精液


「別荘、いつでも引っ越せるようにしておきました」

いつも通り一緒に夕飯を食べていたら骸があっさりと言って微笑んだので、綱吉は目を見開いてからおずおずと口を開いた。

「あ・・・あの、引っ越すって、ここにはもう戻って来ないんですか・・・?」

「そうですよ?」

骸が当たり前のように不思議そうに言うから、綱吉はちくんと胸の奥が痛くなった。

(そうだよな・・・俺と会えなくなったって別にどうってことないよな・・・)

「沢田くん?」

無意識に眉尻を下げてしまっていた綱吉は、慌てて顔を上げた。

「今日は泊まってもいいですか?」

「え!?」

取り繕う前に骸が口を開いたので、綱吉はますます目を丸くした。

「構いませんか?」

重ねて柔らかく問われて、綱吉は思わず何度も頷いた。

「あ!あのじゃあ、お風呂入れますね!」

「おや、いいのですか?いつもシャワーだけですよね」

「え!あ、そうなんです・・・湯船の掃除が面倒でつい・・・六道さんもシャワーだけですか?」

「特にそういう訳ではないのですが、あの部屋は湯船が使えないので」

「故障ですか?」

「故障・・・どうでしょうねぇ?」

綱吉の何気ない問い掛けに骸は珍しく考えるような素振りを見せて、結局返って来た答えは骸も知らないというような曖昧なものだった。

不思議に思いつつも、綱吉はあまり深く考えずに浴槽にお湯を貯めるために立ち上がった。



骸が自分の家の浴室を使っていることに意味も分からずどきどきしながら、ベッドの布団を整えた。

(こたつの布団があるから、俺は下でいいや)

ベッドはもちろんシングルなので、背の高い骸と並んで寝る訳にもいかない。もしも一緒に寝たら相当くっ付かなければならないから。

「・・・」

(いや、いやいやいやいや)

思わず想像してしまった綱吉は頬を林檎のように赤くして、思考を振り払うように頭を振った。

「どうしました?」

声に驚いて振り返るといつの間にかドライヤーまでかけ終えた骸が立っていて、綱吉と目が合うとにこと笑った。

「や!あの、何でもないです・・・!」

何でもないと言うには頬が赤過ぎる自覚があったが無理矢理誤魔化すと、骸はそれ以上何も言わずにベッドに腰を下ろした。
綱吉はどきりと鳴った心臓に気付かないふりをして、骸を見上げた。

「じゃああの、六道さんがベッドを使ってください」

何言ってるんですか、と骸は楽しそうに笑って、綱吉の腕を引いた。

「わ!」

後ろから抱き込まれてそのまま一緒にベッドに横たわる。
骸の胸に背中がぴったりと重なって、その温かさに綱吉は頬を真っ赤にした。

「別々に寝るのでは、泊まる意味がないでしょう?」

耳元で擽るような声が溢れて、綱吉は思わずふると睫毛を揺らした。

電気が消されて、部屋が薄暗闇に覆われる。
骸の確かな腕の重みが体を抱き込んでいる。

心臓の音が聞こえてしまいそうで、綱吉は思わず呼吸を潜めた。

「あ、の・・・どうして今日泊まってくれたんですか・・・?」

「君が寂しそうに見えたから」

心臓が強く脈を打った。
大きな掌が慈しむように髪を撫でる。

「安心して寝てください。傍にいますから」

綱吉は言葉に詰まった。

傍にいてくれるのは嬉しいけれど、それは一体いつまでなのだろう。

気にしているのは自分だけかと思うと、骸に尋ねることは出来なかった。
綱吉は寂しい気持ちを抱いたまま、それでも骸の体温に安心して眠りに付いた。


目覚まし時計の音が遠くで聞こえて、ゆるゆると意識を覚醒していく。

睫毛を震わせながらゆったりと瞼を持ち上げると、カーテンの隙間から朝の光が零れていた。

いつもより温かい布団の温度にはっと見上げると、骸はもう起きていて綱吉と目が合うとにこと笑った。

「おはようございます」

「お、おはようございます・・・」

随分前から起きていたように骸の声ははっきりとしていた。
綱吉は頬を淡く染めてもごもごと返すと、柔らかく笑う吐息が頬を掠めて、ますます頬を赤くした。

「それでは僕は帰りますね」

「え!あの・・・朝ごはんは」

骸は柔らかく笑うと、綱吉の髪にキスを落とした。
綱吉は目を見開いて完全に動きを止めてしまい、骸はそんな綱吉に布団を掛け直すとそっとベッドから降りた。

「風邪を引かないように。夕飯は一緒に食べましょうね」

綱吉がはいと思わず勢い込んで返事をしたのを聞いてから、骸はあっさりと部屋を出て行った。

隣の部屋の玄関が閉まる音を聞いて、綱吉はゆるゆると体を起こした。


(キ、キスされた・・・)

唇が触れた箇所を柔らかく触って頬を赤くしてから、腹の上の違和感に気付いた。

「・・・?」

布団と腹の間でひんやりと冷たい感覚が広がった。
不思議に思って捲くると、布団とシャツの間で粘着質な液体が糸を引いてすぐに切れた。

何か分からずに視線を落として濡れた腹に手を滑らせ、綱吉は絶句した。

目の前で広げた指に絡み付いていたのは間違いなく精液だった。

「う、うそ・・・」

思わず呟いて
指を凝視する。

朝の柔らかな日差しに似つかわしくなく、ぬらと光を孕んだ。

綱吉は顔を真っ赤に染め上げて、今更だが慌ててティッシュで拭き取った。


骸は気付いていたのだろう。
だから気を使って早々に部屋を出てくれて、夕飯まで誘ってくれた。


恥ずかしいなんて言葉では言い表せない焦燥感が滲み出てきた。

(何で・・・俺・・・)

どうして骸が泊まった今日に限ってこんなことになったのか。今まで一度もこんなことなかったのに。

まさか骸を性的な対象として見てしまっているのだろうか。

思い至って綱吉は耳の先まで赤くした。思い当たる節がないと言ったら嘘になる。

(恥ずかしくて・・・顔合わせられないよ・・・)

指先をごしごしと擦りながら、泣き出しそうな気持ちになった。


2010.10.24