外灯も疎らな田舎道を、クラシックな車がゴトゴト走る。
随分と久し振りに出くわした信号が赤だったので、車は静かに止まった。

ラジオも点いていない静かな車内にカチカチと安いライターの点火音が響き、目の前に白い煙と煙草の匂いが伸びてきた。

助手席の綱吉はあからさまに運転席の骸を見遣った。

「また吸うのか?」

いわゆるチェーンスモーカーの様になっている骸は長い睫毛を揺らし、ゆったりと細い煙を吐き出し、人さし指と中指に煙草を挟んだまま、ハンドルに手を置いた。

「苛々していると吸いたくなるとはよく言ったものですね。習慣性はなかったのですが、今はニコチンが恋しくて仕方がない」

骸に苛々している様子は微塵もないが、綱吉はぐっと言葉を飲み込んだ。

信号が青に変わる。

車がまた静かに滑り出した。

恐らくこれが最後の信号。この先は人も通らない暗い夜道が続いている。
綱吉が無意識に落とした溜息に、骸の柳眉がぴくりと動く。

「…何か?」
「や!別に…」

長い指がこつこつ、と神経質にハンドルを弾いたので綱吉は心ばかり首を竦める。

「僕の事好きって言ってください」
「あ、あのさ…そういうのは」

途端きゅるきゅるとタイヤが高速で回転を始めた。背凭れに押し付けられる様な強い重力で車が急加速する。

「僕はねぇ、沢田綱吉。君と心中したって構わないと思ってるのですよ」

指に挟んだ煙草から灰が落ちる。骸は強く踏み込んだアクセルを離す素振りは少しもない。
急激に流れる景色。ハンドルが切られて車は草原に突入した。
がこんがこんと揺れる車に舌を噛みそうになる。
クフフと隣から楽しそうな笑い声がして身震いした。

「ちょ、むくろ!」

草原が途切れ目の前に暗闇が広がる。道がない。その先はきっと崖だ。

加速は止まらない。

体を動かす事もままならないくらい重力が強い。

「ボンゴレ]世が霧の守護者と心中、か。語り継がれてしまいますね」

嬉しそうに骸が言う。

車が黒い闇に飛び出した。

内臓が浮き上がる。

は、と息を詰めた瞬間、車は草原の中で停止していた。
どうやら幻覚を見せられていた様だ。

ど、ど、ど、と心臓が強く脈を打つ。
息を整える間もなく、骸の手によって綱吉はダッシュボードに体を強く押さえ付けられた。衝撃でぐ、と思わず声が漏れる。

「僕のこと、好きですよね?」

殺意の滲む声に思わず目だけで骸を見上げれば、思った通り殺意を少しも隠さないぎらついた瞳と目が合う。
好きだなんて言葉、本当は強制される様に言いたくないのだけれど、綱吉は堪らず言ってしまう。

「は、い…好きです…」
「宜しい」

少しは満足したのか、それでも吸っていた煙草を綱吉の足元に投げ付けた。

「おい!」

慌てて革靴で踏みつけるが、骸は素知らぬふりでまた煙草に火を点けた。
濡れた様な薄い唇にそっとフィルターが張り付く。
綱吉が思わず目を見張ると、骸は煙を吐き出しながら柔らかく微笑んだ。

「見惚れました?」
「え!あ、うん…」

正直に言うと何故か骸が険しく眉根を寄せたので、綱吉はびくっと睫毛を揺らした。

「くそ」
「何だよ…!?」

綱吉は急発進した車にまた座席に背中を打ち付ける。

今度こそ骸は苛々と煙を吐き出し、綱吉は少し噎せた。窓を締め切っているので煙が充満しているのだ。

「…ちょっと窓開けていいか?」
「駄目です」
「10センチくらい」
「駄目」
「じゃあ5センチ…」
「絶対駄目」
「1ミリ…」
「無理」

ぽかんと呆れた綱吉を見もせずに、骸は苛立たしく前髪を掻き上げた。

「そこから逃げるつもりでしょう」
「…1ミリだぞ。よく考えろ」
「君ならやりかねない」
「オレがいつ1ミリの隙間を通り抜けた?」

返事をする代わりに骸がくそと呟いたので、これはもう聞き届けて貰えないなと綱吉は呆れ混じりに諦め、また少し噎せた。

ヤニでべたついている前髪を払おうと手を持ち上げた綱吉は、しばらく手首を見詰めてから、やっぱりどこか呆れ混じりに手首を持ち上げ骸を見遣った。

「逃げないからさ、これ…外してくれない?」

持ち上げた腕には手錠が幾重にも着けられていて、じゃらりと音が鳴った。
骸は前を向いたまま眉根を寄せる。

「つまらない冗談ですね。笑えませんよ」
「特に笑わせようと思って言ったわけじゃないけどな」

音を立てた手錠に目を落とす。漆黒の闇の艶を乗せ、仄かに紫の炎を纏っている。外そうと手首を動かせば、またひとつ増えた。
綱吉はとうとう大きな溜息を吐く。

「これヒバリさんのじゃないの?」
「沢田の手に掛けてやりたいと言ったら鼻で笑って貸してくれましたよ。君、嫌われてるんじゃないですか」

綱吉はがっくりと頭を垂れる。

綱吉が嫌われているよいうよりも、雲と霧は十年かけてとんでもない悪友になってしまったのだ。
本人同士は友達だなんて絶対認めないだろうけど、仲が悪いと思っているのは恐らく当人達だけだ。

骸の苛立った溜息と一緒に白い煙が車内に吐き出される。
綱吉はぴくんと睫毛を揺らした。

「骸、少し落ち着こう」
「落ち着いてますよ」
「オレがボンゴレをぶっ潰してやる」
「へぇ」
「終わりか?」
「へぇ」

空気の抜けた返事を繰り返していた骸は突然だんっと強くハンドルを叩く。クラクションがビーっと音を立てた。
ぎり、と音が聞こえそうなほど歯を噛み合わせた骸に、綱吉は思わず頬を引き攣らせる。

「女と結婚だと?ふざけるな」
「いや、だから断ったって。ちょっと落ち着いてくれ」
「ク、フフ」
「落ち着け、な?」
「落ち着いてますよ」

勢い良く綱吉に向けた顔は眉尻を下げた笑顔で何とも柔和なのだが、でも綱吉には分かる。その目の中には怒りに荒れ狂う龍がいる。
綱吉はまた頬を引き攣らせた。

「あれは不可抗力だ。まさかいきなり見合いを勧められるなんて思わないだろ」
「実にマフィアらしい考え方だ」
「え、どの辺が」
「勧められる隙を作ったのは誰だ」
「めちゃくちゃだな、!」

目の前を突風が駆け抜けた。
前髪が弾け揺れる。

横を向けばサイレンサーを着けた銃口が綱吉に向いている。

「発砲すんな…!」
「風穴が開いてよかったですね」
「お陰さまでね…!」

車窓に穴が開いたので、本当にお陰さまで煙たさは少し軽減されたけどさ。

「君が恋人を作らないのはてっきり僕の事が好きだからだと思っていたのに」
「うん…大体合ってるけど凄い思い込みだな。って言うか断ったって言ってるだろ」

急ブレーキが掛かって綱吉は危うくダッシュボードに顔面を打ち付ける所だった。
体を起こしたのも束の間、シートががくんと倒されて目が回る。

骸が綱吉を覗き込むように身を乗り出して、長い髪が肩から滑り落ちる。
思わずどきりとした。
骸が煙草をダッシュボードに押し付け、そのまま手を離す。虫の死骸みたいに煙草が落ちた。

「これを君の中にぶち込んでもいいんですけどね」

運転席から窮屈そうに移動して綱吉に跨った骸は、不吉に艶を弾く銃を、まるで玩具みたいに左右に揺らす。
綱吉が息を飲むと、骸は銃に負けないくらいふと不吉に口角を上げた。

「ですが君の中に挿れていいのは僕の体だけです」
「…下ネタ…?いっ」

銃で頭を叩かれて痛いのなんのって、ちょっと涙目になっている綱吉をよそに、骸は銃を乱暴に後部座席に投げた。

手錠をガチャガチャ鳴らしながら涙目で頭を摩る綱吉に、骸は茶化すでもなく馬鹿にするでもなく、酷く静かに、どこか憂いを乗せて、囁く様に言った。

「僕がどんな気持ちでこの十年、君を想っていたかなんて分からないでしょうね」
「いや、だってお前はオレの事嫌ってるような態度しか」

言葉は最後まで紡がれる事無く、骸の唇によって遮られた。きしりと座席が悲しい音で軋む。

今までの態度とは結びつかないほどの優しいキスに、綱吉は思わず目を見開いた。

その視界の中で、骸がどうしてか泣き出しそうな瞳で綱吉をじっと見つめている。

「……僕の事、好きですよね?」

釣られて綱吉までちょっと泣きそうになった。

「……好きだよ」

呼吸をする様に繰り返されるキスは優しくて、溶けそうだった。

抱き締めたくて骸の首に腕を回そうとしたけど、手錠が邪魔で叶わなかった。

「骸」

呼び掛けると骸は瞼を持ち上げた。
その目の前に手首を翳す。

「初めてがこれじゃちょっと」
「分かりました。外しませんね」
「オレの話聞いてるのか?」
「初めてが最悪だった。その方がきっとよく覚えているでしょう。僕のことをずっと、覚えていればいい」

綱吉はぽかんと口を開けてしまった。
骸はそんな事ちっとも気にせず、綱吉にキスを繰り返す。

まったくどうしてこんなに捻くれているんだろう。
けれど捻くれている骸をそのまま好きになってしまった自分も相当だ。

どうしたって、骸を受け入れてしまうのだから。



2011.07.09
煙草を吸っている骸の話しを書こうと思っていて、しっとりとした大人なムクツナって思っていたのだけど、そこに車をプラスしたら変な方向に(笑)