薄く浮かんだ月の下でまだほんの少し、熱を含んだ風が縁側を吹き抜ける。
腰を下ろした骸と綱吉の間には、橙色の大粒の枇杷が積まれていた。
最近は凪が気を利かせて、食後に二人きりになるように仕向けてくれていた。
月の下で猫が庭を横切った。
「あ、猫。」
綱吉が思わず声を漏らすと、骸は先日のことを思い出してしまい動きを止めた。それに気付いた綱吉がかあと頬を染め上げる。
「何笑ってんだよ・・・!」
「笑ってはいません。だた綱吉が猫だったな、と」
「言わないでよ・・・!」
あれ以来骸と凪がたまに綱吉に猫じゃらしを向けてみたり、毛糸玉を転がしてみたりするので、「何なのそれ!?」と突っ込まれて話したら、綱吉は猫になってしまったことも全部覚えていないらしい。気付いたら自分のベッドで寝ていたと言う。
それなら骸が綱吉を抱き締めてしまったことや、キスをしそうになったことも、綱吉が甘えてきたことでさえ全部覚えていないのだろう。
骸は無意識に溜息を落とした。
酔った上でのことだと思うと非常に寂しいし、まさか他の人間にそんなことしてないだろうかとか、そんなことばかり気になる。
それにまだ想いを告げてさえいない。
「・・・俺、仕事のことはよく分からないけど。」
綱吉の声にはっとすると、綱吉は皮を剥いた枇杷を骸の皿の上にそっと置いた。
綱吉は骸が仕事のことで思い悩んでいると思ったらしい。
「・・・綱吉、」
嬉しくてでも、ただ名前を呼ぶことしか出来なくて、それでも綱吉は淡く頬を染めるとそっと睫毛を伏せた。
綱吉の細い指先がまた、枇杷の皮を剥く。
「・・・元気のない骸は、いつもよりうんとずっと気持ち悪いよ。」
「・・・そうですか。」
何だか元気が沸いて来た。否が応でも元気を出さなければならない。せめてちょっと気持ち悪いくらいに留めて欲しい。
けれど綱吉の頬はやっぱり少し染まったままで、綱吉なりに元気付けてくれているのが分かるから、骸は口元を綻ばせた。
「・・・ありがとう。」
「・・・枇杷、剥いただけだし・・・」
手元に視線を落とす綱吉にそっと微笑んで、骸は枇杷を口に運んだ。
柔らかな甘さを味わってから、骸は兼ねてから考えていたことを口にした。
「今度晩餐会に行きませんか?」
「晩餐会?」
「ええ。初めは年中行われている類のもので、さほど堅苦しくないものに。普段は面倒なので代理を立てて済ませていたのですが、僕も晴れて所帯」
「や!」
即答だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・そんなものに僕と一緒に出席したら、僕と結婚してると思われますからね。」
「うん。」
やっぱりそうか、と骸は遠くを見詰める。
「それに俺、晩餐会なんか行ったことないし・・・」
「・・・それは意外ですね。」
でも言われてみればどうしても外せないものに稀に出席した時でも、沢田の家は代理を立てていて顔を合わせたことがないように思う。
「父様は調子に乗って裸になって暴れて恥ずかしいから周りが止めるし、兄さまは人がたくさんいると片っ端から殴っていっちゃうから周りが止めるんだ。」
「あー・・・」
確かに恭弥は群れがどうのとか言って突然暴力行為に及ぶことがあるし、家光に関しても何となく想像が付く。
骸は指先ばかりに視線を落とす綱吉に目を向けてから、口を開いた。
「晩餐会に行きましょう。」
「あれ!?俺断ったよね・・・!?」
「綱吉は行きたくなくて行かない訳ではありませんよね?」
はっとした綱吉は何度も瞬きをしてから睫毛を伏せた。
「でも、行きたい訳でもないよ。」
「行きたくない訳でもありませんよね。」
「そう・・・だけど、」
「それなら行きましょう。僕がちゃんとエスコートします。それで結婚指輪をつけて」
「そこまで戻っちゃうの・・・!?あれ!?それも断ったよね・・・!?」
「着物を買いに行きましょう。」
「母さまから貰ったのもあるし、いらない。」
「晩餐会を早めに抜けて和菓子屋に行きましょう。新しく出来た茶屋の和菓子がとても綺麗で評判がいいそうですよ。」
綱吉のために調べた情報を出すと、思った通り綱吉はぴくんと反応した。
「それに晩餐会にも珍しい菓子がたくさんあります。」
綱吉はまたぴくんと反応すると、そわそわし出した。
物で釣るのは不本意だが、高価な物ではなくて菓子に反応する綱吉に感動を覚えながら、駄目押しを口にした。
「指輪を買いに行きましょう。」
「や!」
間違えた。本音が出た。
「大体、何でそんなに晩餐会に行きたがるんだよ?今まで通り代理を立てればいいじゃないか!」
「綱吉を見せびらかしたいだけです。」
また本音が出ちゃった。
嘘は吐かないと決めているので自分の中では問題がないのだが、綱吉をまた青い顔にさせてしまっているのではと、長い睫毛の下から綱吉を見遣って、骸は目を見張った。
青くなっているか怒っているかと思った綱吉は、寂しそうな顔をしていた。
「・・・綱吉?」
思わず名前を呼んでも、綱吉は睫毛を伏せたままだった。
「・・・分かった。行くよ。」
「え・・・?」
綱吉はゆっくり立ち上がると、着物の皺を伸ばすように膝の辺りを緩やかに払った。
「指輪も付けるから安心して。」
言って座敷に上がった綱吉を目で追ってから、骸ははっとしてすぐに綱吉の腕を掴んだ。
目を見開いて振り返った綱吉の両腕を緩やかに、でも確かに掴んだ。
「僕は”沢田”を見せびらかしたいのではなくて、”綱吉”を見せたいだけです。」
驚くような綱吉の瞳が、懸命な骸の表情を映していた。
骸は歯痒くて、唇を緩く噛んだ。
「僕は、」
鼓動が、緩やかに高鳴っていく。
腕を掴む手に、知らずに力が込められる。
「君が、綱吉が、」
いつの間にか鼓動が体を支配して、風の音さえも聞こえなくなる。
綱吉の濡れたような瞳が、自分だけを映している。
骸は一度、呼吸を止めた。
そして、眩暈のような言葉を告げる。
「好きです、」
ようやく告げた言葉はそれでも、七年の想いを乗せることは出来ない。
綱吉は、悲しげに揺れる睫毛を伏せた。
「・・・うん、」
綱吉は、目を見開いた骸の腕からするりと離れて駆けて行った。
伝わっていないと思った。
どうして想いはこうも、言葉にすると軽くなってしまうのか。
綱吉はきっと骸の放った言葉が、「沢田」を繋ぎ止めるための手段だと思っている。
「・・・骸さま。」
ふと我に返ると凪が、悲しそうに立ち尽くしていた。
骸が溜息を落とすように腰を下ろすと、骸の少し後ろに凪もちょこんと正座をした。
「・・・ぜんぶ聞いてました。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぜんぶ聞いてたんですか。」
「何でボスが喜ばないのか分からない・・・」
「伝わったら綱吉が喜んでくれるのかも分かりません・・・」
項垂れるような二人の房も、心成しか元気がない。
凪は一つ溜息を落としてから、枇杷の皿を持ち上げた。
「冷蔵庫にしまっておきます。」
「ええ。・・・、」
頷いてから骸はふと顔を上げた。
「それは庭の枇杷の木のものですよね?」
あ、と声を詰めた凪は「ごめんなさい」と俯いた。
「私がお掃除をしている間に、またボスが収穫のために木に」
言い終わらない内に骸が立ち上がって駆け出した。しばらくして階段の方から声が聞こえてきた。
「綱吉!」
「急に何・・・!?」
「木に登るのはせめて僕がいるときにと言っているでしょう!?」
「小さい頃から登ってるから大丈夫って、骸の方こそ何回言わせる気だよ!」
「駄目です。命に関わることです、譲れない。」
「な・・・!大袈裟だよ・・・!」
「譲れない。」
賑わう足音と一緒に聞こえてくる言い合う声に、凪はぱちぱちと瞬きをしてからくすりと笑った。
2010.07.31