気持ちがどうしても持ち上がらない。
自分が同性に対してそんな思いを抱いていたのにも衝撃を受けたし、
それよりも、ただ、辛かった。
ふとした弾みに視界が滲んでしまう。
何て女々しいのだろう、嫌になる。
こんな気持ちになったのは初めてだから、感情をどう逃がしていいか分からない。
会社を休んでしまいたかったけど、
そんな事をしたら部屋から出られなくなりそうだからやり過ごすためにも出勤はした。
元気がないと言われて、大丈夫だよと返すが、
大丈夫ではないのは本人も周りも分かっていて、余計に心配をさせてしまう自分が嫌だった。
こんな事誰にも言えないから、具合が悪いという事にして
これ以上心配を掛けたくなかったから言葉に甘えて定時で帰る事にした。
外へ出れば「彼」の会社が目に入る。
ちく、と胸が痛くなった。
綱吉は目を伏せて人の波に流されるように駅へと向かった。
駅のホームは人が溢れていた。
いつも乗る辺りまで何とか人を擦り抜けて辿り着くと、ホームに電車が滑り込んでくる。
流されるように車両に押し込まれて、肺を圧迫されて綱吉は短く息を吐いた。
少し正気に戻る。
今日は一段と混んでいた。
身じろいで居座りのいい場所をと思うが、それさえ叶わない。
少し爪先立ちになった。
ちょうど座席の脇で、手すりが腰の辺りに当たって苦しい。
すぐ目の前に背の高い人が立っていて、
胸のあたりに頬を押し付ける形になってしまって申し訳なくて身じろぐが、やっぱりどうにも出来なかった。
(あ、れ・・・?)
少し苦い、香水の香り。
まさか、と思ったがこの香りにも胸元の白いシャツに流れる長い髪にも、確かに見覚えが、ある。
綱吉は無意識に息を飲んだ。
急速に鼓動が速まる。
鼓動が伝わってしまうのではないかと思うほどに高鳴って体を離そうとするが、叶わない。
呼吸まで短くなってくる。
シャツ越しに、体温を感じる。
「彼」の、体温。
見れば「彼」の白い指が手すりを掴んでいて、その長い腕が綱吉を囲うようになっていた。
それに気付いてしまって綱吉はかぁ、と頬を赤くした。
(う、わ・・・、)
鼓動は速くなるばかりで、鎮まってくれそうにない。
体の線をなぞるように密着した体に、もう駄目だと思った。
駅に着いて扉が開くと、降りる駅より大分早いが逃げるように外へと出た。
大きく息を吐き出したところで、視界の端に長い髪が揺れて
「彼」が横を擦り抜けて行くのが映った。
目を見開いて顔を上げた時には黒いロングコートの背中が見えて、
そして白い紙がはらりと目の前を滑った。
(あ・・・!)
間違いなく「彼」が落としたその大きめの紙にはデザインが描かれていて
綱吉は考える前に拾い上げた。
これは大事なものではないだろうか。
慌てて顔を上げるが、「彼」は気付いていないようで人混みを擦り抜けるようにして歩いて行く。
呼び止めようとしたが、どんどんその背中が遠くなって行って
このままでは声が届かないだろう。
綱吉は急いで後を追った。
「彼」のように人混みを上手く擦り抜けられずにぶつかりそうになりながら
懸命に後姿を追った。
改札を抜けるとすぐに「彼」は長い髪を揺らしながら右に曲がる。
見失わないように一生懸命に伸び上がりながら急ぐ。
続いて右に曲がると、大分離れた所を「彼」は歩いていた。
人も疎らになってきたので、綱吉は小走りに追い掛ける。
少し距離が縮まったところで、「彼」はまた道を曲がった。
走って角を曲がると、そこは駐輪場だった。
人は誰もいない。
疎らな橙の外灯が暗い駐輪場をぼんやり照らすだけだった。
綱吉は軽く息を上げたまま、きょろきょろと辺りを見渡した。
(・・・あれ・・・?こっちじゃなかったかな・・・)
確かに曲がったと思ったが、もしかしたら見間違いだったのかもしれない。
いざとなれば会社は隣だから、明日にでも届ければいい。
でも失くした事に気付いて「彼」が気を揉まないか心配で、もう少し捜してみようと思った。
念のため奥の方まで見に行った。
やっぱりいない。
踵を返そうとして、不意に口元を塞がれる。
「・・・っ!?」
慌てる間もなく引き摺られるようにして鉄柱の影に引き込まれ、
背中に体温が重なった。
少し苦い、香水の香りがした。
はっと目を見開いて後ろを見上げると口元を覆っていた手は簡単に離れた。
すぐそこで、夢にまで見た色違いの瞳が瞬きをした。
綱吉は目を見開いてから慌てて前を向く。
「あ、あの、これ・・・!落としましたよ・・・!」
手にしていた画用紙を持ち上げると、
ええ、とまるで知っていたかのような声が返る。
「少々古典的かとは思いましたが、君なら届けてくれると思って。」
すぐそこで柔らかい声がして、綱吉は何を言われたのかまったく理解出来ずに
ただ早まる鼓動を抑えようと懸命だった。
「これはもう要らないものです。」
「え・・・!?」
不意に淡々とした声が頭上から降りてきて、綱吉は大きく目を見開いた。
長い指に挟まれていた画用紙がひらり、と落ちて自転車の後輪の下に滑っていった。
「え・・・!あ、すみません・・・!俺は、これで、」
どうやら不要なものを届けてしまったようだ。
綱吉は恥ずかしくなって駆け出そうとしたが、体が前に進まなかった。
そこでようやく「彼」の長い腕が自分の腰に巻き付いているのに気が付いた。
その光景を見て、かぁと頬を赤くしてほとんど無意識に体を捩った。
「あの、すみません、俺帰ります・・・!」
何とか逃れようとするが、見た目以上に腕の力が強く逃れる事は叶わなかった。
「あ、あの・・・?」
「彼」は何も言わない。
不安になって恐る恐る目だけで後ろを見遣るが、
「彼」の胸元に流れる長い髪が視界に入ると慌てて前を向いた。
「え、うわ・・・!」
開いている方の白い手が、本当に急に、何の脈絡もなくするりとジャケットの中に滑り混んできて
大きな手が胸の上に置かれた。
ちょうど、心臓の位置。
何をされているのかまったく理解出来ずに目を忙しなく瞬かせ慌てる綱吉に、
ふと笑い声を含む声が降りてくる。
「電車の中でも随分、鼓動が速かったですね。」
「え・・・!?」
やっぱり伝わってしまっていたのか。
「いえ、あのそれは・・・!」
言い訳なんて全然思い付かなかったけれど、肯定してしまうには勇気が足りない。
頬もきっと赤くなっているだろう。
とにかくこの場を去りたかった。
「あの、帰りたいんですけど・・・!」
腕から逃れようと体を捩る綱吉の耳元で、淡い声が掛かる。
「ずっと見てたでしょう?僕のこと。」
囁くような声はすべてを分かっているかのような温度を含んでいて、
慕情を持って見詰めていたのに気付いていたのだと告げられたようだった。
一瞬でざあ、と血の気が引いた。
気付いていたのか。
いつから、
どこから?
言い訳なんか出来る訳ない。
だって本当に、そうした欲を持って、見ていたのだから。
喉が渇いていくのが分かって、喉の奥が震えた。
震える喉からこくりと小さな音がした。
細かく震える喉元をゆったりと滑った手が、白い手が、綱吉の目の前に現れる。
左手の薬指、確かに光る指輪があった。
じくりと胸が痛む。
「これに、傷付いた顔をしてましたね。」
綱吉はは、と息を詰める。
見られてた。
ホームドアに映った「彼」を見ていたように、「彼」もまた自分を見ていたのか。
鼓動が胸を揺らす。
気味が悪いと言われるだろうか。
それが普通だ。
この人にそんな事を言われたら、立ち直れない。
けれど言われたらいっそ、楽になるのだろうか。
纏まらない思考は混濁を極め、綱吉の唇からか細い吐息が漏れた。
綱吉の体に巻き付いていた腕は持ち上がり、
そっと首元に巻き付けられた。
艶やかな髪が掛かる白い頬が視界の端に入り込んで、
はと息を詰めた時には、その白い頬が、綱吉の頬と、そっと合わさる。
綱吉は目を見開いた。
「これは君のためにつけてます。だから、そんなに悲しい顔をしないで。」
今、何て、
「僕は、君だけのものだから。」
まるで恋人同士がするように、優しく頬擦りをして、「彼」が囁く。
「君に馴れ馴れしくする人間を見るのは苦しかった。何度殺してやろうと思ったか分からないですよ・・・」
物騒な事を言っているのにその声は甘く切なく震え、
「やっと気付いてくれた・・・」
込み上げる衝動の、熱い吐息が頬を掠める。
「僕から話し掛けたら君はきっと、逃げてしまうでしょう?だから、ずっと待ってました。」
君が、僕に気付いてくれるのを。
声に導かれるようにゆるゆると視線を上げて振り返れば、目が、合う。
「彼」の向こうで外灯がじじ、と音を立てた。
長い睫毛の下で宝石のような双眸が柔らかく細められ、甘い唇は優しく微笑んでいた。
熱を孕む瞳の、水に濡れる様の美しいこと。
甘やかな笑みを乗せた唇が、愛おしそうに告げる。
「可愛い僕の、僕だけの、沢田綱吉、くん。」
綱吉、と随分と慣れたように名前を呼ぶ声に、綱吉は瞳を揺らした。
だってきっとずっと、そうして名前を呼んで欲しかったから。
瞳を閉じて受け入れたキスは、酷く、甘い味がした。
09.10.04
視ていたのは骸の方でしたというお話しでした!
なんてベタ過ぎですかねorz
最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございます><。。
どうでもいい情報なのですが(笑)骸の眼鏡は伊達眼鏡です。
綱吉とお揃いにしたかったから掛けていただけです。
と、いう裏設定がありましたv(本当にどうでもいい)