部屋に戻った綱吉だったけど、諸々の誤解をどうしても解きたい。

「骸さま、お酒はお召し上がりになりますか?」

「元々付き合いでしか飲まないので気を遣わなくて大丈夫ですよ。」

「分かりました。」

変わりにお茶を淹れ始めた凪は、急須に湯を注いでから骸の横に立った。

「あの・・・色々考えたんですけど、先にボスに好きになって貰ったら、誤解を解くのも楽だと思うんです。」

なるほど、誤解を解く前に好きになってくれたとしたら、それから説明した方が耳を傾けてくれるだろう。
でもきっとそれは容易ではない。

「前に小説で読んだことがあるんです。暴漢に襲われているところを助けに入って、好感度を上げる・・・。
骸さまの部下の方たちに協力して貰えば、ボスも怪我しません。」

「ですが万が一もありますし、綱吉に怖い思いをさせたくはありません。」

「それなら顔見知りの犯行なら、ボスも安心出来るんじゃ・・・」

「事情を知らない綱吉には返って衝撃が強いですよね。」

「ボスが私に襲われているところを、骸さまが助けに入る・・・」

「・・・絵的に僕が落ち着かないので止めましょう。」

「ボスが骸さまに襲われているところを、私が止めに入る・・・」

「僕と綱吉の関係が完全に破綻しますよね。凪の好感度しか上がらないですよね。」

「・・・ごめんなさい、心のどこかで望んでいるのかもしれません・・・」

「はい!?」

しゅんとする凪に悪気があるように思えないが、かなりの問題発言ではなかろうか。
凪は綱吉を兄弟のように慕っているから、誤解とはいえ綱吉が辛い思いをしているのは隣で見ていて苦しいのだろう。
理解は出来るが、納得は出来ない。破綻に向かうのはどうしても御免被りたい。

凪は揺れているのだろう。良い方向に向かうのと、破綻に向かうのと。
いやいや、だから破綻は駄目だって。

「僕が責任を持って綱吉を幸せにします。だから協力してください。破綻の方向は駄目です。」

何とか凪をこちら側に引き寄せるようにきっぱりと言えば、凪ははい、と力強く頷いた。

「その方がボスも幸せだと思うの。」

「え?」

凪は何か言いかけたがあ、と短く声を上げて腕時計に視線を落とした。

「・・・ボス、お薬飲んだかしら・・・」

「薬、ですか?」

「ボスは胸が悪いの。だから朝と夜にお薬」

骸は凪の言葉を途中まで聞いただけで足早に部屋を出て行った。

「飲まなきゃいけないけど・・・ボスの部屋にもお薬ある・・・」

独り言のようになってしまって、凪も急いで後を追い掛けて行った。

骸はその長い足で階段を駆け上る。
もし飲み忘れて具合を悪くしていたらと思うと、居ても立ってもいられない。

二階の廊下を駆けるようにして綱吉の部屋の前まで来ると、一気に扉を開いた。

「大丈夫ですか!?」

骸は固まった。
だって綱吉がちょうど帯を解いているところだったから。

床に落ちた帯が清廉な小川の流れのようで綺麗で、綱吉は目を零れんばかりに見開いていて、
じわじわと頬を染めながら、きゅっと勝気な顔になった。

「骸の頭が大丈夫かよ!」

ごもっともだ。元気そうで何よりだ。

我に返った骸はばっと扉を閉めた。
やっと追い付いた凪が、じいと骸を見上げて呟いた。

「・・・骸さま、合意がなければ私、怒ります・・・」

「・・・何もしてませんよ?」

凪に有らぬ疑いをかけられながらも、薬は飲んだかと声を掛けようとしたときに勢いよく扉が開いた。

綱吉の姿を見て、骸は動きを止めて思考も止まった。
怒ったような勝気な顔の綱吉が、柔らかな桃の色の襦袢姿で出て来たから。

綱吉はつかつかと骸に歩み寄ってくるから、骸は思わず半身を引いて顔を逸らした。

「何逃げてるんだよ!見たいんじゃないの!?」

「見たくないと言ったら嘘になりますが、」

「骸さま・・・」

「憐れみの目を向けないでください。凪、綱吉に着る物を、」

「はい!」

ぱたぱたと走って部屋の中に入った凪を追うように、綱吉も部屋に足を向けた。
ほっとしたような、寂しいような複雑な気持ちになっていると、
綱吉が肩越しに振り返って、呟くように言った。

「・・・お風呂、先にどうぞ。」

骸は目を見張った。
やはり綱吉は気遣いの出来るいい妻なのだ。

「・・・綱吉、」

いつものようにもっと上手い言葉が出てくればいいのに、骸は名前を呼ぶのが精一杯だった。
綱吉は頬を淡く染めて眉を吊り上げると、勢いよく扉を閉めながら言った。

「一番風呂は体に悪いからね!」

「・・・。」

照れ隠しだ。絶対照れ隠し。
骸はそう思い、そう願った。


風呂上りの綱吉とばったり出会ってしまい、「骸さま・・・そういうのはちょっと・・・」と
またしても凪に有らぬ疑いを持たれてしまったが、きちんとおやすみの挨拶が出来たのでよかった。

一人で寝るには広過ぎる和室だが、一人寝なんて慣れてるし、何より同じ屋根の下に綱吉がいると思うと嬉しくて仕方がない。
少しずつでも距離を縮められたらと、そればかりを考えている。

もっとずっと狭い屋敷なら、綱吉と一緒にいる時間が増えるかとも思ったが
風呂上がりの綱吉を思い出すと、やはりこの広さでいいと思った。
風呂上がりの綱吉とずっと同じ部屋にいるのは、今の段階では色々厳しいものがある。

理性の問題とか、色々。

布団に体を横たえて天井を見詰めながら綱吉のことを考えていると、突然勢いよく襖が開いた。
すぱーんと小気味いい音に何事かと体を起こすと、そこには浴衣姿の綱吉がいた。

「・・・。」

「・・・。」

互いに動きを止めて目を合わせた後、すぱーんと勢いよく閉まった襖が綱吉の姿を見えなくした。

何だったんだ。

骸はふと瞬きをして我に返ると、綱吉の後を追った。
長い廊下の先に、月明かりに浮かぶような綱吉が足早に歩いて行く。

「綱吉、」

追い付いて呼び掛けると、綱吉は俯いたまま小さな唇で呟くように、でもきっぱりと言い切った。

「これではっきりした。」

「綱吉?」

綱吉は俯いた睫毛を揺らしてから、スタスタと歩いて行ってしまった。
綱吉の言葉の意味が分からずに、骸は後を追う。

「どういう意味ですか?」

「そのままだよ。付いて来ないでよ。」

「何かあったから来たのでしょう?」

螺旋階段を回るように上って行く。

「別に何もない。」

上り切ったところで、骸はそっと腕を掴んだ。とても細い腕だった。
はっと振り返った綱吉と目が、合う。

「・・・眠れませんか?不安なことがありますか?」

綱吉の瞳が揺れた。

きっと自分も同じくらい、瞳を揺らしているだろう。
我侭だと自覚はあるけど、やはり綱吉が辛いのは嫌だ。

「・・・っ、」

綱吉がきゅっと勝気に眉を寄せたかと思ったら、鳩尾に拳が食い込んだ。
力なんてまるでないけど、鳩尾は急所です。柔らかくでも当たったら痛いのは間違いない。

屈まなかった。主に軍人のプライドで。

腹に鈍い痛みを抱えながらも、パタパタと走って行ってしまった綱吉の後を追う。

「綱吉、待ちなさい!」

「や!凪、凪!」

はい、と返事をする凪の声と共に開いた扉に、骸は顔面を強打した。
わざとじゃないと、思いたい。

「合意・・・」

「襲っていた訳ではありませんからね?」

扉の向こうを見ると、綱吉はもう部屋に入ってしまっていた。

「・・・綱吉が、これではっきりしたと言っていたのですが・・・何か分かりますか?」

凪に問えば、凪は不思議そうに瞬きをしただけだった。

言葉の意味を考えて眠れなくなった骸は次の日の朝、直接綱吉に尋ねたのだが、
「うん、分かったから。」と言われ、そうか、分かったのか、と意味も分からず納得したような気持ちになった。


2010.06.26
次はお義兄ちゃんといっしょ!(笑)