話しをしている筈だ。



けれど



「そう言う事、だから・・・」



彼は全く僕を見なかった。
けれど、大通りに止めたという車に向かうその一瞬、僕を見て、
まるで懇意にしている人間にするように微笑み掛けてきた。


本当に止めてくれ。


じゃあ夜に、と彼は小声で言った。


どこをどう解釈したのか、彼はもう会う気でいるようだ。
何という傲慢さか。





握り潰した紙切れは、
それでも手から離れなかった。





最悪の形の再会だ。


こんな事になるとは思いも寄らなかった。
せめて彼が、マフィアの人間らしく薄汚れて現れたならどんなに救われたか。












止められないなら、認めざるを得ないのか。












彼の存在こそが、
六道骸の最大の汚点だという事を。















「ボス、先程の男」

「ん?」

「まさかとは思いますが、六道骸では・・・?」

後部座席に収まった綱吉は穏やかに微笑んだ。

「まさか。人違いだよ。」

もう古参しか知り得ない、もう一人の霧の守護者六道骸の姿。
けれど、特徴的な色違いの瞳はそうそういるものではない。

守護者でありながらマフィアを憎み、姿を眩ました男は
ボンゴレにとって脅威でしかないと教え込まれてきた。
ボスを守るために引き下がれないが、
そのボスが、

「人違いだ。だから、今日の事は誰にも言わないでね。」

「ですが」

「お願い・・・」

敬愛すべきボスに切迫した表情で懇願されては、口を閉ざすしか出来なかった。















氷に閉ざした激しき炎は
それでも尚燻り続け
解放の時を待っていた



やがて炎は
身も心も灼き尽くしてしまうのだろう















09.01.05
口には出せない恋の始まり
香港とかで逢引って萌えます(NA ZE)
続き書いてみたいけど・・・ガ マ ン