5年後。

骸は15歳になった。


そしてこの辺り一帯は骸の配下に収め、
随分とお世話になった大人どもには一通り靴の裏を舐めさせた。

実際舐めさせると気持ち悪くてそのままボコボコにしたりして
犬と千種には理不尽だとよく言われるが、今まで理不尽なことをされ続けてきたのだ。
これくらいしたって罰は当たらない。


これからもっと勢力を伸ばそうと目論んでいる。


幼少の頃から居続けたこの汚い街にも別れを告げ、
ゆくゆくは裏世界の頂点に君臨して、すべてを思い通りにする。


きゃんきゃんきゅんきゅん


手中に収めた街を眺めながら運河沿いに腰を掛けほくそ笑む骸の足元に、
さっきから馬鹿っぽい子犬が纏わりついてきている。

きゅんきゅんと鼻を鳴らし、尻尾を振り過ぎて小さな体がよたよたと左右に振れている。
挙句ぽてっと尻もちをつくが、それでも起き上がって尚骸の足に擦り付いてくる。
ふわふわとした蜂蜜のような毛並みとつぶらな瞳が余計馬鹿っぽく見える。

きゃんきゃん

「・・・。」


何か、緊張感がなくなるんだよなぁ。


前にも似たようなことがあったような気がしながら、
骸は子犬の首に下がったネームプレートに気が付いた。


プラチナの、ネームプレート。


「・・・。」


宝石が嵌めこんであって、


「ナッツ!どこ行ったんだよ、ナッツ!」


少年の声がすぐ後ろで聞こえてきて、骸は意味も分からず目を見張って反射的に振り返った。


子犬がぱっと耳を上げて尻尾を振りながら駆け出した先、
その先には息を切らせた少年が白い頬を赤く染めて、
子犬を見付けると心配を滲ませた大きな瞳が安堵の色を乗せた。


「ナッツ!」


子犬を抱き上げてキスをしてから、ゆったりと瞼が持ち上がる。


じわりと滲んだ蜂蜜の瞳が、骸を映した。


記憶の底の瞳が過ぎり、重なった。



骸は目を見張りながらも自然な動作を装い前に向き直った。


(恐らくあれは、)


だが、自分のことを覚えているとは到底思えない。

立ち上がろうとしたとき、不意に影が落ちてきた。


はっとして見上げれば、子犬を抱いた少年は骸のすぐ横に立っていて
蜂蜜の大きな瞳は目に見て分かるほどに水分を含んで揺れた。


近付かれるまで気付かなかった自分に舌打ちをする間もなく、
ほんのりと色付いた唇が震えるように動いた。


「むくろ、だよね・・・?」


探るような声色は、けれども確信を孕んで問いかけてくる。

骸はようやく我に返ったように顔を逸らして立ち上がった。


「・・・誰ですか、それ。人違いですよ。」

足早に歩くと、ぱたぱたと追い掛けてくる足音がする。

「ま、まって、骸・・・!」

一生懸命追い掛けて来る足音を置いていくように、骸は速度を速める。

「む、むくろ・・・!お、俺のこと覚えてない・・・?沢田綱吉、」

「知りません。」

「沢田綱吉だよ!さ、わ、だ、つ、な、よ、し!」

「・・・っ」


言葉が分からない訳じゃないから。


「しつこい。」

ぜぇぜぇと呼吸が聞こえてきそうな声に、骸はとうとう小走りになる。

「ま、まって、よ・・・!むっく・・・!!」


誰だよ、むっく。


骸は遠い目をしながら運河の塀を飛び越えた。

「わあ・・・!!むくろ・・・!!」

運河に落ちたと思った綱吉は慌てて塀から体を乗り出すが、
平然と運河沿いを歩いている骸にほっとしてから塀に掴まって自分も下に降りようとぶら下がった。

ナッツがきゃんきゃんと吠えたので骸は思わず振り返ると、
綱吉が塀から降りられずにぶら下がっていた。

「む、むくろ・・・!おねが、い・・・ちょっと手伝って・・・!」

骸は腕組みをして綱吉を眺めた。

「いいでしょう。僕が手を貸す代わりに君は家に帰りなさい。」

う、と声を詰まらせた綱吉は頬を真っ赤にしながら、ぷるぷるしている腕で塀を掴み直した。

「や、やだ・・・!帰らない!」

「・・・僕は手を貸さなくても構いませんけどね。僕が手を貸さなければ君は運河に真っ逆さまだ。」

うぐと声を詰まらせるが、綱吉はぶるぶると頭を振った。

まぁ根性はあるようだ。だが、それとこれとは別問題。


骸は綱吉の足元をちらりと見た。

爪先から地面までおよそ10センチ。

手を離しても怪我をする方が難しいが、綱吉は高い所にぶら下がってると思っているようだ。


早く音を上げて帰ると約束して欲しいものだ。

けれども骸の思いは届かず、綱吉はとうとう力尽きてぽとりと落ちた。

「わ、あ!」

思った以上に近かった着地地点にバランスを崩して後ろに倒れ込みそうになった綱吉は目をぎゅっと瞑った。

「・・・?」

運河に落ちることを覚悟したのに、水圧は一向にこない。

恐る恐る目を開ければ、すぐそこに骸の憮然とした顔があって綱吉はかあと顔を赤くした。

「あ、ありがと・・・」

「帰りなさい。・・・っ」

「むぐ!」

せっかく強く言ったのに、子犬が落ちて来て綱吉の横顔に張り付いた。

子犬はしきりに綱吉の顔を舐めて尻尾を振っている。

「大丈夫だよ、ナッツ。置いてなんか行かないから。よく飛び降りられたな。」

よしよしと子犬の頭を撫でる綱吉を置いて骸は歩き始めた。

「あ!待ってって、骸!」

「人違いですよ。」

「あ、いたいた!!骸しゃーん!」

「・・・っ」

橋の上から犬が体を乗り出して大きく手を振って来たので、
近くに置いてあった木槌を犬に向って投げた。

とんでもない速度で飛んで行った木槌は見事犬に命中し、犬は橋の下にぽとりと落ちて行った。

「あの人大丈夫・・・!?」

顔を青くした綱吉に溜息を吐いて、骸は諦めたように塀に寄り掛かった。


まさかあの馬鹿な子供が自分を覚えているなんて夢にも思わなかった。


忘れるだろうと思って逃がした部分もある。


まさかとは思うが、五年前のことで探していたりするのなら場合によっては、

「・・・。」


綱吉は頬を染めて骸を見てにこにこ、ふわふわ。


うん、有り得ないな。大方道にでも迷ったのだろう。

「俺、ずっと骸を探してたんだ・・・」

「え!?」

思い掛けない言葉に目を見張った骸に気付かずに、綱吉はナッツをぎゅうと抱き締めて頬を赤くした。


「骸は・・・俺の初恋の人だから、ずっと探しててそれで、見付けたら家には帰らないって決めてて・・・」


更に思い掛けない言葉に骸は言葉を失った。


目の前で耳まで赤くした綱吉が子犬に顔を埋めている。


「・・・。」




何が、何だって?



2010.02.01