石造りの道は背中に固く、飽きもせず降り続く雨は体を濡らしていく。
生温い灰色の雲は平穏で、さっきから空ばかりを見ている瞳は動かすことさえ出来なかった。
瞬きをしているかも定かではなく、雨は体と変わりなく眼球も濡らしている。
耳の横で雨が水溜りを鳴らす音が鮮明で、それ以外は特に音がしなかった。
それが良い事なのか悪い事なのか判別を付ける気もない。
やがて背中を預けている石は生きもののような柔らかさを帯び始め、ずぶずぶと体を飲み込んでいった。
少しずつ遠ざかる灰色の雲。視界の端は徐々に黒に支配されていく。
狭まった視界はやがて黒一色に染まった。
けれど恐ろしさはひとつもない。
闇に視界が塗り潰されたのもほんのひととき。
今度は背中から静かに水に体が落ちて行った。
とぷりとささやかな音がしたあとは、相も変わらず瞬きをしているかすら分からない瞳が映し出したのは深いコバルトの色を持つ水だった。
海なのかもしれない。
夜の闇の中に堕ちていくような錯覚を齎し、けれども抗う術もなく、抗う理由もなかった。
冷えた指先がじんと音を鳴らした気がした。
徐々に冷えていく体は生命を削っているのかもしれないが、それも憶測に過ぎない。
生々しい感覚を持つ夢を見るのは久し振りだった。
けれどこれが夢と分かっているから特に何をする気もなかった。
例え手足がもがれていこうとも、ただの夢に過ぎない。痛みを伴ってもそれは所詮まやかしだった。
どこまで堕ちるのか見物だ。
投げ出した心も体も冷たい水に預けていたのに、それを許さないかのように一筋の光りが差し込んだ。
自分だけを照らす光は生命を吹き込むかの如く温かく、柔らかかった。
ゆったりと沈んでいく道筋を照らし、迷うことなく包み込む。
温かかった。
夢の中の、まやかしに過ぎなくても。
呼吸と共に、血液が体を巡る音を聞く。
生きているのだと思った。
きっとこの光は深く海底に身を落としても届いているのだろう。
光は隣にも差し込んだ。
そっと柔らかく、けれど強い色の光り。
光りの道筋は一つ、また一つと増えて、やがて水の中すべてを照らした。
眩しくて温かいその光は、オレンジの色をしていた。
美しいオレンジ。
デイモンはそこで初めて瞳を曇らせた。
誰もが魅入られるであろう存在に、自分も人と同じように心酔してしまっているのが疎ましかった。
どんなに手を伸ばしても届かないなら、人と同じ位置でしか見られないのなら、
要らない。
意識を引っ張られるように目を覚ませば、思っていた通りのオレンジ色の瞳と目が合った。
前髪を撫でていた温かい指先が離れると反射的にその手を握った。
ジョットが些か驚いたように睫毛を揺らしたので、ほんの少しだけ気が紛れる。
「お前がこんな所で寝入るとは珍しいな」
「…ここは」
思った以上に掠れた声に、ジョットはまた少し驚いたように瞬きをしてから柔らかく笑った。
「人の部屋のソファを占領しておいて寝惚けているのか」
ああ、とまるで気のない返事をすれば、目尻から水滴がぱたりと落ちた。
睫毛を濡らした水の欠片が視界に映り込み光が乱反射する。
「…これは、ただの水です」
握った手もそのままにしていれば、また頬が濡れていく。
そっと伸びた指先が優しく頬を撫で、濡れた頬を拭う。
「…お前の、故郷の海の色に似ているな」
だから嫌なんだ。
こうやって人の心に簡単に入り込む。
苛烈な思慕は憎しみに転じ易く、それらは背中合わせにあるのだと、誰よりも知ってしまった。
2011.01.02
普段泣かなそうな人が泣くのが好き。ジョットが泣くのも好き。
ジョ→←スペみたいな。でも肉体関係はあると思う