ツナヨシは呆然としていた。
 
堕ちた衝撃のままぺったりとアスファルトに座り込んでいる。
 
ツナヨシはドジなんだからと、
あれだけ気を付けろと言われていたのに足を踏み外してまんまと下の世界に堕ちた。
 
下の世界の汚染した空気に真っ白な羽は灰色にくすんで
酷く小さく縮こまってしまった。
 
これでは飛べない。
 
無理に動かそうとすると酷く痛んで
泣きそうに顔を顰めた。
 
「へくしっ」
 
大きく身震いをする。
 
(これが寒いって感覚なのか・・・)
 
上の世界に暑さ寒さはない。
 
堕ちて人間に近くなってしまったツナヨシだが
初めて感じる寒さは耐え難いものがあった。
 
ふるふると震える体を抱きすくめた。
 
(どうしよう・・・)
 
空を見上げると灰色の雲が低く掛かっていて今にも雨が降り出しそうだった。
ツナヨシが堕ちただろう雲の穴も、次第に小さくなって消えた。
 
誰も降りて来ないから、きっとツナヨシが堕ちた事に誰も気付いていない。
すぐに気付いて欲しいのはツナヨシの希望なだけで、
実際いなくなったのに気付くのは少し時間が掛かるものだ。

心細くて仕方ないが、こうなったら下の世界での生活も覚悟しなくてはならない。

(ここでは働くと「おかね」が貰えて色んなもの買ったり出来るって聞いたな)
 
でもどこに行けば働けて、どこに行けば買い物が出来るのか全く分からなかった。
こんな事になるならもっとまじめに下の世界の勉強をしておけばよかったといつもながらの後悔をした。
 
(下の世界には「へんたい」がいるから絶対降りちゃ駄目って父さん言ってた・・・)
 
みるみる顔は青褪めていって、また小さく身震いをした。
 
(でもいつ気付いて貰えるか分からないし・・・とりあえず「おかね」が貰える所を訊いてみよう・・・)

気を抜けば泣きそうになるのを懸命に堪えて、人の気配はする方へ歩いていった。

家と家の狭い通路を擦り抜けて行く。
裸足の足にアスファルトが痛くて、やっぱり怖くて心細くてどうしようもなかった。

恐る恐る道路の方へ顔を出すと、そこは夕飯の買い物で賑わう商店街だった。

(ひ、人がいっぱい・・・)

ぽつんとしているより人がたくさんいる方が安心出来て、ツナヨシはほっと息を吐いた。

(あ、何かいい匂い・・・)

ツナヨシはすんすんと鼻を鳴らした。
上の世界にいればお腹が空く事はないが、今はお腹の辺りがすかすかする気がする。

匂いに釣られるようにとことこと歩いて行った。

「きゃっ」

「何だ!?」」

「見ちゃダメ!」

急に辺りが騒がしくなった気がする。

「変態だ変態!」

(「へんたい」!?)

ついに出たのかとツナヨシは身を固くした。
けれど自分は天使のはしくれ。
人間は守らなければと小さな小さな勇気を振り絞って身構えた。

「どこだ・・・!」

勢い込んで振り返ると、ツナヨシの周りだけぽっかりと人がいない。
そして痛いほど視線を注がれているのは紛れもなくツナヨシ自身だった。

「俺か!」

ツナヨシにしては察し良く叫んで、一気に駆け出した。
駆け出した方向できゃあとか言われながらも道が開いていく。

「待て変態!」

恐ろしい顔をした男たちがツナヨシに向かって走って来る。

「な、何で・・・!?俺へんたいじゃないし・・・!」

初々しい尻を丸出しにして言われても、周りが納得する訳がない。
酔っ払いが酔ってませんと言うのと同じだ。
けれどツナヨシには何故自分が変態呼ばわりされるのかが分からない。

「俺へんたいじゃないって・・・!天使です天使!」

これはいよいよ変質者だと、男たちは躍起になってツナヨシを追い掛ける。

痛む羽を無理矢理羽ばたかせれば、人間よりは身軽に走れる。
激痛に耐えながらひょいと塀を乗り越えて、夢中になって駆けた。
やっぱり人間と出くわすと「ぎゃあ」とか「変態!」とか言われて、ツナヨシはとうとう泣き出した。

(うう、もうヤダこんなとこ・・・!)

何とか追跡を免れて、こっそりと物陰から人間を窺うと
みんな何かしらで体を覆っている。

自分の体を見れば素っ裸だ。

(だからかな・・・?)

でもどこで身に纏うものが手に入るのか分からない。
壁沿いに移動して、先程とは違う商店街に辿り着いた。
ちらちらと様子を窺うと、人間が身に纏っているものがずらりと並んでいる所を見付けた。

(あれ貰っていいのかな・・・?)

しかし今出て行ったらまた「変態」と言われるのだろう。
ちゃんと断ってから貰いたかったが、仕方がないので断りを入れずに失敬した。

罪悪感を感じる所がずれているが、ツナヨシは酷い罪悪感に苛まれて深い溜息を落とした。

とりあえずすっぽりとシャツを被る。
半袖のシャツは大人用で腿の辺りまで隠れるが、やはり寒くて仕方ない。
けれどもう一度着るものを失敬する気にはなれなかった。

化学繊維に汚染されて、ツナヨシの羽はどんどん小さくなった。
正体を隠すにはいいかもしれないが
果たしてそれがツナヨシにとっていい事なのかは分からない。
もしかしたらこのまま羽が無くなってしまうのではと不安になる。

(どうしよう・・・)

喉が渇いて痛かった。
でも何も分からない。

服は着ていても、この寒空の下に半袖で裸足だとやはり人目に付く。
変態呼ばわりはされなくなったが、何事かと見られる視線が痛くて悲しかった。

なるべく人のいない方へと足を向ける。

助けて下さいと言えば、誰か助けてくれるのだろうか。
けれどもう人間に話し掛ける気力はなくなっていた。

薄暗くなった公園のベンチに腰を掛けて足を抱えた。

寒くて寂しくて小さく震えて、また少し泣いた。



09.01.18
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