綱吉は自分に宛てがわれている本部の部屋に行っても頭を抱えていた。
外は風が些か強くて、窓が時折かたかた鳴った。
昨晩、犬の名前を聞いた覚えがある。
じわじわと記憶が滲み浮上してくるけど、形がなくて掴めない。
思い出そうとすると、どうしても骸との生々しい場面が頭を過ぎる。
衝動を抑えきれず骸のを口に含んだ場面を思い出して、綱吉は思わず額を机に打ち付けた。
どうしようもない羞恥心に苛まれ、だらしなく開いた口元に唾液が伝いそうになってじゅると啜りながら拭う。顔を上げたところで綱吉はビクンと体を跳ね上げた。
「な、なんだよ…!」
目の前にいたのはまだまだ見た目が少年のリボーンだった。いっちょ前にスーツは着ていて、トレードのボルサリーノもしっかりと被っている。まだあどけないはずの目元はすっかり殺し屋のそれなので、虚勢を張ってみたものの無言で見てくる様は恐ろしいものがある。
「死にてぇのかと思って」
「死にたくねぇよ…!」
相変わらず言う事は物騒だ。
リボーンはふと鼻で笑うと、我物顔でソファに腰を下ろした。
骸とのことがバレたのかと思って一瞬ひやっとしたが、知ってるはずはない。けれどリボーンの情報網は侮れないのだ。
内心ドキドキしていると、リボーンの視線を感じてびくっとした。
「なんだよ…?」
「随分スッキリした顔してんな」
「はぁ!?!?!?」
過剰に反応してしまったがもう遅い。
リボーンはまた鼻で笑った。
「昨日のパーティーは随分ご機嫌だったみてぇだが」
もう気が気じゃない。
心臓が飛び出そうとはこの事だ。こんなに変な緊張感を持ったのは初めてかもしれない。
「まぁどこの女を連れて帰ったのか知らねぇけど、あんま不用意に手ぇ出すんじゃねぇぞ。ちゃんと考えろよ」
予想外の言葉に綱吉は「はいいい」と裏返った声を出し、またリボーンの冷笑を浴びた。
実は女の子じゃないんです。骸なんです。
どちらにしろ綱吉は叫びながら走り出したい衝動に駆られる。
「ああ、そういやさっき珍しい奴に会ったぞ」
「骸かよ…!」
超直感とはいらない時にも働くもので綱吉は思わず前のめりに立ち上がり、重厚な椅子ががごんと倒れた。
眉を寄せて薄く口をぽかんと開いたリボーンの怪訝な顔と言ったら今まで見た中で一番かもしれない。
「…」
「…」
綱吉はこほんと咳払いをすると、椅子を静かに元の位置に戻した。結構重い。
「あ〜…そう、だ。オレも骸に会うの久しぶりぃ…だから…顔見てこようかなぁっ…」
綱吉はじろじろ見てくるリボーンの視線を避けるようにして、そそくさとドアに向かった。
「えっと、骸はどこにいた…?」
「ああ。ヴェルデのところだ。要件だけって言ってたからもういねぇかもしれねぇぞ」
視線が背中に刺さって痛い。
逃げるようにドアを開く。
「どうでもいいが面倒くせぇのはヤメとけよ」
綱吉はぎくりとなって、どういう意味だよどこまで知ってるんだよ!!と振り返って叫びそうになるのを堪えて部屋を出た。
急ぎ足で廊下を歩く。
歩きながら綱吉は少しムカムカしてきた。
来ているなら顔くらい出せばいいのに。
むぅ、と眉を緩く寄せながら廊下を曲がると人に思い切りぶつかった。
「ぶっ…すみませ…!」
慌てて顔を上げて綱吉は呼吸が止まった。
ぶつかったのは朝からずっとずぅっと考えていた、骸だった。
ようやく会えたのに、綱吉は言葉を忘れて、呼吸すら忘れた。
「どうも」
赤と青の瞳は特に感情もなく、いつも通りの軽い挨拶だけで通り過ぎて行った。
(え)
骸はあっけなく綱吉を通り越した。
綱吉はその背中をぽかんと見ていた。ぐんぐん骸は遠ざかっていく。
「な、なんだよ…」
思わず小声で呟く。
骸は素知らぬふりで、歩いて行く。まるで何もかもなかったように。
胸の奥がズキンと痛んだ。
でも考えてみたら、先になかったことにしたのは自分じゃないか。
覚えてないなんて、最低な言葉を使って。
「骸!」
名前を呼ぶけど振り向きもしない。綱吉はもどかしく思って走り出した。
横に並ぶと、骸は一瞥をくれただけだった。それもいつも通り。
けれど綱吉はめげずに食い下がった。
「骸、話しがあるんだ」
「先に千種に話を通してください。僕もそんなに暇ではないので」
綱吉はむ、と口を引き結ぶ。
「仕事の話じゃない」
「それなら余計、止めてくださいよ。僕に君と世間話をする義務はない」
溜息混じりに言った骸の腕をぐいと掴むと、骸は些か驚いたように綱吉を見遣った。綱吉はその瞳を強く見上げる。
「オレは!お前に話があるんだ!」
もう一度腕に力を込めて足を踏ん張ると、ようやく骸は立ち止まった。
「命令は聞きませんよ」
「命令とかじゃないだろ!いいから!」
「ちょっと…」
ぐいぐいと腕を引いて、近くの会議室に骸を押し込んだ。
ばたんとドアを閉めると骸は諦めたように溜息を吐いて、ソファに向かった。
「手短にお願いしますね」
どこか優雅な動作のまま骸はソファに腰を下ろすと、背もたれに寄りかかり足を組んだ。
人形のようだな、と綱吉は思った。
思ったのと同時に昨晩のことが脳裏を駆け巡り、それなのに目の前の骸は淡々としていて至ってクールで、肌を重ね合わせた熱など微塵も感じない。
綱吉はうぐ、と思わず声を詰まらせる。
鼓動は騒々しい。自分ばっかり呼吸もままならないのかと思うと余計に緊張した。
ふらふらと歩み寄って、長ソファに優雅に腰を下ろす骸の隣に座ろうとした。けれど力尽きて手前で姿勢を低くしすぎ、腰をソファにぶつけて床にぺしょんと座ることになった。
がっくりと項垂れる。
「骸…」
そのままの姿勢で呟くと、骸は片方の眉を持ち上げた。
綱吉は息を飲んで、思い切って口を開く。
「昨日の夜…骸とどこで合流したんだっけ…?パーティーには来てなかったよな」
そろっと視線を上げると、骸は鼻を鳴らして頬杖を突いた。
「それを聞いてどうするんです」
ばっさりと言って退ける言葉は、それ以上の質問を許していない響きを持っていてめげそうになる。
「どうするもこうするも…知りたいんだよ」
それでもなりふり構わず食い下がると、骸が緩く瞬きをした。
「覚えてないって言ったのは、その………どうして骸とそうなったのかであって、骸としたことは覚えてる」
自分で言って叫びそうになった。
かあと頬が熱くなるのが分かって、思わず俯く。
なるほど、と骸の声が降ってきた。
綱吉が睫毛を持ち上げようとした時、骸の革靴の爪先が綱吉の顎をくいと持ち上げた。
目を見張った綱吉の視界の中で、骸が緩く笑む。
「そんなに良かったのですか?それなら、これからは僕が君の性欲処理をして差し上げましょうか。ボンゴレなんて大きな組織のボスをやっていると、簡単に女性と付き合ったりも出来ないでしょうし」
骸は人形のような瞳を細める。
「男同士なら妊娠の危険もありませんからね。僕がその気になれば君を孕ませることくらいは出来ますが…まぁそれは別の話として、「仕事」として引き受けないこともありませんよ」
綱吉は大きく目を見張った。骸は楽しそうに微笑む。
どこまで本気なのかと思ったけど、きっと骸は本気なのだろう。
綱吉はゆるゆると睫毛を伏せると、顎を捕らえていた骸の爪先をそっと退けた。骸は緩く眉を持ち上げる。
綱吉は緩慢な動作でソファに腰を落とした。
「……オレは骸にそんなことして欲しくない…」
俯いたままぽつんと言ってから、頭を抱えそうになる。
「成り行きでそんなことしておいて、説得力ないけどな…」
自分の不甲斐なさに深い溜息を落としてから、骸がじぃと綱吉を見ているのに気が付いて動揺した。瞳には様子を伺っているのが滲んでいたが、ほんの少し温度が変わったように思えて綱吉は瞳を揺らす。
(…ん?)
温度のある瞳に綱吉は何かを思い出しそうになり、犬の名前がまた頭を過ぎる。
(あ!)
ぱちんと糸を切ったように溢れ出てきた昨晩の記憶に綱吉は目を開いた。
「犬!」
骸は怪訝そうに眉を持ち上げる。
「犬がクロームを迎えに来れなくなって、骸が代わりに!」
思い出してすっきりして思わず笑顔になると、骸が呆れたように顔を逸した。
「そうですよ」
「そうだった…!」
酔ってはいたけど犬が来れなくなったと聞いて、これはちゃんと送り届けなければと使命感に駆られて一緒に外に出た。
クロームは骸が来るから大丈夫と言っていたのに、一向に聞かなかった辺りが酔っ払いだった。
そうしたら表には本当に骸がいて、優しく笑ったんだ。
恐らくクロームに向けた笑顔だったんだろうけど、骸のそんな表情を間近で見たのがほとんど初めてだったから何だか嬉しくなったんだ。
一緒に車に乗り込もうとしてよろけたら咄嗟に支えてくれたのが骸で、そこまで酔うなんて珍しいですね、なんて呆れたように笑ったのが本当に優しい目だった。
それも恐らく近くにクロームがいたからその延長だったのだろうけど、綱吉にしたらそんな目を骸に向けられたことがなかったから、大袈裟じゃなくて飛び上がりそうだった。
何だよ骸、お前そんな目が出来るんじゃん。お前本当はいい奴なんだよ知ってたよ。
それを言ったら怒るだろうから、一生懸命黙ってにやにやしてた。
酔っ払ってるのをいいことに、楽しげに話しかけるとやっぱり呆れたような対応だけどどこか優しくて、クロームも嬉しそうで、凄く楽しくて嬉しい気持ちになった。
同じ車に乗ってクロームをちゃんと送ったら、骸が今度は綱吉を送ってくれるって言う。
ほらね、お前は面倒見のいい奴なんだよ。
綱吉が滞在してるホテルに連絡入れて、裏口から入れるように手配までしてくれて、何ていい奴なんだ!って込み上げてくる言葉を抑えるように、エレベーターの中では骸の背中にくっ付いてぐふぐふ笑いを堪えていた。
いいから寄っていけよとか言って骸の腕を引っ張って部屋の中に入ったら、ドアが閉まる前にキスをされて、驚き過ぎて状況が飲めなかったけどそのキスがやたら気持ちがよくて、ドアが閉まる頃にはもう受け入れていた。
記憶を一気に辿って骸を見やると、やっぱり恥ずかしくて慌てて俯いた。
「思い出した所で、どうでもいいでしょう」
「いや、よくないんだ」
「は?」
綱吉は緊張に煩い胸を抑えてからふぅと深く息を吐き、骸を見詰めた。
骸はまた探るような瞳を綱吉に向けていた。
「骸、ちゃんと付き合おう」
そう言った時の骸の顔と言ったら。
さっき見たリボーンの怪訝と呆れを絵に描いたような表情と酷似している。
今日は意外な人の意外な表情をよく拝む。
「付き合うって……恋人みたいに?」
普段より僅かに低い声はあからさまな不信感を乗せている。
綱吉は思わずううと呻くが、ここで折れる訳にはいかない。
「みたいに、じゃなくて恋人としてだよ!」
半ばヤケ気味に言い放つと、骸はこめかみを抑えて頬杖を突いた。
「何を馬鹿な」
「馬鹿じゃない!」
骸は一層怪訝な顔を綱吉に向ける。
もうこうなったらヤケクソだ。
「別にオレは責任取れとか言ってるんじゃなくて」
「はぁ?僕の方が責任取って欲しいくらいですよ」
だーかーらー!と綱吉はじたばたする。
「そうじゃないんだって!責任の話じゃなくて!オレは、お前と、恋人として付き合いたいって言ってんだ!」
大袈裟な身振り手振りで伝え切ったあと、骸が目を見張って綱吉を凝視してるのに気が付いて耳の先まで赤くなるのが分かった。
そろそろと振り上げた腕を下ろして縮こまる。
「あー…無理強いは出来な、ぶっ」
ぐいと強引に頬を掴まれて綱吉は言葉を詰まらせた。
「面白い。いい退屈凌ぎになりそうだ」
にい、と笑った骸に、綱吉は頬を掴まれたまま表情を引き攣らせた。
もしかしたらとんでもないことを言ってしまったのかもしれない。
顔を青ざめさせていると腰を抱き寄せられて、鼓動がどきりと跳ね上がった。
「よろしくお願いしますね」
小馬鹿にしたような口調で、鼻先がくっ付いてしまいそうな距離で骸が言う。
けれどその瞳の色はとても柔らかくて、綱吉は思わず見蕩れた。
綱吉はこの目をもっと見たかったのかもしれない。
温度のある赤と青の瞳を、もっと自分にも向けて欲しかったのかもしれない。
ちゅ、と見詰めあったまま短く唇が重なる。
どきどきと少年のように胸が高鳴る。
恥ずかしくて居たたまれなくなって、ふと体を話すとあっさりと解放されてちょっとほっとする。
一息ついたところで、綱吉はずっと疑問に思っていたことをふと思い出した。
「あ、そういやさ、何でキスしてきたの?お前は酔ってなかったよな?」
言い終わったのと同時に天井が視界に入って、その中で骸がにこと笑った。
肩から長い髪がさらっと落ちて、夜のことを思い出しどきっとする。
そこでようやく押し倒されたと気が付いた。
「さっそく恋人らしいことしましょうか」
「ほ!?」
ちゅう、と首を吸われて体の奥にあった昨日の熱が蘇った。
「いやいやいやちょっと待て!」
骸は返事をせずに綱吉のベルトを楽しそうに引き抜いた。
「おい聞けよ!」
「昨日の夜は、むくろもっともっとって甘えてせがんできたくせに」
「やめろ!!!」
「そこがきもちいい、って涙目で教えてくれたじゃないですか」
「やめろって言ってるだろ…!!」
精神を攻撃するのも服を脱がせるのも止めてくれそうにもない。
もうどうにでもなれという気持ちになってくる。
「ああ、そういえば君が滞在しているホテルはさすが優良ですね。行為の途中でジェルやらないと不便だと思ってフロントに連絡したら、一式揃えて持ってきてくれましたよ」
綱吉は目と口を開いていった。
骸がくふ、と笑う。
「何してくれてるんだよおおおおお!!!!」
綱吉の絶叫を物ともせずに骸は肌をまさぐった。
ごめんリボーン超めんどくせぇの選んじゃったと心の中で懺悔をする。
そうして覚悟を決めて骸の背中に腕を回した。
骸はぱちんと瞬きをした後に微笑んだ。
その笑顔を見たらまぁいいやと取り敢えず考えるのを放棄する。
会議室は完全に防音になっている訳ではないので大体筒抜けで、ぐったりした綱吉とどこか機嫌のいい骸が出てくる頃には、六道とボスがデキてるという事実がボンゴレ中を駆け巡っていた。
2013.08.24
お付き合いありがとうございました!
むくつな!!
むくつなが恋人になった過程を考えるのがとても好きです