*「私の機嫌を損ねない方がいいのでは?」
値踏みをする様に酷く近い距離でジョットの姿を遠慮もなく眺め、コツリコツリと足音を響かせながらジョットの周りをぐるりと回る。正面に戻るとすぐ目の前に立った。ジョットはその視線を正面から受け取る。男は少し身を屈めるとジョットの耳元に唇を寄せた。
「ねぇ、ジョット」
囁く声に思わず目を見開いて顔を上げると、男は悠然と微笑んだ。
「…何故オレの名を知っている」
「貴方の事は知っていますよ。森の麓の教会に住んでいる慈悲深き大司教。可哀想に閉じ込められて」
「オレは自由の身だ。閉じ込められている覚えはない」
「さて、どうでしょう」
軽い調子で言って男は身を翻し窓辺に寄り掛かって腕を組んだ。
「それで話とは? 今なら聞いて差し上げても構いませんよ」
男を目だけで追っていたジョットは改めて男に向き直ると静かに口を開いた。
「街の人間にはもう手を出さないで欲しい」
ジョットの言葉を聞くと、男は静かに瞼を半分落とし、顔を翳らせて微笑んだ。
「まるで被害者の様な口振りだ」
男はゆったりと顔に手を添え薬指の先を噛んだ。
「そうじゃない」
「薄汚い人間が。先に手を出したのは貴様等だろう」
ジョットは溜め息の様に睫毛を伏せた。
「美しい毛皮が欲しいと言い、血肉は永久の命が手に入るとの戯れ言を鵜呑みにし、人の姿の時は奴隷の様に鎖に繋ぎ、殺し、相応の報復に出れば止めろと? 随分都合がいい」
「その通りだ」
瞳に薄暗い闇を乗せ、歯軋りが聞こえそうな程憎しみの籠もった声にも、ジョットは確かな強い意志を持って男から目を逸らさなかった。燃え上がる様なオレンジの瞳に、男の目にも光が走る。

*は、と呼吸を詰めた所で体を薙ぎ倒された。
そのままの勢いで地面に倒れ込むが、ジョットの体に巻き付いていたデイモンの腕が衝撃を緩和していた。
吐き気を覚える程強く脈を打っている鼓動に呼吸は乱れ、額に汗が滲む。
は、は、と短い呼吸を繰り返すジョットの鼻先で、デイモンがジョットのオレンジの瞳をじいと覗き込んでいる。そして掌でジョットの額の汗を拭った。
ジョットの視界の中にはデイモンしか見えない。瞳の中のデイモンは血に濡れてなんかないし、きっと自分も血なんか着いていない。
そう気付けば密着した体温がじんわりと滲んで温かった。ふと呼吸を落ち着かせたジョットにデイモンは笑ってから、そっと頬を合わせた。
「余計なものを見ましたね」
「…余計なもの?」
デイモンは答えずに動物がする様な仕草で頬を擦り寄せる。髪が頬をくすぐった。デイモンは首筋にまで擦り寄るから、ジョットはとうとう笑う。
「…くすぐったいな」
デイモンも笑うと今度は鼻先を擦り合わせた。しばらくくすぐったさに笑っていたのだけど、ふと睫毛を持ち上げて絡まった視線に、動きを止める。鼻先が触れそうな距離で瞳を揺らし、ただ見詰め合う。夜風が行き過ぎて髪を揺らす。風の鳴る音さえ酷く遠かった。
やがてデイモンはひとつ瞬きをすると、そっと顔を寄せた。そしてそうする事が当たり前の様にジョットは静かに瞼を落とす。
唇が、重なった。