授業が終わった教室に色んな匂いが漂っている。

貰い物は日々増える一方なので、気付けば夜間のクラスメイトたちにも
いろいろお裾分けをしている。

だから授業が終わった後は大抵みんな何かしら食べている。

「・・・君、その和菓子は誰に貰ったのですか?」

今日持って来たものの中に和菓子はなかった筈だ。
それなのにツナヨシは頬に餡子をつけてもぐもぐしている。

「守衛さん。」

「守衛!?」

「いたんら。」

「・・・俺会った事ない。」

「・・・私も。」

この学校の生徒ですらどこにいるのか知らないのに何でツナヨシはお菓子まで貰っているのか。
骸は顔面を引き攣らせた。
ツナヨシだから仕方ないという事にしておく。
深く考えては駄目だと悟ったのは随分前だった気がする。

「意地汚い顔して歩いてるからですよ。」

まったく、と溜息を吐いて骸はツナヨシの頬についた餡子を指で掬い取ってはっとする。

ツナヨシがありがとうと言ってへにゃへにゃ笑っているのはいつもの事だが、
無数の視線を感じる。
しかも温かいような、アレ。

ツナヨシはいつも口の周りをべたべたに汚しているのに気付かないから
ぷんぷんしながら口を乱暴に拭いたりしているのが癖になっていてついつい出てしまった。

「・・・。」

骸は指についたままになっていた餡子をツナヨシの頬になすり付けて戻した。

「・・・っ」

ツナヨシがうう、とぐずっても温かい視線は注がれたままだよ!
何なんだこれ!と顔面を引き攣らせている骸にクラスメイトが一人歩み寄って来た。

「山本先生がこれからみんなで寿司食べに来いって!六道君たちも行くだろ?」

やったーやったーと無表情で喜んでいる千種とクロームを置いて
犬が嬉しそうに骸に寄った。

「骸しゃん、今日は行きまふよね?」

「いえ、遠慮しておきます。この子お願いしますね。」

ツナヨシを摘み上げて犬の前に置くと、骸は一人で教室を出て行った。
急な事だったので、ツナヨシはきょとんと骸の背を目で追うしか出来なかった。

「骸行かないのか?」

「骸しゃんは勉強しなきゃいけないからな。」

「家でも遅くまでしてるけど、骸はそんなにたくさんしなきゃいけないの?」

「・・・そうよ。骸さんは大学に行って司法試験を受けるの。」

「しほーしけん?」

「・・弁護士って知ってる?」

「知ってる!よくサスペンスに出て来る!」

「・・・見てるんだ。」

「・・・女だったら題名が美人女弁護士とかになるのよね。」

「何の話しらよ。そう、骸しゃんは頭がいいから弁護士になるんら!」

ツナヨシは丸い頬をじわじわと赤く染めていき、ぷるぷる震え出した。

「・・・ぷるぷるしてるけど大丈夫なの、これ。」

「・・・興奮してるんじゃないかしら。」

ツナヨシは真っ赤になった顔を小さな手で覆ってはぁ、とうっとりした溜息を吐いた。

「骸カッコイイ・・・」

おおっと感嘆の声が上がる。

「俺、やっぱり帰ぐふ・・・っ」

クロームがツナヨシのパーカーをぐいっと引っ張り、
勢い込んで走り出そうとしたツナヨシは当たり前のように首が締まった。
犬が容赦ねぇ!と目を剥いた。

「・・・邪魔してはいけないわ。」

「ううん!邪魔しない!静かにするし、それに二人だったら骸が分からないところ
俺が分かるかもしれないし!」

それは絶対ないと三人が三人とも思ったが、ツナヨシの気持ちの純粋さに
骸の幸せを思ってほろりとしてしまう。



「骸!」

もうすでに店が閉まって静かな商店街で、ツナヨシの声が響いて骸は驚いて振り返った。

振り向けばツナヨシが見ているこっちが苦しくなるようなほど苦しそうな顔で一生懸命走って来ていて
骸の目の前でべちゃっと転んだ。
お約束の展開に骸はさして気にする事もなく慣れた手つきで摘み起こした。

「何してるんですか?」

「俺、骸と一緒に勉強する!」

「はぁ?山本の家は商店街の外れだから、今から行っても間に合いますよ。行きなさい。」

「静かにしてるから!」

ね、ね、と歩き出した骸に泣きそうになりながら纏わりつくので溜息を吐いた。

「好きにしなさい。」

投げ遣りに言うが、ツナヨシは顔を輝かせて「うん!」と元気に返事をすると
腕を組んで来たので頭を引っ叩いておいた。

「そこまで好きにしろとは言ってない・・・!」

引っ叩かれた頭を擦ってうう、とぐずったツナヨシだったが
すぐに小走りに骸に追い付いてへらっと笑った。

「骸、弁護士になるんだろ?」

「・・・まぁ、そうですけど。今の状態では難しいとは言われてますが。」

「そんな事ないぞ!骸なら絶対大丈夫!」

そう言って微笑むツナヨシになぜか少し怯んで、でも骸はすぐにそっぽを向いた。

「骸は弁護士になるんだから、そんな事言う人たちをぎゃふんと言わせなよ!」

ぎゃふんって。

「そんな言葉使う人いませんよ・・・!」

「ぎゃふん!」

「止めなさい・・・!!」



宣言通りツナヨシはテレビも点けずにこたつに入って骸と一緒に勉強をしていた。

骸は勉強をしている時は周りが静かだろうが煩かろうが、大して気にならないのだが
最近は静かな方があまり落ち着かない。

慣れとは恐ろしいと骸は遠い目をする。

そろそろ少し疲れてきたし、一体ツナヨシが何をそんなに一生懸命眺めているのか
少しだけ気になって口を開いた。

「・・・何見てるんですか?」

「ん?家庭科の教科書。」

「家庭科?」

ツナヨシはえへへ、と教科書の表紙を骸に見せた。

「料理の所と栄養素の所だけ、笹川先生がふりがな振ってくれたんだ!」

笹川で大丈夫なのかと素で不安になる。
遠い目をしている骸を置いて、ツナヨシは頬を染めて睫毛を伏せた。

「栄養管理も奥さんのお仕事だから・・・」

「・・・っ」

やっぱりそこに行き着くのか!

「骸が体壊さないようにちゃんと栄養管理をして、メタボ対策も兼ねて・・・」

「早くないですか!?まだ17なんですけど!?」

「違う違う、そういう意味じゃなくて・・・!」

ツナヨシははっとして泣きそうな顔で慌てて手を振った。

「俺、骸がメタボ体型になっても大好きだから・・・!!」

「そこじゃない・・・!」

「俺、骸は禿げても大好きだよ!M字に禿げてもてっぺんだけ禿げても、」

「それ以上不吉な事言わないで貰えますか・・・!?」

禿げだのメタボだの、止めて欲しい。
骸はぷんぷんしながら頭頂部の房を触った。
禿げて堪るか。

「それにそれに、骸の肌ってキレイだから、野菜いっぱい食べてビタミン摂ってればずっとつるつる!」

つるつる!の「る!」の部分でツナヨシの小さくて白い鼻からぷっと赤い液体が飛び散った。

「鼻血・・・!?」

「ん?」

ツナヨシは鼻血が分かっていないらしく、鼻を擦ろうとしたのでその手を掴み上げて
ぼんっと仰向けに倒すと、丸めたテッシュを鼻に突っ込んだ。

「ふぐ・・・っむ、むくろ・・・」

何をされているのか分からなくて不安そうな顔で体を起こそうとしたので
またぼんっと仰向けに倒す。

「気を付け!」

ツナヨシは仰向けのままぴん、と気を付けをしてしばらくそのまま大人しくしていたが
足の指をわさわさ動かし始めた。

大人しくしているのが苦手なのだろう。
知ってたけど。

テッシュが仄かに赤く染まっている。

「・・・血が、通ってるんですね。」

「そ、そんな人を血も涙もないような言い方を・・・」

「どこで覚えてくるんだそんな言葉・・・!そもそも人間じゃないですよね!?」

ぴんと伸ばされている細い腕を取って手首に指を宛がうと、
とくとくと小さな鼓動が伝わってきた。


当たり前の事なのに、なぜか不思議な気持ちになる。
当たり前なのに。


「動いてる?」

「それなりに。」

言って腕を元に戻すとツナヨシは嬉しそうに手首を摩るから、骸は訳も分からず目を細めた。

「でも正直、自分に血が流れてるの知らなかった。」

「え?」

「上にいる時は、怪我はしないから。それに本来、血って流すものじゃないだろ?」

「・・・。」

確かに、それはその通りなのだけれど。


血液は、体に栄養を運ぶためのもの。
決して流すものではない。

それはきっと、当り前の事。
けれど、不思議な気持ちになる。


そんな骸をよそに、ツナヨシは困ったようにうーん、と唸った。

「でも、流すものなのかなぁ。」

「え?」

「だって俺はただ、骸の肌がつるつるって思ったらどきっとしてもご、」

まさかまさかと思って考えないようにしてたのに!

だから早急にその口を塞いだ。
人の肌の話しをして鼻血を出すなんて、煩悩の塊じゃないか!

骸は顔面を引き攣らせた。

けれどツナヨシは鼻血の意味を分かっていないからまだいい。
時間の問題だろうけど。

「堕ちると人に近くなるんだって。骸とお揃い。」

「お揃いって・・・」

そういえば最近、忘れていたけれど。

「迎えは本当に来るんですか?」

「うん!」

「・・・そうすれば君は帰る。」

「うん!」


随分あっさりしている。


些か眉根を寄せた骸に気付きもせずに、ツナヨシは眉尻を下げた。

「でもそうなると骸は単身赴任になっちゃうから心配なんだよね・・・」

「単身赴任・・・!?」

「だって骸放って置くとご飯食べないし・・・俺は骸の傍にいたいし・・・」

「・・・。」



例えばこのままここにいたら、「人」になるのだろうか。



そうか。



忘れていたけどいつか、帰るのか。


09.09.15