甘いお菓子を召し上がれ、の続きです



骸は朝から落ち着きがない。

そりゃあ、骸のことだから、他人にはそれと分からないようにしているが
千種や犬からしてみれば、落ち着きがないのは分かる。

甘いバニラエッセンスの香りが校舎を支配する調理実習日は、
骸にとっては最低最悪な日でしかなくて(なぜなら見も知らぬ女生徒たちから大量のお菓子を押し付けられるから)
学校を休むかもしくは学校を破壊するかというところまで話が進んでいた。

その日一日は骸の機嫌は頗る悪い。千種と犬の前でだけだけど。

けれどもバニラエッセンスの香りがしてくると、
骸が落ち着きがなくなるようになったのは一か月前からで、
その一か月前に何があったのかと言うと、綱吉から初めてお菓子を貰ったのだ。


その日以降綱吉は、調理実習の日には律儀にも骸にお菓子を届けてくれるのだ。


そして骸がそれを楽しみにしない理由なんてない訳で。



終業のチャイムが鳴って骸の席を見たらもういなくて、窓の外を見れば部室に向かって歩いていた。


千種は窓の外を二度見した。
その勢いで眼鏡がちょっとずれるくらい二度見した。

千種は一瞬本気で骸が瞬間移動したのではないかと思った。

骸なら出来そうだ。

怖いからそんなこと言わないけど。

遅れて部室に行くと、骸はソファに深く腰を掛けて神妙な面持ちをしているがそわそわしていた。

心成しか房までそわそわしているように見える。

「・・・何か可笑しいですか?」

「・・・いえ、滅相もありません。」

無意識に緩んでしまっていた口元を引き締めて、
千種はすでに山盛りになっているお菓子をダンボールに詰め始めた。

今日はシュークリームだ。

これもゴミ箱か犬の口の中に入れて処分するように言われているので、
とにかく無心に詰めるが、途中で部室の扉が叩かれた。

出ようと思ったのに骸が千種の顔面を鷲掴むようにして押し退けて扉に向かって行った。

それはちょっとやり過ぎじゃないかと思いながら、
千種はずれた眼鏡をちゃちゃっと元の位置に戻し骸の方を
見ると、
骸は扉に力なく寄り掛かるようにしていた。

心成しか房までしんなりして見える。

どうやら待ち人ではなかったようで、でも普段の骸なら平静に振舞うのに
あからさまにがっがりしている骸は更にこんなことを言った。


「僕は今いません。」


そう言って力なく扉を閉めてどんよりとソファに座る。

扉の向こうでは女子生徒たちがざわついているのが聞こえた。

骸はいつも爽やかなイメージらしいので、今の骸の態度は目を疑うようなものだろう。

今の六道先輩・・・?とかそっくりさん・・・?とかそんな茫然とした言葉が聞こえる。

千種はそっくりさんという言葉が若干ツボに入りながらも、仕方がないので扉を開けた。

「骸さまは今いない。」

あからさまな嘘でも、女生徒たちはほっとした様子で
やっぱりさっきのひと違うひとだったんだと言い合っていた。

骸がそういう振る舞いをしてそうしたからだけど、美化され過ぎだ。

千種はちょっと笑いそうになるが、眼鏡を押し上げるに留まって
事務的にお菓子を受け取った。

最後の一個を受け取ったとき、その女生徒は恥ずかしそうに言った。

「あの、それは柿本先輩に・・・!」

言ってきゃあきゃあ言い合いながら走って行った女生徒たちを何となく見送ってから
千種は長い指で頬を掻いた。

どこのクラスの子とか学年さえも知らないけど、悪い気はしない。


けれど主は違うようだ。


部室に満ちた甘い香りから顔を背けるようにして
人様にはお見せ出来ないような顔で窓の外を見ている。

そして突然はっとしたように長い睫毛を持ち上げて少し静止した後に、
ぺったりと瞼を落として動かなくなった。

きっと『もしかしたら沢田綱吉はもう来ないのかもしれない』と思い付いてはっとして、
自分の考えに暗くなったのだろう。

骸は綱吉のこととなると、いつもの狡猾さは見る影もなくなる。

こんこん、と控え目に扉が叩かれるも、骸の瞼は微動だにしなかった。

どうやら自分の妄想にショックを受けて向こうの世界に行ってしまったらしい。

もう一度こん、と扉が鳴った。

千種が立ち上がってこの弱々しい叩き方は、と思ったとき、扉がそおっと開いて淡い色の髪がひょっこり覗いた。

「こんにちはー・・・あ、骸!」

分かっていた。

千種は骸に押し退けられることくらい分かっていた。

ほんの数秒前までどこかに行っていた骸は、
綱吉の声を聞いた途端にあり得ない速さで千種の顔面を鷲掴むようにして綱吉の前に行った。

千種は大人しく顔面を鷲掴まれて押し退けられた。

「あ・・・あの、これ。」

いつものように恥ずかしそうに差し出されたシュークリームは、
綺麗なリボンを付けていて、そして大きかった。

何でだろう、綱吉の作るお菓子はいつも他のひとの作るお菓子に比べて2倍くらい大きい。

千種は綱吉が一言「愛情が大きいからだよ!」と骸に言ってくれないかなーと期待をする。
そうすれば世界の均衡が守られると思う。何となく。

骸は綱吉の大きいシュークリームを両手で受け取ると、にこにこし始めて
綱吉も釣られるように恥ずかしそうににこにこしている。

千種はそれを見て思った。
まあ平和だからいいか、と。

「明日の土曜日は、何か予定はありますか?」

「え!?ううん・・・特にないよ。」

「いつも貰ってばかりで申し訳ないので・・・明日ランチでもどうでしょう?」

綱吉は大きくぱちりと瞬きをした後じわじわと頬を染めていって、ほんのちょっと泣き出しそうな顔をした。
骸も釣られるように少し眉尻を下げた。

「駄目ですか?」

「う、ううん・・・!行く!」

ほっとした骸はまた微笑んだ。

「一緒に帰りませんか?明日の予定を決めましょう。」

「あ、うん!俺・・・カバン持ってくるね・・・!」

言ってバタバタと駆け出した綱吉は後ろを振り返りもしなかったけど、
千種は振り向かないでよかったと思った。

骸は拳を握っていた。
恐らく無意識だろう。

デートまで漕ぎ着け、更には一緒に帰る約束までしたのだ。
それは拳を握りたくもなるだろう。

「どうですか、誘えましたよ。」

「はい。」

一か月かかりましたね、という言葉は飲み込んだ。


本当は朝から一緒にいたいらしいが、綱吉は朝が弱いので妥協して昼の待ち合わせにしている。

一か月間、正確には綱吉に思いを寄せ始めてからずっと練っていたデートプランは完璧だ。
綱吉を飽きさせることもなく、きっと楽しいデートになるに違いない。

これでもっと距離が縮まって、いい仲になってくれれば千種も犬も一安心だ。


骸はそんな千種の胸中を察する素振りも見せずに、悪い笑みを浮かべてカバンを広げた。
骸の悪い笑みは素なだけなので、悪いことを考えている訳では決してない。


広げたカバンから小さな金庫が出てきて、千種は眼鏡の奥でぱちりと瞬きをした。
そういえば最近骸のカバンが重そうだとは思っていた。

骸は意気揚々と鼻歌でも歌いそうな雰囲気でダイアルを回すと蓋を開いた。

重厚な金庫の縁から可愛らしいリボンが覗いて、千種は再び瞬きをした。

「・・・骸様・・・それは・・・?」

骸はさも当たり前のように言い放つ。

「お菓子入れですが。」

恐る恐る覗いて千種は珍しく絶句した。

色取り取りのリボンにラッピングされた巨大なお菓子は、どれも見覚えがあるもので
ぜんぶ綱吉から貰ったお菓子だった。

どうやら骸はぜんぶ食べないで保管していたらしい。金庫に。

「・・・お召し上がりに?」

「彼を送った後にね。」

「えぇ!?」

千種は生まれて初めて素っ頓狂な声を上げた。

「・・・何ですか、今の声。」

「・・・俺にもよく分かりません。」

「明日は長い時間一緒にいる予定なので、感想を聞かれたらちゃんと答えられるようにしておかないと。」

「ぜんぶ、ですか・・・?」

「何ですか?」

「いつものように適当に言っておけば宜しいのでは、」

「彼に適当なことを言った覚えはありません。」

「いえ、そういう意味ではなく、」

「何ですか。はっきり言いなさい。」

千種は視線を泳がせた後、思い切って口を開いた。

「・・・さすがに傷んでいるかと・・・」

特に三週間前のババロアが怪しい。

骸は怪訝な表情でひとつ瞬きをした。


「だから何ですか?」


ああもう駄目だこのひと、と思った。

綱吉のこととなると持ち前の冷静さとか狡猾さとか
そんなのが粉々のぐちゃぐちゃになる。

お菓子を金庫に入れている時点でどうかしているし、
傷んでいるという言葉にだから何だと返すのは正しい答えではないだろう。


千種は息を飲み、そして決意をした。


「・・・お戻りになったら紅茶を淹れますね。」

骸は頷いて、ぱたぱたと走って来る綱吉を窓の外に見止めると、
重そうなカバンを持って外へ出て行った。

窓の外で並んで歩いている綱吉と骸が、少しずつその距離を縮めながらだんだん小さくなっていく。

千種は自分に言い聞かせるように頷いた。



どちらにせよ、骸が幸せになるならそれでいい。



次の日、空は底抜けに青く太陽が輝いていた。

絶好のデート日和。


そしてベットに潜る骸の顔面も空と同じくらい青かった。


綱吉の作ったお菓子でこうなったのだ、悔いはないだろう。

「・・・骸さま、ボンゴレに連絡をしておきました。」

「・・・は?」

骸の眉間にあっと言う間に深い皺が出来、くたりとしていたのはどこへ行ったのか
体を勢いよく起こして千種の襟元を掴んでがくがく揺すった。

「何を勝手な真似を・・・!」

「・・・骸さまはお出掛けになれない状態かと思いまして、」

「思いまして、じゃない!勝手な判断をするな!」

がくがくされ過ぎて眼鏡がずり落ちそうになるが、骸の攻撃の手は止まない。

そろそろ千種の目が回ってきた頃に、部屋の扉が勢いよく開いた。

「むくろ・・・!」

飛び込んで来たのは、息を弾ませた綱吉だった。

思わず目を見開いて動きを止めた骸の手から逃れた千種は、
眼鏡を直してからひとつお辞儀をすると部屋を出て行った。

綱吉も千種にぴょこりとお辞儀をしてから、おもむろにカバンを広げて大きめの保存容器を取り出した。

「あ、あの・・・これ、母さんに作って貰ったんだ・・・おかゆ。」

ベットサイドのテーブルに置いてから、
綱吉は走って来たままの呼吸を落ち着けようと何度か大きく息をした。

「・・・どうぞ、」

未だに状況が飲み込めていない骸は、とりあえず綱吉に席を勧めた。

綱吉ははあはあと息を上げながら、腕で乱暴に汗を拭ってありがとう、と腰を下ろした。

「おかゆ、本当は俺が作りたかったんだけど・・・また具合悪くなっちゃうと申し訳ないから・・・」

苦笑うような、寂しそうな笑みを浮かべた綱吉に骸は思わず声を上げた。

「これは・・・!君のせいではありません・・・」

「・・・え?」

骸は些か気まずそうに睫毛を伏せてから、諦めたようにひとつ息を吐いた。

「いえ、確かに君に貰ったものを食べてこうなったのですが、ずっと取ってあったんです。」

「あ・・・俺が作ったのは食べるの不安だよね・・・」

膝の上できゅうと握り締められた小さな手を、骸は思わず握って
弾かれたように顔を上げた綱吉の瞳と視線が合うと、意を決したように力を込めた。

「そうじゃ、なくて・・・」

重なり、握られた手に、綱吉はかあと頬を染めた。

骸はその頬の色を見て、どきりと心臓を跳ね上げてしまって、
けれど今、この手を離す訳にはいかないから、もう一度手を重ね直す。

「・・・君が作ってくれたものを食べてしまうのが惜しくて、取って置いたんです。」

綱吉は驚いたように目を見開いてでも、骸の真摯な眼差しと目が合えば慌てて俯いてしまう。

「そ、そんなの・・・いくらでも作るのに・・・」

「・・・どのくらい?」

「・・・いくらでも・・・作るよ、」

「いつまで?」

「え!?」

寂しそうな色を乗せた骸の瞳に綱吉は目を見張ってから、骸の手をぎゅっと握り返した。

「ずっとだよ・・・!!」

言ってから綱吉はまた耳の先まで赤に染めて、カバンを肩にかけて立ち上がった。

「ああああの、俺もう行くね・・・!」

骸は逃げ出しそうになった綱吉の細い腕をしっかりと握った。

「もう、帰ってしまいますか?」

あーうーと顔を真っ赤にして視線を漂わせていた綱吉は、少し間を開けて呟くように言った。

「・・・辛くない?」

「君と会ったら楽になってきました。」

からかうでもない真摯な声に綱吉の頬はもう林檎のように赤くなってしまって、
よたよたと椅子に腰を落とした。

「あ・・・じゃあ、お昼ご飯一緒に食べようか・・・」

おかゆだけど、と綱吉は少し照れ臭そうに笑った。

「昨日話してたお店は・・・あー・・・」

「僕が、元気になったら一緒に行きましょう。」

はっと視線を上げれば骸の優しい笑みとぶつかって、頬を赤くした綱吉もまた笑った。



今部屋に入って行っても気付かれないかもしれないから、
お茶を置いてくるくらいは許されるかなと思って、千種は一応部屋の扉をノックした。



2010.03.20
お菓子の大きさはきっと愛情の大きさです(笑)

あめりさんに捧げます!