空には薄い灰色の雲が隙間なく広がっている。
風が吹いても流れていかない雲は永遠に晴れる事を知らないように思えた。
さっきからもうずっと霧のような雨が降り続いていて、季節外れに風は冷たかった。
静かなプールサイドにぱしゃりと魚が跳ねるような音が響く。
壁を蹴れば浮いた体が自然に水を割る。綱吉が通った後に小さな波形が出来て排水溝に水が溢れる。
ぱしゃりぱしゃりと水の音だけが世界を支配した。
水に体を預けて体をひっくり返すと、空が見えた。
曇り空でも昼間の空は少し眩しい。目を細める。
皮膚が硬くなって粟立っている。爪先が冷えてじんわりと痺れた。
不意にプールサイドに靴音が響く。綱吉は目も動かさずにじっと浮かんでいたけど、やがて視界の端にスーツ姿の骸が映った。
漆黒のスーツに神経質にシャツの釦を上まで閉めて、ネクタイすら緩めないその姿こそ季節外れだなぁなんて綱吉はぼんやり思った。
揺れる視界の中で骸は無表情に綱吉を見下ろしている。
「体、冷えますよ」
もうとっくに冷えている。言おうと思ったけど、言うとまた面倒なので綱吉は何も言わずにプールの底に足を着いた。
骸も何も言わない。
綱吉が水を割る音だけが二人の間に響いた。
「体が冷えるとどうなるか知ってますか?」
「…何となく把握してる」
綱吉は顔を拭いもしなかった。ぽたぽたと水滴が髪の先から、睫毛の先から落ちては水面に輪を広げた。
雨粒が少し大きくなる。
空気に触れた皮膚は一層縮こまり、水の中の方が温かい事を実感させた。
綱吉が溜息混じりに上げた顔を、水が伝う。
するすると流れて涙みたいに見えた。
骸も溜息を落とす。
「…冷えた」
「そうでしょうね」
呆れた声で言った骸に、綱吉は腕を伸ばす。
骸は椅子に掛けてあった乾いたタオルを広げるが、綱吉は腕を伸ばしたまま足を動かさなかった。
微かな抵抗に、骸はまた呆れて眉を持ち上げた。
「ねぇ、抱き締めて」
骸はタオルを無造作に椅子に放るとプールサイドに屈んだ。綱吉はにこりともせず腕を伸ばしたまま骸に歩み寄る。
ようやく辿り着いたプールサイドで綱吉が手を突いて上がろうとした時、骸の人差し指が額に添えられた。
目を寄せるようにしてそれを見た綱吉は、次の瞬間には額を押されて背中からプールの中に勢いよく沈んだ。
揺れる水面の向こうで骸の姿も揺れた。
反射的に体を飛び起こした綱吉は目を丸くして骸を見上げる。
骸は少しも悪びれもせずに、淡々と言った。
「君は体を大事にしなさい」
睫毛の先にぶらさがった水滴の向こうで、骸は今度は不機嫌に眉根を寄せた。
「僕の為に」
瞬きをすると水滴が落ちた。
その次に綱吉はようやく笑って、懲りずに骸に腕を伸ばした。
骸は濡れる事も気にせずに綱吉をプールから抱き上げる。
じんわりと滲んでいく水滴。
とても温かいと思った。
2011.08.21
今日があまりにも涼しいので突発的に(笑)