夜中に叩き起こされるのも、
その後強制で尋常ではない場所(例えば高層ビルのてっぺんとか)の散歩に
付き合わされるのにも正直慣れてしまっていたが
さすがにこれはちょっとないんじゃない?と綱吉は困惑しきった顔を水面に泳がせた。


「君があまりにも暑い暑いと言うので、涼ませて差し上げたのですよ。」


まんまるのお月様を背に威張りくさって言われればああそうですか、と
溜息混じりに返すのがやっとだった。


夜中に誰もいない学校のプールに服のまま入ってみたいとか
そんな事を思った事が確かに一回や二回あったかもしれないけれど
何も知らされずにいきなり頭から落とされたいと思った事は一度もない。

ここはどこかの高校のプールなのだろう。

綱吉が通っている中学のプールよりも深い。

爪先立ちになって顔をほとんど真上に上げなければ酸素に在りつけない。

自分が飛び落ちた反動で水が小さく波を打って、そのたびに波に体が誘われて
覚束ない爪先立ちで前にふらり後ろにふらりしている。

耳まで水に浸かるから、ざわざわごうごうと水の中の音とたまに自分の肺の音がした。

落とした張本人はといえば興味深そうに綱吉を眺めて腕組みをしているだけだった。

「ちょ、見てないで助けろよ・・・!」

前に進もうとすると爪先がするりと床の上を滑るだけで全然前に進めない。
そろそろ首も限界だ。

「ああ、泳げないのですか?」


泳げない、と言うのは御幣があるが、泳げる、と言うのも御幣がある。

壁を蹴らなければ前に進まない自信がある。
今ここで泳ごうと潜ってみてもきっと、水面にぷっかり浮くだけで体力の無駄遣いになる。
下手すればそのまま水死体だ。

酸素を求めて大きく口を開けると口の端に塩素の匂いが強い水が入り込んで
唾液と一緒にぺっぺと濡れた唇から弾くのが精一杯だった。

不幸な事に綱吉が落ちたのはプールのど真ん中で、骸は敢えてそうしたのだろうが
大袈裟ではなく命の危険すら感じた。

命の危険に晒されて綱吉は、恐怖を通り越してこの理不尽な状況に自暴自棄になって怒り始めた。

「あ・・・!分かったぞ・・・!お前実は泳げないんだろ・・・!!
だからそこにいるんだろ・・・!!ああ、絶対そうだ!お前泳げないんだ・・・!!」

この状況で骸を挑発しても何の得にもならないが、むしろ状況が悪化しそうだが
綱吉はそんな事はもう考えていられない。

死ぬならこの際最後の一太刀を骸に浴びせてやりたいと、大袈裟ではなく本気で思ったのだ。
でもきっと後になって思い出したら自分の行動に落胆するのだろうけど。


言ってやったと満足そうに骸を見上げると、翳った骸の柳眉がぴくりと跳ねたのが分かった。


ヤバイ、と思った次の瞬間小石を投げ込んだ程度の水飛沫が上がって
白い塊が水の中を一直線に綱吉に向って来た。

逃げる間もなく腰の辺りを攫われてうわ!と思わず声を上げた。
腰の辺りから持ち上げられて急激に視界が上がった。

「誰が泳げないって?」

滑らかな泳ぎを見せつけられて文句を言わせないような顔で見上げられ、
綱吉はうう、と言葉に詰まった。

「・・・まぁ、骸は運動神経いいからな、」

認めざるを得ないが、それでも悔しいのか文句を垂れるように呟いた綱吉の
運動神経がいい、というごくごく平凡な評価が気に入った骸は、
あの笑い方で軽く笑い声を立てた。


連日の熱帯夜のお陰でプールの水もまだ昼間の熱を孕んでいて
空気もじめりと熱かったから、こうして水から体を出しても全く寒くなかった。


綱吉は自分を抱えたままプールサイドに向って歩く骸の、
じぐざぐの分け目を見下ろした。

事実上でも精神的にもいつも上から見下ろされる骸を見下ろすのは
貴重な状況だが油断は出来ない。

水をしっとりと吸って幾分しんなりとした骸の房を遠慮なく握った。

じろ、と睨み上げられ綱吉はえへへ、と気まずく笑って誤魔化したが、
この命綱を離す訳にはいかない。
だってまたいつ強制ダイブさせられるか分からないから。

「あの中の水も、これくらい温ければいいのですが。」

「え・・・あ」

か細い声を上げた綱吉をちらと見上げると、綱吉は眉尻を下げていた。

「骸・・・寒いのか・・・?」

プールサイドに辿り着いても骸は綱吉を水から上げなかった。

「わ!」

いきなりすとんと落とされて驚いて命綱から手を放してしまったが
骸は綱吉を沈める事なく、同じくらいの目線で綱吉の体を抱き止めた。

「何てね。冷たい訳ないでしょう?いくら僕でも凍死しますよ。」

「なぁ・・・!お前・・・!」

「ですがあそこは息が詰まる・・・」

「・・・骸、」

伏せられていた目が濡れた睫毛ごとゆったりと持ち上がって、
オッドアイと目が合った瞬間の骸の笑みに、綱吉はああ!と声を上げた。

「お前また・・・!!からかうなよ!こっちは本気で心配してんだぞ・・・!!」

くすくすと笑いながら、水を掻いてプールの壁に綱吉を押し付けた。
骸はぴったりと体を密着させて、綱吉を完全に壁に押し付けてしまう。

「君がそうやって毎回毎回馬鹿みたいに騙されて心配するものだから、ついつい、ね。」

「馬鹿みたいって・・・!」

「だから嬉しくてつい、」


擦り寄るように頬を擦り付けられて、あまりの近さに綱吉は息を詰めた。


濡れた白いシャツに骸の白い肌が透けて、髪から覗く白い耳を水が忙しなく滑って落ちる。


綱吉も寝間着替わりの薄いTシャツだから、濡れた分もっと体が近くなって
まざまざと体温を感じる。


そろそろ心臓も煩くなってきたから骸を引き剥がそうとするけど
骸の肩に添えた手は、きゅうとシャツを握る事しか出来なかった。


「あ、ああ・・・骸、」

「何ですか?」

「ち、近いんだけど・・・」

「そうですか?近いというのはこういう事を言うのですよ。」

「ぅわ!」

濡れた鼻先をつるりと擦り合わせられて、綱吉は慌てて顔を逸らすが
密着しているから大した効果はなかった。

逸らされた顔を追うように、骸は綱吉にぐっと顔を寄せた。

「ねぇ、キスした事ないでしょう?」

「んなぁ・・・!!」

「その慌てようはそうとしか思えませんよ。」

「う、煩いなぁ・・・!俺がモテないの知ってんだろ・・・!!」

「・・・僕からしてみれば君は、焦がれるには十分過ぎる存在ですが。」

いつもの軽口とは全く違う声質にはっと顔を骸に向けると
骸は微かに小首を傾げ、酷く近い距離で目を細めていた。

柔らかい骸の微笑みは、無防備なほどの愛しさを乗せて綱吉を見詰めていて
綱吉は思わず息を詰めて目を見張った。

「知っているのでしょう?僕が君に焦がれているのは。」

まさかと思っていた事実を曝け出されて綱吉は
目を見張ったまま堪らず小さく首を振った。


「う」

「そ」

「つ」

「き」



音にならない声を紡いだ濡れた唇は最後にふわりと笑った。



伏せられていく長い睫毛を他人事のように眺めてから綱吉は、
人の唇がこんなにも柔らかいものなのだと初めて知った。


ちろ、と片目を開けて覗いた赤い瞳は、酷く不満そうな色を湛えていた。


「こういう時は目を閉じなさい。」

「ぅえ・・・!?あ・・・」


はっと我に返った筈なのに、言われるままにぎゅっと目を閉じてしまった。

二度目のキスも、やっぱり柔らかくて優しかった。


「僕の秘密を知ったからには僕のものになりなさい。」


君に拒否権はありません。もしくはこのまま溺死体になるかふたつにひとつです、と。


告白にしては甘くなくやたらと物騒、
それでも骸の目元が薄っすらと朱に染まっているのは塩素のせいにして


僕のものになりますね、と脅迫紛いの交際の申し込みに
それでも頷いてしまったのは、空に浮かぶ月の魔力のせいにして


その後骸があまりにも嬉しそうに笑うものだから、
心臓が跳ね上がってしまったのは熱帯夜のせいにした。



ちゃぷんちゃぷんと水の音が静かな夜に響く。



夏の匂いに混ざってプールの時期になる頃にきっと
毎年毎年今日の事を思い出すんだろうなぁと漠然とした予感を抱いて、
骸にぎゅうとしがみ付いた。



何せ生まれて初めて好きな人から受けた熱烈な告白と初めてのキスが
煌煌と輝く月の下、塩素の香りに包まれてだったから。





09.06.12
誰もいない夜中のプール・・・(´Д`*)はぁはぁ
人目を盗んできゃっきゃ遊んでればいいと思います(ry)
骸は綱吉に会うために実体化するのは何の苦にもなりません。(きっと)
むしろ体力回復です。