部屋に戻れば綱吉が奥の間で配膳をしていた。
骸に気付いてぱと顔を上げて、駆け寄る。

「お帰り、旦那!」

艶やかに花を咲かせるように笑う綱吉に、思い詰めていた事さえすべて忘れてしまうようだった。

「今日はお座敷遊びが多くって、配膳の手伝いをしていたんだよ。
ああ、でも約束通りお座敷には上がってないからね。
そろそろ帰って来る頃だと思ってさ、旦那の分も用意してたんだ。」

手を引いて急かすように奥の間に骸を座らせる。

「今日は花火が上がるって。ここは特等席なんだよ。旦那が間に合ってよかったよ。」

少しの間離れていたのも埋めるように綱吉が言葉を紡ぐから
骸は知らずに微笑んで何度も頷いて聞いていた。

「これ、君に。」

「わぁ、金魚?釣ってきたの?」

「まさか。そうして売られていたのですよ。夏祭りに行きたそうにしていたから
せめて気分だけでもと思いまして。」

綱吉は柔らかく頬を染めて尾の長いまだらの金魚を眺めた。

「ありがとう、旦那・・・きれい・・・」


水を映す瞳もまた、淡く水を含み揺れる。
骸はその瞳を見詰めていた。


「そうだ、こんな狭い所じゃ可哀想だから、こっちに移そうね。」

涼を取るための蓮を浮かべた石臼の中に、そっと金魚を放す。

「ねぇ、旦那!見て見て!」

言われるままに覗き込むと、二匹の金魚は長いを尾を水に揺らして寄り添うように泳いでいた。

「仲がいいねぇ。この子たちはきっと想い合っているんだよ。名前を付けなきゃいけないね。」



柔らかく睫毛を揺らして穏やかに微笑む横顔。

どん、と地をも揺らすような低い音に顔を上げると、その横顔は赤、緑、と照らされた。


「ああ、ほら花火が上がったよ!」


ぱらぱらと花火の散る音に耳を傾け、金に照らされる頬は仄かに上気した。


麗しく細められた目の縁に光を乗せて、綱吉は楽しそうに笑う。
綺麗だねよかったね、と笑う。


ぱらぱらぱらと花火が散っていく。


彩りを乗せて一度瞬きをし、緩やかに骸を見上げた双眸は、ひたと色違いの瞳を見詰めた。


その頬にまた光が散った。


「どうしたの、人の顔ばっかり見てさ。花火はあっちだよ。」

どうせいやらしい事でも考えてるんだろ、と言って、笑う。



今まで何をしても満たされなかった空虚な心が、
まるで水が溢れる出るように満たされていく。


綱吉が笑う。
ただ、そんな事だけで。



「旦那?」

祭囃子の音も花火の音も遠く、細い肩に額を乗せた骸に綱吉は不思議そうに首を傾げた。


綱吉が隣にいるだけでこの先も、どれほど心が豊かになるかは安易に想像出来るから、
色のなかった世界にそっと、色彩りを吹き込んでくれた綱吉の
睫毛に乗った憂いさえも取り除き、自分の手で幸せに出来たらと思っているのに。

それでも自分には、何か足りないのだろうか。


「ああ、分かった。昼間番頭さんに苛められたのがまだ尾を引いているんだろ。」

くすくすと笑う声に、骸は釣られて笑った。

「・・・慰めてください。」

「いいよ。」

肩に額を預けた骸の滑らかな髪を撫でて、広い背を優しく柔らかく叩く。

「よしよし。旦那はいい子だね。」

ぱちぱちと瞬きをしてから、笑ってしまう。

「子供扱いが過ぎませんか?」

「旦那は大きな子供だよ。」

「初めて言われましたよ、そんな事。」

笑い合って綱吉は、尚も骸を柔らかく撫ぜてそっと顔に寄り添った。


「可愛い可愛い旦那。」


唄うような柔らかな声に目を細め、優しく体を滑る手に泣き出したい気分になった理由は分からないけれど
綱吉を胸の中に抱き締めた。

綱吉は微笑んで骸の胸に擦り寄るけれど
すぐに長い睫毛をはっと上げて骸の腕からするりと抜けた。

「綱吉?」

呼び掛けて手を伸ばせば綱吉は骸に背を向けた。

「綱吉、」

腕を伸ばしてはっとした。

さっき絡まれた時に移ってしまったのだろう、微かに白粉の匂いがして
骸は舌打ちをしたい気分になった。

「これは道を歩いている時に絡まれただけですから。寄って来た訳ではありませんよ?」


何かに耐えるように俯く綱吉は決まって場違いに明るい声を出す。


「変なの!何をそんなに必死になってるの?旦那は俺のものじゃないんだから
好きにしてくれていいんだよ。」

「・・・それは君も、僕のものではないという事ですか?」


花火が上がる音がやけに耳障りに響いて
俯いた綱吉の白い頬を白々しく彩る。


「・・・そうだよ。人が人のものになんてなりっこない。
ああでも、旦那が俺にお金を落としてくれてる内は、旦那のものかもしれないね。」

力なく襷を解けば、はらりと袖が舞って落ちる。


「でもそれも、最近面倒に思っていたところだよ。」


乱れて上がり続ける花火が部屋の中を照らす。
放り投げた襷が畳の上をすらりと滑った。
綱吉は一向に振り向かない。


「どういうつもりか知らないけど、旦那は馬鹿みたいに俺を身請けするなんて言うからさ。」

「馬鹿みたい?」

「馬鹿だよ。男を身請けするなんて聞いた事もないよ。
俺は今の生活が気に入ってるんだ。適当に男の相手をして、
思わせ振りな事を言ってればお金も入るし綺麗な着物だって着られる。
それなのに旦那は俺の言葉を真に受けちゃってさ、馬鹿じゃないの。」

綱吉はゆったりと立ち上がった。

「分かっただろ?俺も所詮は花街の人間、旦那の思うような人間じゃない。
分かったらさっさと帰ってよ。旦那のせいでお客が他の子に流れちゃう。商売の邪魔だよ。」

出て行こうとした綱吉の腕を強く引いて、音を立てて襖を閉めた。

「離して・・・!」

「そんな事を言うのなら、ちゃんと僕の目を見て言いなさい。」

引き寄せる腕に逆らって顔を背けるが、抜け出せなくて綱吉はその場に腰を落としてしまう。

「言えないのでしょう?嘘のひとつも満足に吐けないくせに、
泣きながらそんな事を言われても説得力がありませんよ。」

「どこ見てるの、泣いてなんかない・・・」

「それなら僕の方を向きなさい。」


俯いた綱吉の白い頬からはたりと涙が落ちた。



振り向いた綱吉は早急な仕草で骸の頬を両手で包み
目を見張った骸の薄い唇に、柔らかな唇が押し当てられた。



目を閉じた綱吉の長い睫毛から涙が滑って落ちる。


落ちる涙でさえ光の色に染められて、綱吉は涙が溢れる瞳を細めた。


「旦那の事なんかこれっぽちも好きじゃないよ。上客だから相手してるだけだから。」


本当だよ、と涙を流す綱吉を掻き抱いて、強く唇を合わせれば
細い腕は骸の首に回されて、強くしがみ付く。

強く合わせて食むように何度も交わされる口付けに、
次第に唇は色を乗せ濡れていった。

「綱吉、」

呼吸の合間に何度も名前を呼べば、旦那旦那と綱吉が骸の背に爪を立てる。

一分の隙間も許さないほどきつく抱き締め合って、華奢な体を畳に押し付けた。

熱を帯びる粘膜を擦り合わせるように舌を絡めて食む。

心を繋げるように体も繋げたくて、大きな手が綱吉の体を這った。

割れた浴衣から零れた白い肢体は骸を受け入れるように開かれて、
骸の体に擦り寄せられた。

睫毛が触れる距離で強く見詰め合って、呼吸を混ぜ合うように幾度となく唇を合わせる。

柔らかな唇に眩暈を覚えながら、綱吉の体の中を弄った。

涙を流す綱吉は、か細い声を漏らす。


「旦那・・・入れて・・・入ってきて、」

「綱吉、」


余裕なく名前を呼んで細い肢体を抱えて
その体内に体を挿し入れた。

「あ・・・!」

ず、と一気に進入してきた熱に、綱吉は白い喉を仰け反らせた。


このまま溶け合って混ざり合ってしまえばいいのにと
白い喉に吸い付いて、後から後から零れる涙を唇で受けた。


体を揺らして突き上げるたびに、綱吉は消え入りそうな声を上げて
そのたびに唇を吸い合った。


「綱吉、僕が君を、幸せにします、」


零れる涙が悲しみを孕む。


やっと心が繋がったと思ったのにどうしてそんな悲しい顔で泣くの。


「綱吉、」


合わせた額の陰で骸も悲しみに目を閉じる。



濃紺の空に咲き乱れる花火はただ二人を色付かせるだけでその音さえ耳に届かず
石臼の水面を長い尾がぴしゃりと揺らした。







骸が小さく寝息を立て始めた頃、夜明け近く薄暗い中で
綱吉はそっと瞼を持ち上げた。

そろそろ喧噪も遠ざかり、それでも眠らない花街に疎らに声が行き過ぎている。

骸を起こさないように抱き締められていた腕を静かに抜けて体を起こすと
枕元の大きな菊のかんざしに手を伸ばした。

「・・・このかんざしはね、水揚げした時に付けていたんだよ。
だから俺の覚悟が入っているんだ。」

しゃら、と小さな音を立てて飴色の髪にかんざしを挿した。

「それにね、」

綱吉は眠っている骸の横顔を見下ろして柔らかく微笑んだ。

「これを付けている時に旦那と初めて会ったから、だから余計に大切なものになったんだよ。」

静かにかんざしに指を這わせて、眠る骸の横顔に愛おしく目を細めて微笑む。

「これくらいは連れて行っても罰は当たらないよね・・・?」


白い頬にそっと頬を寄せて綱吉は目を閉じた。


「さようなら旦那。どうか元気で。」


ゆったりと開いた瞳に静かに涙が滲んでいく。


「俺の事、すぐに忘れてね・・・」


頬を滑った涙を押さえて、綱吉は骸の腕を抜け出した。

出て行く途中に一度振り返って骸の背を見詰め、
そしてすぐに俯いて涙を落とすと、部屋を出て行った。



09.07.21