季節は移ろい、暑かった夏は過ぎ去り秋が過ぎ、やがて風は息を白く染め始めた。


地に近く、天に低く垂れ込めた灰色の雲の下を綱吉は足早に歩いていた。

番頭に言い付けられた使いを済ませて、吹き付ける北風に帰り道を急いでいた。

(あ・・・、)

鼻先を赤くした綱吉は空を見上げた。

(雪、)

灰色の雲からはらはらと大粒の雪がしきりに舞い落ちてくる。

白い息を吐きながら、綱吉はそっと白い手を広げる。

掌に落ちては溶ける雪に微笑み、歩幅を落として赤い番傘を開いた。

まだ静かな花街の中を、ゆったりと歩く。

朱塗りの街並みに降り注ぐ白に、綱吉は微笑む。

「ねぇ、聞いた?」

不意に女性の声がして、綱吉はそれとなくそちらに視線を向けた。
まだ白塗りをしていない花魁が、店先で雪見をしながら話し込んでいた。

「骸の旦那がとうとう大旦那になったんだって!」

久方ぶりに耳にした名に、綱吉は目を見開いてこっそりと柱の陰に体を隠した。

「本当に!驚いたねぇ。めっきり姿を見ないと思ったらそういう事だったの。」

「人が変わったようだって。お店も随分繁盛してるらしいよ。」

綱吉は首に巻いた毛皮に口元を埋めて大きな目を瞬かせた。

「夏の頃は随分菊ちゃんに入れ上げてたけど、振られたのがよっぽど堪えたんじゃないの?」

「旦那は痛い目を見た方がよかったんだね。それにしたって菊ちゃんだって、旦那のせいで足を洗ったんじゃないの?


「よくは分からなけど、時期からしたらそうかもしれないね。」

「それなのに一度も会いに来ないなんてよっぽど薄情だよ。」

「菊ちゃんも可哀想に。」

突然自分の名前が出て来て、綱吉は慌ててその場を離れた。


けれど綱吉は嬉しそうに頬を染めて微笑んでいて、
薄く白に染まり始めた帰り道を足取り軽く遊郭に戻った。


「ただいま。」

「おう。何だよ、ご機嫌だな。気持ち悪ぃ。」

番頭の軽口を気にもせず微笑んでいる綱吉は、番傘を畳むと軽く雪を払った。

「旦那がね、六道の旦那がね、大旦那になったんだって。隣の姐さんたちが話しているのを聞いたんだ。」

番頭がへぇ、と興味ない相槌を打つのが耳に入っていないように綱吉は誇らしげに笑う。

「だから言っただろ?旦那は立派な人だって。」

「それならもう文句はありませんね。」


心の中に大切にしまっておいたその声が、すぐそこで聞こえて綱吉は顔を上げた。

目を見張って見上げた先で、骸が微笑む。


髪が伸びて、たったの、それでも酷く長かった半年の間に骸は風格すら漂うように静謐を身に纏っていた。


綱吉は大きな瞳を呆然と揺らした。


「旦、那・・・」

何で、と口だけで呟いて助けを求めるように番頭を見遣った。

「番頭さん・・・」

番頭は事も無げに片眉を上げた。

「悪ぃ悪ぃ、言葉の使い方間違えちまってよ。」

「え・・・?」

「綱の願いを聞けねぇ薄情者は好きにしろって言っちまったんだよ。」

「ええ。とてもじゃないが、君を綺麗に忘れて真っ当な縁組をするなど出来ません。
そもそも真っ当な縁組って何ですか?それなので好きにさせて貰って今ここにいます。」

綱吉は薄く口を開いて瞳を濡らし、骸と番頭に視線を彷徨わせた。

「ず、るいよ・・・二人してそんな・・・」

「悪ぃって言ってんだろ!一度言った事を覆すなんざ、男の沽券に関わるんだ。てめぇが永久に口を閉ざせ。」

「なぁ・・・!俺の沽券は・・・!?」

「そんなもん猫にでも食わせちまいな。」

番頭は鼻を鳴らして店先の火鉢に手を翳した。

「ちょっと・・・!」

「綱吉。」

骸の声にはっと顔を上げるが、すぐにふいと顔を背けた。

「大旦那になったような人が来る所じゃないよ。早く帰ってよ。」

言って骸の横を通り抜けようとした綱吉の腕を掴み、はっと振り返った飴色の髪からはらりと淡雪が落ちた。

骸は緩やかに微笑む。

「金魚、まだ大事に育ててくれているそうですね。」

「あ、当たり前だろ・・・!金魚は何も知らないんだから!」


掴まれた手から逃れようとするが、力が上手く入らずに捕えられたままになった。

「そうそう。気持ち悪ぃ名前付けてんだよな。自分の名前とむ」

「止めてよ・・・!でたらめ言うなよ!」

「えぇ〜?話し掛けてんの聞いちまったんだけど〜暗い奴だよな〜」

「な・・・!止めてって!!」

「綱吉。」

「な、何・・・!?」

「その着物、見覚えがあるのですが?」

隠せないと分かっていても綱吉は隠すように自分の体を抱き締めた。

「これは・・・!別に旦那に貰ったからとかじゃないから・・・!たまには着ないと痛むのが早くなるからで」

「綱吉。」

「何・・・!?」

骸はじっと頬を赤くして眉を吊り上げる綱吉を見詰めた。
見詰めるだけで何も言わない骸に、綱吉はとうとう視線を彷徨わせ始めた。

「な、何だよ・・・」

「僕じゃなきゃ駄目だと泣き喚いたそうですね。」

途端にかぁ、と頬を染め上げた綱吉は、眉尻を下げて番頭に顔を向けた。

「な、何で言うの・・・!?信じらんない・・・!!」

「別に口止めされてねぇし。]

「したって言う癖に・・・!」


「あ〜煩ぇ煩ぇ。ああ、そうだ。」

番頭はわざとらしく手を打った。

「旦那が縁組してくれるってよ。」

目を見開いた綱吉は、やや間があってから小さく首を揺らした。

「縁組・・・って、そんな、出来る訳・・・」

「ええ。紙面上での形は、」

骸は楽しそうにくす、と笑った。

「僕の弟になってしまうのですが、それはただの形です。僕の両親が、君の親にもなる。」

「そんなの、許される訳ないだろ・・・」

「いいえ。僕は君の望み通り後を継いで、店も今まで以上に大きくしました。
誰にも文句は言わせません。僕が、大旦那なのだから。」

戸惑いしか浮かべない綱吉に、骸は言い聞かせるようにして言い切った。

「後継ぎは何も直系でなくとも構わないのですよ。僕が認めればその人間が後継ぎになる。
それに、君は僕の目を盗んで迎えに来ていた店の者たちを軒先で休ませたりしていたそうですね。
お陰で店での君の評判は頗るいい。」

「何だよ。行く気満々だったんじゃねぇかよ。」

「ちが、わざとじゃ、わっ」

骸は未だに腕から逃れようと体を捩る綱吉を軽々と横抱きにした。

「いいでしょう。君の言い分を聞いても構いません。ただ聞くだけですが。
僕も君には言ってやりたい事が山ほどあります。上の部屋借りますよ。まだ客は来ないからいいでしょう?」

「いちゃつくなら襖閉めろよ。気持ち悪ぃから。」

「番頭さん・・・!」

おざなりに手を降って見送る番頭に綱吉は何考えてんだよ!と文句を言うが
骸が気にも留めずに階段を上っていくから、とうとう二人きりになってしまった。



言いたい事が山ほどあると言ったくせに骸は、何も言わずに静かな廊下を歩いていく。



雪の降り積もる音が聞こえてきそうだった。


もう二度と触れる事はないと覚悟していた温もりを感じて綱吉は
濡れた瞳を隠すように袂で顔をそっと覆った。

骸はそんな綱吉を見て小さく微笑んだ。

畳にそっと足を下ろしても尚、綱吉は顔を覆ったままで骸を見上げる気配はなかった。
それでも骸はそんな綱吉を愛おしさを込めて見詰めていた。

「・・・君の事ばかり考えてました。」

静かに柔らかく想いの丈を込め言葉を紡ぐと、細い肩が揺れた。

「君に会えなくて、とても辛かった。」

顔を覆ったままの綱吉は、ひくと小さくしゃくり上げた。

「僕は君に見合う男になれましたか?」

「・・・俺、は・・・旦那に釣り合わない、」

「まだそんな事を言うのですか?・・・綱吉。」

顔を覆う手をそっと引き剥がすと、綱吉の頬は涙に濡れて飴色の瞳が水に揺れている。
骸の大きな手が、涙を消すように白い頬を滑る。

「君は僕に笑っていてと言いましたね。ですが、このままではその約束も果たせそうにありません。」

困ったように微笑んで告げた骸に、綱吉は見開いた目を揺らした。
骸は綱吉の顔をそっと手で包み込んで、とても真摯に言葉を紡いだ。


「僕は君がいないと、とてもじゃないが笑ってなどいられません。
僕は君がいないと、不幸でしかない。」


息を詰めた綱吉の瞳から涙が零れて、骸の大きな手を滑って落ちた。


「今でもまだ、僕を好きでいてくれてますか?」


綱吉の白い手が、ようやく頬を包む大きな手に触れて、


「・・・ずっと、好きだったよ・・・初めて会った時からずっと、今も、大好きだよ・・・」


骸も少しだけ泣き出しそうな顔で微笑んで、


「それなら一緒に、来てくれますね?」


堰を切ったように飴色の瞳から涙が溢れて、縋りつくようにその広い胸に擦り寄った。


「旦那・・・旦那・・・」


離れていても大切に育てていた恋はようやく実を結んで、
触れる体温はただただ温かくて、すべてを溶かしていくように繋がった。


愛しているとかそんな飾った言葉でなくとも、


「・・・大好きですよ、綱吉。」


綱吉が、涙に濡れた瞳で笑う。
けれどそれは、悲しみの笑顔ではなくて。


骸は嬉しくなって釣られるようにして笑うから、綱吉もまた笑った。


笑い合って、雪のしんしんと降り積もる音が聞こえる静かな部屋の中で、
しあわせにそっと唇を合わせた。





09.08.14
これからは骸のお店の看板娘(娘ではないですが)として仲睦まじく暮らしていくと思いますv
心残りがあるとしたら、骸が綱吉の帯を引っ張って
綱吉をくるくる回さなかった事ですw
最後までお付き合い頂き、本当に本当にありがとうございます><
この先も二人はずっとずっとしあわせです!