「あ!骸しゃー・・・・・」
呼び掛けに瞳さえ動かさずに骸は部屋に入って行った。
犬と千種は顔を見合わせる。
「チビ、連れて来なかったんら。」
ひそひそと顔を寄せると、千種は眼鏡を押し上げた。
「・・・いつも即断される骸さまが悩んでいる時点で、答えはもう出ている気がするけど、」
犬と千種は顔を見合わせると、骸を追って部屋に入って行った。
骸は窓辺の椅子に腰を掛け、ただ深く沈むような瞳を伏せているだけだった。
「骸しゃん、骸しゃん、」
声をかけると骸はようやく瞼を持ち上げた。
「俺、金持ちでも不幸な人間いっぱい知ってまふよ。」
「・・・え?」
「俺も、地位があっても孤独な死に方をした人間を何人か見てます。」
「・・・。」
「俺はー、骸しゃんとか柿ぴとかみんなといて、毎日楽しいれふ。
あのチビ、家に帰ると犬しか友達いないって言ってへらへらしてました。」
犬の言葉にそっと睫毛を揺らした骸に、千種ははっきりと言い切った。
「俺たちはもう、飢えるほど弱くないです。」
弾かれるように立ち上がった骸の背に、千種は大通りに車回しておきます、と言った。
「・・・柿ぴ運転すんの?」
「うん。」
「・・・柿ぴの運転怖いびょん・・・」
骸は薄暗い裏路地の近道を走った。
ブーツがぴしゃりと水溜りを踏んで飛沫を上げる。
コートのポケットに入れたままの皮の手袋を嵌める。
薄く呼吸を上げて辿り着いた赤い塀を見上げる。
足元に落ちていた石を拾い上げ、塀を高く越えるように投げ込んだ。
途端に警報音が鳴り響き、塀の中が騒々しくなり守衛が外へ飛び出して来た。
骸は夜に紛れるように右手側に回り込んだ。
旋回を始めた監視カメラの死角を突いて、
綱吉が出入りしている箇所のレンガを蹴り破り中へと入り込んだ。
すぐ目の前の建物の窓を押し上げてするりと中に入る。
壁際に体を寄せて、足音を行き過ぎさせる。
入って来たはいいものの、どの部屋にいるか分からない。
けれど連れ出すと決めた。
見付からないようにして必ず綱吉を探し出す。
屋敷の中の騒々しい足音に耳を澄ませながら、足音を殺して廊下を走る。
階段を上ったときに、微かに子犬の鳴き声が聞こえた気がして足を止めた。
確かに聞こえる。
二階の廊下を子犬の鳴き声を頼りに慎重に歩いて、ひとつの部屋の前で止まった。
「ナッツ、心配しないで大丈夫だからな。」
骸は考える前にその部屋の扉を開いた。
窓際に立っていた綱吉は驚いて振り返り、そして骸の姿を見ると、蜂蜜の瞳を更に大きくした。
綱吉の腕の中の子犬が骸を見てひゃんひゃん嬉しそうに鳴く。
廊下から忙しない足音が近付いてきて、はっと我に返った。
「むくろ・・・!とりあえずクローゼットに!」
迎え入れるように開かれたクローゼットに身を隠して扉を閉めたのと同時に
部屋の守衛たちが飛び込んで来た。
「こちらに誰か知らない人間は来ませんでしたか?」
「ううん・・・!な、なにかあったの・・・・?」
守衛はちらりと部屋の中を一瞥すると、深く頭を下げた。
「いえ、御心配はなさらずに。おやすみなさいませ。」
「うん・・・おやすみ・・・」
出て行ったのを見届けて、そっと廊下を見てから綱吉はほっと息を吐いて部屋の扉を閉めた。
「骸・・・もう平気だよ。」
クローゼットから出て来た骸に、綱吉は大きな目を瞬かせた。
「この騒ぎ、骸なの?」
骸は何も言わずに皮手袋を外し、振り返った。
そして綱吉に向かい、その手が差し出される。
綱吉は、大きく目を見張った。
「君からこの手を取って、自分を変えなさい。自分からこの手を取って、強くなりなさい。」
綱吉は見開いた大きな瞳を揺らした。
そして、驚いたままのような小さな唇が呟く。
「・・・ナッツも、連れて行ってもいい・・・?」
骸は足元に纏わり付いていたナッツを、掌で包み込むようにして抱き上げた。
「犬も喜びます。」
骸に擦り寄るナッツに微笑んだ綱吉は、大きく頷いて、骸の手を取った。
強く握った手を引いて部屋を出ようとした骸の手を、綱吉は引き戻した。
些か驚いて振り返ると、綱吉はこっちこっち、と骸の手を引いた。
「こっちの部屋から出た方が、人がいないよ。」
隣の暗い部屋を駆けて外へ出ると、綱吉がいつも出入りしている塀の穴の前には守衛がいた。
綱吉はレンガの塀を一生懸命押し始めた。
「・・・この辺も穴が空くんだけど・・・」
「避けて。」
綱吉にナッツを渡して自分の後ろに庇うように引っ張ると、骸は塀を蹴破った。
ガラガラと静かに崩れたレンガの隙間から、高い塀を抜け出し表へ飛び出した。
「大通りまで走りますよ。」
「うん・・・!」
細い道を選び大通りへ向かう途中、骸は走りながら綱吉の手を握り直した。
「僕はこの先、裏の世界で頂点に立つつもりです。それでも、」
ほんの僅かに切れた言葉の先を埋めるように、綱吉は骸の手を強く握った。
「それでも!骸が大好き!」
少し振り返れば綱吉が、花のように笑った。
このひとは、骸が生まれてはじめて出会った、まっ白なひと。
骸も笑って、また手を握り直した。
大通りにベージュの車がきゅるるとタイヤの音を響かせながら滑りこんで来て、
開かれた扉から犬は大きく手を振った。
何も分からぬままに服を握り締めていた幼かった掌は今は、
手を、繋ぐためにそこにあり、
まさか、
恋に落ちる日が来るなんて。
2010.03.14
つなたんは裏の世界で頂点に君臨する骸の癒しになるんじゃないかな・・・っ
長々とお付き合いありがとうございました><。