官庁を出て車に乗り込むときに、柄の悪い和服の集団に囲まれた。
ここまで入って来れる人間は限られているし、こんなことしてくるのは一人だけなので遠慮なく片っ端から、和服の男たちをぶっ飛ばしていく。
相手も骸の部下たちを遠慮なくぶっ飛ばしていくので、どちらかが殲滅されるまで続けようと思ったとき「ねぇ」と声が掛かった。

和服の男たちがその声に反応して道を作るように両脇にずらと並ぶと、その先には案の定恭弥がいた。
恭弥は漆黒の着流しに、勝手に設えた紅色のソファに座ってすらと足を組んでいた。
日除けの紅色の番傘持ちまでいる辺り、堅気に見えない。そして恭弥は平然と言い放つ。

「飽きた。」

すみませんでしたあ!と部下たちが一気に頭を下げる。重ねて言うが堅気に見えない。
父親の家光から財閥をすでに継いでいる恭弥は、家光とはまた違った手法で裏の世界まで束ねているので頷けはするが、骸にとっては心底どうでもいい。

「何か御用ですか?まさかこんな下らない茶番を見せるためにわざわざいらした訳ではないですよね?」

「義弟に会いに来ちゃいけないのかい?」

ぶわと鳥肌が立った骸の目の前で、恭弥はおもむろに腕に視線を落とした。

「鳥肌が立ったんだけど。どうしてくれるの?」

「知るか。帰れ。」

言って踵を返すと、へぇと余裕を含んだ声が背中に掛かった。

「これから綱吉と凪と芝居を見に行くんだけど、君は来ないんだね。」

「・・・。」

骸は無言で振り返る。
恭弥は眉を持ち上げて笑った。



劇場に着いてからも骸の機嫌は鰻登りで、恭弥に何度気持ち悪いと言われたか知れない。
でもどうでもいい。
時間が流れるままに、綱吉をまだ一度もどこへも連れ出していなかった。
何と言う無粋なことをしてしまったのだろう。今度一緒に食事にでも行こうと心に決めた。
そして綱吉を見せびらかす。

サロンに入るともう綱吉と凪はお茶を飲んでいて、綱吉の他所行きの着物姿はまた格別だ。
骸の中では綱吉と二人の世界だったのだが、二階の貴賓室に通されてから骸の機嫌は一変した。

「なにつっ立ってるの。早く座りなよ、邪魔なんだけど。」

恭弥に腹の立つ席の促され方をして、骸はますます表情を曇らせた。

「・・・席順がなぜ綱吉、凪、貴様、僕なのですか。」

「貴様に貴様なんて言われたくないんだけど。」

「貴様が貴様でしかないから貴様と言ってます。何が悪い。」

「貴様貴様煩いんだけど。そんなに貴様が好きなら名前を貴様にしろよ。」

「・・・貴様の意味が分からなくなってきた・・・」

頭を抱える凪の背を、綱吉はぽんぽんと優しく撫でた。

「・・・骸さま、私が席を替わります。」

何て良く出来た子なのかと凪を見遣ると、凪は席を立って綱吉と変わろうとしていた。

「・・・凪、」

「一席近くなるかと・・・・上演中は暗闇ですので、直接隣はちょっと・・・」

「何もしませんよ?」

そんなやりとりをしている内に開演のベルが鳴った。
恭弥が笑いを堪えているのが堪らなく気に障るが、とりあえず席に着いた。

舞台に柔らかな光が灯る。

芝居に興味なんてなかった。隣の隣の隣に座っている綱吉ばかりに気が行く。
そっと長い睫毛を伏せて視線を流すと、ほんの少し、綱吉が見えた。

ほんの少し、手だけ。

骸が無意識に溜息を落とすと、隣の恭弥が小馬鹿にしたようにちらと骸を見た。
ぷちんと何かが切れそうになったが、綱吉の観劇を邪魔しないように今は大人しくする。
退屈そうに目線を落とすと、一階席で若い男女の連れが手を握り合って舞台を見ていた。

「・・・。」

羨ましい。

羨ましくてちょっと憎しみが沸いてくるくらい、羨ましい。
隣が綱吉だったら、手を握ることが出来たかもしれない。

無意識にぎゅう、と何かを握ってしまった。

それはとても筋張っていて、温かかった。

「・・・。」

前を向いたままの骸の顔が、地鳴りを伴わせるような勢いで陰り始め、
隣の恭弥の顔も、同じように凶悪に陰っていった。


握ったのは恭弥の手だった。


骸と恭弥は勢いよく同時に立ち上がり、同時に互いの胸倉を掴み上げた。

「気持ち悪いんだけど」

「貴様、なぜそこに手を置いた・・・」

「貴様には関係ないだろう?」

「また貴様・・・」

ぐったりと頭を抱えた凪の背を、綱吉はよしよしと撫でてやる。

「骸!兄様から手を離して。」

恭弥を庇われたことにも納得出来ないし、目の前で恭弥がにやにやしているのも大変気に入らないが
綱吉の柔らかい叱咤は悪くないので手を離す。

「失礼しました、お義兄さま。」

薄暗い中でも分かるくらい恭弥の首筋にぶわと鳥肌が立ったのが分かって、
やってやった気分になったが同じくらい自分にも鳥肌が立った。合い討ち技だ。

もやもやした気持ちで腰を下ろすと、同じように腰を下ろした恭弥が骸にしか聞こえないような声で言った。

「まさかとは思うけど、もしかしてまだ手も握ってないのかい?」

「だったら何ですか?僕は綱吉を大切にしているだけです。」

へぇ、と恭弥は鼻を鳴らした。

頭に来たが本当のことだ。恭弥が何を言っても頭に来るのはいつものことなので、今は流すに限る。

「それで本当に大切にしていると思ってるの?」

「・・・え?」

思わず恭弥に目を向ける。

舞台からの淡い光だけに照らされた恭弥は、緩やかに微笑んでいた。

どういう意味かなんて、問うまでもない。

「あなたには関係のないことです。」

「君の嗜好なんて心底どうでもいいよ。」

「・・・綱吉がそれを望んでいるとでも?」

「さあね。自分で確かめたら?」

一体どういうつもりでそんなことを言っているのか図り兼ねる。
今までの恭弥との関係から言えば、嫌味や冷やかしで言っていると取るのが正しいだろう。

でも確かめると言ったって。

「訊けるか。」

「開き直りは見苦しいんだけど。まぁ、僕は綱吉と一緒に風呂に入っていたけどね。」


風呂。


骸の中でぷちりと何かが切れた。

何繋がりで今そんな話をしたのかなんて、もうどうでもいい。
ただその事実だけが許せない。

骸はゆらりと立ち上がると、従者から刀をもぎ取り、すらりと刀身を抜いた。

「そこへ直れ。叩き斬ってやる。」

「へぇ?面白いね。」

恭弥も同じように従者から刀をもぎ取り、刀身を抜いた。

「・・・また貴様・・・」

「大丈夫だよ、凪。誰も言ってないからね。」

頭を抱えた凪の背を、綱吉は優しく撫でる。

「・・・私、館長に謝って来ます・・・」

止めても無駄と判断した凪が席を立つと、綱吉がそっと凪の手を引いた。

「俺も一緒に行くよ。」

「・・・ボス、」

微笑み合って手を繋いで出て行った二人に、骸も恭弥も気付かなかった。

のち、劇場は半壊した。
でも、誰が文句を言えようか。


骸は上機嫌で家に帰った。

決着は着かなかったし綱吉は先に帰ってしまったけど、綱吉は最後まで観客の避難を手伝っていたそうだ。
夫の譲れない闘いを陰で支えるなんて、本当に良く出来た妻だ。

「戻りました。」

玄関を開くと綱吉が出迎えてくてた。怒った顔で。
でも骸はにこにこが止まらない。

「聞きましたよ。」

「何を!?」

綱吉が口を開くより先に骸が口を開くものだから、綱吉は思わず目を見張った。

「避難を手伝っていたそうですね。」

「当たり前だろ!」

「当たり前ですか!」

「何なの・・・!?」

綱吉は噛み合っていないような違和感を覚えつつ、腕組みをした。

「それで、何なの?何をそんなに喧嘩してたの?」

にこにこだった骸は瞬時に顔を陰らせた。

実の兄弟なんだから、風呂に一緒に入るくらいなんてことない、とは思えない。
出来ればもう記憶から抹消したい。と、言うか過去に戻って事実を抹消したい。

「・・・綱吉と一緒に風呂に入っていたと言うから、」


憮然と言い放った骸に、綱吉は「な」と言葉を詰まらせたきり何も言わないので、しばらく二人して玄関先に立ち尽くしていた。
言い分を曲げる気もない骸は「立ち話も何なので。」と部屋へと促すと、綱吉ははっと我に返った。

我に返ったら、綱吉はかあと頬を染め上げてから、少し泣きそうな顔で怒り始めた。

「そ、そんなの小さいときだけだから・・・!!な、何言ってんだよ・・・!?忘れて!!」

真っ赤になってほとんど八つ当たりのように拳で骸を叩く綱吉に、骸は思わず口元を手で覆った。
全然痛くないし、可愛い。
何度も叩いてくる綱吉を見ながらぜんぶを忘れて、何だか今日はいい日だと思った。


2010.07.11