*時計台のある大きな街の片隅にひっそりと建つミュージックホールがある。大きく古めかしいそのホールは夜な夜なジャズが流れ、料理とアルコールを楽しみながらの非日常は夜明けまで続く。料理とカクテルの評判も上々、奏者も評価が良く、有力者や上流階級の人々もお忍びで通う程だったが、そのホールはいつまでも古めかしくひっそりとしてそこにあった。
その中で一人だけピアノのみでクラシックを弾く奏者がいた。彼の名前は六道骸。ホールが開店と同時に演奏を始め一時間程弾き続ける。その頃はまだ客もまばらで、骸はいわゆる前座だった。ジャズを聴きにきた客の中でクラシックが流れても耳を傾ける者はほとんどいない。それでも骸はその長い指で鍵盤を弾く。客に聴かせる為ではなくて自らの為に弾く。そうして弾き終えるとまばらな拍手の中でステージを下りていく。骸はにこりともしない。それが彼の性格だから。
「骸君、お疲れ〜」
白のスーツを身に纏いひらひらと能天気に指を動かす男の名前は白蘭。このホールの総支配人。骸は元々無表情な顔を更に醒めさせた。
「骸君ってば僕を見る時いつもそんな顔だよね」
「心が現れているんでしょうね」
「えークビにしちゃおうっかなぁ。誰のお陰で飯食えてると思ってるの?」
最低の台詞を最高の笑顔で言えてしまう辺り、やっぱり最低な人間だと思う。
「あ、今日は人足りてるからさっさと帰ってね」
「……それはどうも」
言うだけ言って白蘭は「じゃあね」とバーカウンターまですいすいとテーブルの間を縫って行った。自由過ぎる白蘭の背中にやれやれと瞼を半分まで落として、鳴り始めたジャズの音を背に従業員通路の重い扉を押し開けた。通路が音に満たされ、コツリと革靴の音も響かせて歩き出すと、背後で扉が閉まり喧騒は一気に遠くなる。
*「鍵、締まってましたよね?」
綱吉は骸の袖を引っ張ると部屋の外へ出た。骸が引かれるままに一緒に外へ出ると扉を閉め、綱吉は無言で鍵穴を指差した。骸がポケットから鍵を出して促されるまま鍵を掛けると、綱吉がドアノブを捻って扉を引く。ガタガタと音を立てるだけで扉は開かない。鍵が掛かっているのが分かる。二人は無言で顔を見合わせた。次に綱吉は体を添えて扉を持ち上げるとドアノブを捻り、その状態のまま扉を下ろした。するとあら不思議、扉が開いてしまった。
「どういう事だ!」
暫し無言で開いた扉を見ていた骸が、思い出した様に声を上げた。
「古くて錆びてるからドアノブ捻ると鍵も一緒に動いちゃうんだよ。持ち上げて捻ると引っ掛かる所がないから開いちゃうんだ」
「物理的な話しをしているんじゃない!」
「え?」
「え? じゃないですよ! どうしてここに君がいるんだ!」
「つっこむの遅!」
「呆れて言葉が出なかっただけですよ!」
「立ち話もなんだし、中に入ろうよ」
「僕の部屋です!」
綱吉が目の前にいる時は大抵怒鳴り散らかしている気がする。大声を出すとすっきりするとはよく言ったもので、どこかすっきりしている様な、複雑過ぎる胸中にはもう口を引き結ぶしかない。
「食べ切れないくらい貰っちゃってさ。腐らせると勿体ないからお裾分け」
剥き出しだったテーブルには赤いクロスが掛けられていて、綺麗に盛られたパンとフルコースの料理があった。
「聞いたぞ」
「…はい?」
嫌な予感が胸を過ぎるが対処など出来る筈もない。
「カクテル一口飲んでぶっ倒れたんだって?」
「君達は何の情報交換をしてるんだ!」
「骸の情報交換」
「止めろ!」
まったく何なんだと憤慨していると綱吉が持っていたフォークの柄で骸の下腹部をつんつんした。
「止めなさい…! 何考えてるんだ!」
「夕飯の事」
だから何でそこだけ素なんだ。手を払っても堪えている様子は少しもなくて鼻歌なんて歌いながらフォークを並べテーブルを整えた。このマイペース振りには閉口してしまう。