入隊直後の屈辱だって綱吉を想えば耐えられた。

けれども元々屈辱に耐えられるような性格ではないので、
それも手伝って骸は驚く速さで昇級を重ねていく。


史上初、骸はたったの23歳で中将にまで上り詰めた。


後は大将と総帥を引きずり降ろせば軍の頂点に立てる。
が、気付けば骸は23歳。
綱吉は今年で22歳になる。

綱吉には降るように縁談があるらしく、もう気が気ではない。

中将であればもう沢田の家に恥じないくらいの身分だ。
それにこの若さで中将なのだから、先は明るい。


骸は見合いを申し込むべく、綱吉の両親宛に文をしたためた。


まずは両親の信頼を揺るぎないものにするために、
綱吉に想いを寄せていることは一切書かずに経歴に写真を添えて送った。

溢れんばかりの想いは、何よりも直接綱吉に伝えたかったし、
婚姻を認めて貰い、それからすべてが始まるのだから、まずは両親に認めて貰わなければならない。

色々な可能性を考え、長男ではあるが婿入りすることも厭わないと書き添えた。

沢田の家に婿入りするのなら、あまりのことに両親は嬉しさを通り越して腰を抜かすことだろう。
どちらにせよ文句など言わせない。
綱吉と出会ってから綱吉を妻に迎えるためだけに生きて来たのだから。


綱吉が自分のことを覚えていなくてもいい。
花を贈っているのが誰か知らなくていい。

今ここで出会って自分を夫と認め、生涯を共にしてくれるのならそれだけで十分だ。


返信は思った以上に早く届いた。

あまりの早さに最悪の場合が浮かんだが、とにかく文を開けてみなければ分からない。


柄にもなく緊張しながら、丁寧に開く。
文字を辿ると、そこには見合いの日時が記されていた。


歓びのあまり指が震えた。

噂に寄れば綱吉に見合いを申し込んでも見合いの席すら設けて貰えず断られ、
挙句陰で綱吉の兄に地獄を見せられるらしいのに、この文には見合いの日時が記されている。

しかも見合いなら料亭で行われることが一般的なのに、指定された場所は沢田の屋敷だった。
断る可能性のある人間を実家に招き入れる真似はしないだろう。


これはもしやと思った。


いい返事が貰えたと思って間違いないのではなかろうか。


骸は舞い上がった。


実に七年。


綱吉だけを想い生きて来た。
それがようやく実を結ぼうとしている。

沢田財閥の次男がとうとう婚姻に向けて動きだしたらしいとの噂を聞くたびに、
その相手は僕ですと高らかに宣言したい気持ちを何とか抑える。

骸は綱吉との幸せな結婚生活を想い、舞い上がる。
骸らしくなく、眠れない日もあった。


見合いには軍服の正装で赴いた。


屋敷の渡り廊下を歩いてふと庭に目を向けると、
骸が贈っただろう花々がとても美しく花を咲かせていた。

やはり綱吉が心を込めて育ててくれていたのだと思うと胸が熱くなる。


応接間に通されると奥の座敷の正面に、綱吉の父親の家光が羽織袴の正装で鎮座していて
その隣には母親の奈々が着物姿でにこやかに座っていた。

家光はとても不機嫌そうに唇を真一文字に結んで目を閉じているが
その目元が赤いのは気のせいではないだろう。

可愛い息子を嫁に出すから泣いていたのかもしれない。

そう思うといよいよこの話しはいい方向に進んでいるとしか考えられない。


骸は舞い上がり続ける。


ただひとつ、気に入らないことと言えば。


骸が軍帽の下ですうと目を細めると、上座に座る綱吉の兄が同じように目を細め、ゆらりと口角を上げた。


綱吉の兄、恭弥と骸は同い年で、けれども二人はこの世のものとは思えないほど反りが合わない。

恭弥も骸も唯我独尊の人だから、気なんて合うはずがないのだ。


それでも恭弥とは軍の任務の都合上、何度も顔を合わせている。
顔を合わせたときは互いに微笑んで見せるが、その禍々しさに失神者が出るほどだった。


初めて綱吉の兄と知ったときの絶望感と言ったらなかった。

息の根を完全に止めたいと常々思っているが、
それでも綱吉にとっては唯一人の兄に変わりはなく、いなくなったらきっとこんなのでも綱吉が悲しむと思い
我慢に我慢を重ねて更に我慢の上に我慢と我慢を重ねて我慢している。

恭弥が骸をよく思っていないのも分かり切っているので、
今日この場にいるとは思わなかったが恭弥の弟の可愛がりようは有名だ。

骸の想いを恭弥が知るはずもないが、たまに聞えよがしに
綱吉とどこへ出掛けただの言っているような被害妄想を抱かせるほど可愛がっている。
だから見合いの席に居ても可笑しくはない。


恭弥はいつも通り着流しに羽織で、ぶっ飛ばしたくなるほど正装のせの字もないが
今はもう存在を認識しないように努めた。


だって、その横には、恋焦がれる綱吉がいるのだから。


綱吉は今日は大柄でモダンな着物を着ていた。
とても趣味がよく、とても似合っている。


骸の胸は高鳴った。

初めて出会ったあの日から何も変わらず今も、綱吉に恋をしている。


骸の視線に気付いた綱吉が、ゆったりと顔を上げた。

目が合うとはっと睫毛を瞬かせて、淡く頬を染めると恥じらいを乗せてそっと俯いた。


骸は思わず目を見張った。


この反応。


綱吉の両親が骸の経歴から綱吉の夫に相応しいと判断したのかと思ったが、
もしかしたら綱吉も文を見て気に入ってくれたのかもしれない。


そう思えばもう骸の気持ちの舞い上がりは頂点を遥かに越えた。


実はもう綱吉と住むための新居を構えている。
綱吉は和の心を持ちながら西洋の文化も好んでいるらしいので
本館は洋館にして、奥の住まいを和装にしている。

洋館のサンルームで紅茶を飲むのもいいし、和室で綱吉が花を生けるのを見るのもいい。
休みの日は二人で庭の花を世話するのだ。

何て素晴らしい日々が待っているのだろう。
間違いなくこの世で一番の幸せ者だと、骸は思った。


軍帽を脱ぎ、姿勢を正して両親の前まで歩いて行く。
すぐそこに綱吉がいる。夢のようだ。


骸は正座をして、心の中でずっと繰り返していた台詞を復習した。


『綱吉さんを僕にください。命を懸けてお守りします。場合によっては財産を放棄しても構わないと考えております。』


財産目当てではないことをそれとなく伝えれば、両親も安心して綱吉を任せてくれるだろう。
骸の収入なら今と変わらない生活を保障出来るし、贅沢だってさせてやれる。

この台詞さえ言えば綱吉と生涯を共に出来る。


骸の意識はすぐそこに可愛らしく座っている綱吉と、
これからの綱吉との耀きしかない新婚生活に向きっ放しだった。


骸は舞い上がっている自分を自覚出来ないほど舞い上がっている。



血も涙もないと言われるが、骸だって人の子。


長年の想い人を前にすれば、舞い上がることもあれば間違えることもある。


だから、間違えてしまったのだ。



主語と、主語を。



「財産を僕にください。命を懸けてお守りします。場合によっては綱吉さんを放棄しても構わないと考えております。」



しん、と空気が凍り付いた。


骸は言ったぞと心を躍らせたのだが、どうにも雰囲気がおかしい。

家光は顔を赤くして怒りに震えているし、奈々は指先で口元を押さえてぱちぱしと瞬きを繰り返しているし、
試しに恭弥をちらとみると、薄く口を開いた何とも珍しい表情で骸を見ている。


おかしなことを口走ったかと瞬時に感じて、自分が口にした台詞を反芻し、そして絶望した。



財産を僕にくださいって、



終わったと思った。

綱吉の表情を見るのが恐ろしかったが、ここはきちんと向き合わなければならない。

綱吉に目を向けると綱吉は、大きな瞳を見開いて固まり顔色を悪くして、
まるで人の形をした生ゴミでも見るような表情で茫然と骸を見ていた。


終わった。


財産なんか要らないのに、本当に欲しいのは綱吉なのに、捨てろと言うなら
地位も名誉も財産も捨てることも躊躇わないのに。

今そんなことを言っても返って白々しくなるだけだろう。
けれども何を言えばいいのか分からない。

このまま綱吉を攫って行ってしまおうかとも思った。


思考が混濁を極めたとき、沈黙を破ったのは恭弥だった。


「いいんじゃないの。」

「兄様・・・!?」

鈴の鳴るような綱吉の声に我に返った骸は、目を見開いた。

「何を言ってるんだ・・・!!こんな奴に綱吉は渡せん!!」

家光の言葉が普通の反応だろう。

恭弥に借りが出来るのは死ぬほど嫌だが、今はそんなことを言ってられない。
放り出されれば綱吉の心を傷付けたままになってしまう。

もし恭弥の発言で婚姻が決まるのなら、綱吉と生活を共に出来るのなら、誤解を解く時間が出来る。

「口先だけで甘いことを言って、実のところ沢田の家と血縁関係を結びたいだけの連中しか今までいなかったのは家光も知っているだろ。」

みんな地獄を見せてやったけど、と噂通りのことを言って恭弥は口角を上げた。

「それなら始めから財産目当てと言って退けるゴミの方がまだゴミとしてマシじゃない?」

殺したいと思ったが、頼みの綱は恭弥しかいない。

「私も恭弥さんと同じ意見だわ。誠実が一番よ。」

「母様・・・!!」

綱吉の悲痛な声に胸が裂けそうだったが、それでも時間が与えられるなら
必ず誤解を解いて、必ず幸せにする。

後は、家光の判断だけだ。

「母さんがそう言うなら・・・」

鼻の下が伸びているようにも見えるが、家光は神妙な面持ちで腕を組んだ。

「鼻の下伸ばしてんなよ駄目親父・・・!」

適確な突っ込みは鈴の鳴るような声でされた。


ぱちりと瞬きをした骸と目が合うと、綱吉は瞼を半分落としてじとっと骸を見てからつんと顔を逸らした。


もしかしたら思っている以上にお転婆なところがあるのかもしれない。



骸はそっと瞼を落とした。



けれどそんなところも愛おしく思ってしまうのだろうけど。


2010.05.03
続きますv