バルコニーにも出てみるが、綱吉の姿はなかった。

舌打ちをして手摺の奥に目をやると、綱吉が一人で駐車場に向かって歩いているのが見えた。
骸は目を見張ってから駆け出した。

会場の外に出るとまだ薄く陽が残っていて、蝉の声がする。骸は綱吉の歩いて行った方へと駆けて行った。

「骸さま。」

途中千種と会って千種が骸に声を掛けたのだが、少しも振り向かない必死な表情に何事かと後を追い掛けて行った。
しばらくすると綱吉の小さな背中が見えて、ほっとしたのもあったし、けれど骸は表情を険しくした。

足音に気付いて少し振り返った綱吉の腕を強く引くと、綱吉は目を丸くして骸を見上げた。

「どうして勝手にいなくなるんだ!」

追い付いて来た千種は、初めて聞く骸の怒鳴り声に目を見張って足を止めた。
骸は一度唇を噛むようにして、綱吉の腕を強く握った。

「どれだけ心配したと思ってるんだ!」


綱吉は掴まれた腕を振り払うこともせず、瞳を揺らした。


千種が息を詰めたとき、綱吉の表情がきゅっと険しくなって、懇親の脛蹴りが骸の足に炸裂したものだから、思わず千種が「いたい」と言って脛を押えた。

骸は堪えている。主に軍人のプライドで。

「何だよ!自分は女の人に鼻の下伸ばしてたくせに!!」

「いつですか?」

骸からしたらまったく心当たりがなく、首を傾げた隙に綱吉は骸の腕を振り払った。

「やっぱり女の人がいいんだろ!」

「やっぱりとはどういう意味ですか?待ちなさい!」

「や!」

駆け出した綱吉の後を骸は追い掛けて行って、一人取り残された千種はぼんやりとしてから頬を掻いた。

綱吉のお転婆ぶりも想像以上だし、何をされても怒らない骸も初めて見たし、けれど何より、

(何だか、な・・・)


見せ付けられた気分だ。


そしてそんなに間を置かず戻って来た二人は少し距離を取って歩いていて、綱吉はどこか納得しないような表情ではあったものの、骸はびっくりするくらい上機嫌だった。実際びっくりした。

「帰ります。千種は僕の代理で出席を。」

千種ははい、と一礼してからふと顔を上げた。

「運転は犬を呼んで来ますか?」

骸は運転は犬か千種にしかさせないので問い掛けると、骸は掌を差し出した。

「僕がします。」

「はい!?」

千種は自分の性格も忘れて大きな声を出してしまった。

それでも骸は機嫌よく早く鍵を出せと言わんばかりに掌をひらつかせた。

「これから綱吉と寄るところがあるので。二人で。二人で。」


二人でを二回言った。


なるほど、運転手も邪魔と言うことだろう。
そういえば綱吉のためにと茶屋や喫茶店を随分調べさせられたが、今からそこに行くのかもしれない。

それならと千種は素直に鍵を差し出した。

「お気を付けて。」

「ええ。」

骸の少し後ろに立っていた綱吉にも一礼すると、綱吉はどこか恥ずかしそうに頭を垂れた。
千種が車の扉を開けると、綱吉はありがとうと言って後部座席に乗り込む。

骸は運転席に乗り込んでからふと首を傾げた。

「骸さまが運転されると言うことは、こういう事態になります。」

「・・・。」

せっかく一緒に出掛けるのに後部座席と運転席の壁に阻まれる。
運転席と後部座席はしきりがあるので、話したいなら小窓を開ける他ないのだが、小窓を開けたところで顔は見えない。

骸は腑に落ちない顔をしながらも車を発進させて行った。後部座席の窓から綱吉が小さくお辞儀をしてきたので、千種も深く頭を垂れた。
そして頬を掻く。

小さくなっていく車を見詰めながら、何だかむず痒い気持ちになった。



綱吉を連れ戻すために二軒茶屋を回る約束をした。
元々行く予定だった茶屋には連絡を入れておいたので、目当ての物を綱吉に食べさせることが出来たのだが、連れ戻すためにちらつかせた方の茶屋は、もう時間も時間だったし人気の店ということもあり、和菓子はほとんど売り切れてしまっていた。

店主と従業員全員が額を床に擦り付けて申し訳ありません申し訳ありませんと骸に謝った。
果ては店主が腹を切ろうとして綱吉が慌てて止めに入ってそれも申し訳なかったようで大騒ぎになって、本当にお祭りのような騒ぎだった。

何とか騒動を納めて通された貴賓室で、綱吉は運ばれて来た朝顔の和菓子に「きれい」と呟いた。
骸は綱吉の笑顔に嬉しそうに笑った。

店主たちの対応を見てそういえば最近忘れがちだったが、自分は冷血の軍人なんて呼ばれているなと何となく思い出した。
だからと言って和菓子ひとつで怒り狂うほど馬鹿ではない。
まったくどんな目で見られているんだと思っていると、目の前に和紙に乗せられた和菓子がちょこんと差し出された。

ふと視線を上げると、淡い桃色の朝顔が綺麗にふたつに割られ、そのひとつが骸の前に置かれていた。

「ひとつしかないって、言ってたからさ。」

「僕は、」

「甘いの好きだろ?」

目を見張った骸に、綱吉はどこか恥ずかしそうに微笑んだ。
骸は釣られるように微笑んでから「はい。」と言った。

静かに夜がやってくる。
時間なんて止めればいいと思うけどでも、帰る家が同じことを思い出せば、時間の流れも惜しくない。


淡い桃色の朝顔は、とても甘く優しい味がした。


茶屋を出て停めてある車まで来て、骸は扉を開ける前に足を止めた。

「隣に座りませんか?」

「うん。」

同じ車にいるのに顔が見えないのは悲しい気持ちになったので試しに訊いてみると、綱吉があっさりと頷いたので、骸は動きを止めてしまった。

「あ・・・扉の開け方分かんない・・・」

扉に手を掛けた綱吉の声にふと我に返って助手席の扉を開けた。
助手席に収まる綱吉をきちんと確認してから扉を閉めて、運転席へ乗り込む。

静かなエンジン音だけ響いてゆっくりと車を走らせる中で、不意に綱吉が口を開いた。

「・・・さっきは、ごめんな。」

「え?」

「その・・・心配させて、ごめん。」

目を見開いた骸は思わず綱吉を見遣ると、綱吉は淡く頬を染めて俯いていた。
骸はすぐに前に向き直ったが、綱吉の横顔が瞼に焼き付いているようだった。

「・・・いえ、僕も大きな声を出したりして、すみませんでした。」

「・・・ううん、俺は平気・・・」

胸の奥からじんわりと温かくなる感覚が広がる。

静かな車内はそれでも、温かさを乗せていた。

「あー・・・、何か変な感じだね。前に乗ったことなかったから・・・」

どこか照れたように言う綱吉に、骸は思わず口元を綻ばせた。

「怖いですか?」

「ううん。楽しい。」

「それなら今度から出掛けるときは、僕が運転します。それで、綱吉は隣に。」

うん、と控え目に頷く綱吉にまた、柔らかい気持ちになる。

屋敷に着いて、助手席の扉を開けた骸は、綱吉にそっと手を差し出した。

綱吉は驚いたようにはっと顔を上げたが、ほんの少し躊躇ったあと、手を差し出した。


ゆっくりと、綱吉の指先が、骸の掌に触れた。

ひんやりと、冷たい。


骸の鼓動は増していく。

今はもう自分の鼓動しか聞こえない。


立ち上がった綱吉の指先が、離れそうになったとき、骸は意を決して、その指先を柔らかく握った。

はっと目を見張った綱吉と目が、合う。

「綱吉、」

今なら、伝わるかもしれない。


口を開き掛けたとき、屋敷から電話のベルが聞こえて綱吉がはっとして手を離してしまった。

さして間を置かずに凪が玄関先から顔を覗かせた。

「ボス、恭弥さまからお電話・・・」

「あ!うん、今行く!」

綱吉はぱたぱたと駆けて行ってしまう。

宙に浮いた手をそのままに、骸は心に誓った。


恭弥、いつか締め上げる。

2010.08.22