鼻の辺りが。

まだぷるぷるしている。

骸は溜息を吐いた。

「自力でどうにか出来るものではないのですね。」

「う、うん・・・そうみたい・・・」

珍しくしゅんとするツナヨシから視線を外して骸は窓の外を見た。

「・・・屋上、行きますか。」

「え！？このまま出てもいいの・・・！？」

「こんな時間に外をうろついている人間はあまりいないでしょう。」

この辺りには高いマンションなどもないから、屋上なら姿を見られる事もないだろう。
それに屋上の方が光が当たるだろうから。


ツナヨシがいそいそと淹れたコーヒーを持って屋上に上がる。

月明かりがこんなにも眩しいものだとは思わなかった。

冷たい空気もどこか柔らかく思われて、骸は手摺に寄り掛かった。

目の前ではびりびりに破けたＴシャツにマフラーという変態ルックのツナヨシが
文字通り羽を伸ばしている。

月明かりに呼応するようにその輝きは増して、柔らかく落ちてくる光の粒子に指を伸ばした。

人指し指の上で柔らかく小さく跳ね上がって、散っていく。

「飛べないんですか？」

それ、とツナヨシの白い羽を指差した。

「やってみる！」

ツナヨシはぴょん、と跳ねた。

「・・・。」

「・・・。」

ツナヨシはぴょんと跳ねるが、ただジャンプしているだけだ。

ぴょんと跳ねて地面に足を付けると、羽をぱたぱたとさせた。

「・・・落ちてから動かしても意味ないんじゃないんですか？」

「うん！」

ツナヨシは一人ぴょんぴょん跳ねて移動するが、微塵も飛べてない。

屋上をぴょんぴょん跳ねながら一周して骸の元へ帰って来た。

「と、飛べてた・・・！？」

「僕の方が高く飛べますね・・・」

「骸すごい・・・！！」

「・・・っ」

顔面を引き攣らせる骸をよそに、ツナヨシは小さな羽をこしこしと擦った。

「やっぱりこっちじゃ使えないみたいだな。」

小さな溜息を落としたツナヨシに釣られるように、骸も溜息を落としてちら、とツナヨシを見た。

（天使ねぇ・・・）

すぐ目の前で羽をぱたぱたとさせている。

認めざるを得ないのだが、どうにもぴんとこない。

ツナヨシだし、名前もツナヨシだし。

何かもっとこう、横文字とか使わないのか。
ツナヨシって。
それとも横文字を使うというのもただのイメージなだけなのだろうか。

「大体何なんですかその名前！？」

釈然としない事だらけで悶々苛々していた骸の大声に、ツナヨシは驚いてぴょんと跳ね上がった。

「え、な、なまえ・・・？これは、創始者様がつけてくれたんだぞ・・・」

また変なの出てきた！

口元を凶悪に引き攣らせる骸にびくびくしながら、ツナヨシは一生懸命説明した。

「すべての始まりって言われてる創始者様がつけてくれたって言ってて、
一度しか会った事ないんだけど、すごくキラキラしてて、
それでこの名前つけたのは「なんとなく？」って言ってた・・・！」

「・・・っ」

「父さんのイエミツも「なんとなく？」って言ってた！」

「・・っ！」

イエミツって。

「それならその創始者は家康とでも！？」

「ううん。ジョット。」

何でそこだけ横文字！？

「母さんの名前はナナで」

現代的・・・！！

「大地と海を分けたのも「なんとなく？」って言ってた！」

「・・・っ！！」

父親も相当だと思っていたが、これはもう脈々と受け継がれたバカなのだ。
その集大成がツナヨシと言っても過言ではない気がする。
骸は引き攣る顔面を懸命に押さえた。

それに今大地と海がどうのって言ってなかったか？
一体何歳なんだ。

「君、は確か・・・三歳になるとか何とか言ってましたよね・・・？」

「うん！」


それならこれから気が遠くなるほど長い時間を生きるというのか。

一人で。


睫毛を揺らした骸に気付かずに、ツナヨシは一人で指を折り始めた。

「うんと、俺は三歳になるから、こっちの時間で言うと、あと七年生きられる。」

「・・・え？」

えへへ、と笑ったツナヨシだったが、骸が眉根を寄せているから大きな目を瞬かせた。

「骸？」

「七年って・・・だって、君の父親と母親は、」

「ん？父さんたちは不可侵だから年は取らないんだ！
あ、でもな、こっちの時間と上の時間は流れが違うから、こっちの一年は上では五年くらい。」

「・・・五年、」

単純に計算すると、ツナヨシは今十五歳くらいという事だ。
それで骸の事を自分より少し年上と言ったのか。

それならツナヨシは上で言えば五十歳くらいまでは生きられると言う事だろうか。

五十歳。
決して長生きとは言えないが、名前を元に時代が時代なら、長生きになるのだろうか。
しかしそもそもツナヨシの言う「上」と「こっち」を混ぜて考えるものでもない気がするし。

骸はじわじわと眉根を寄せて、その表情を見たツナヨシは恐ろしくてじわじわと顔色をなくした。

「・・・君は存在そのものが微妙過ぎて何も言えませんよね。」

「・・・ぜ、絶妙ってこと・・・？」

「勘違いもポジティブですよね・・・！！」

まったく、と骸はきつく眉根を寄せた。

「不可侵だか何だか知りませんが、子供にだけ寿命があるなど随分薄情な親ですよね。」

「骸・・・！」

ツナヨシは大きな目に涙を溜めて、必死に骸の名前を呼ぶから骸は些かぎょっとした。

「何ですか・・・！？」

「大丈夫だから・・・！」

「何がですか・・・！？」

ツナヨシの大きな目からぽろ、と涙が落ちた。

「みんな骸の事愛してるからな・・・！」

骸はぱちりと一度瞬きをした。

「はぁ！？」

「骸が気付こうとしないだけで、商店街の人たちだって学校のみんなだって、
骸の事大好きだからな・・・！！」

「はぁ！？！？」

「骸の、父さんだって、母さんだって、」

ぽろ、と再び落ちた涙に、骸は狼狽した。

そして、それから、

ごん、とツナヨシの頭を殴った。

「ふぐ・・・っ」

「人の事をどうこう言う前に、自分の事をどうにかしろ・・・！」

「骸が大好き・・・！！」

「・・・っ」


そんな泣きながら絶叫されても。


「ふご、ふごご」

骸はツナヨシの両頬を摘み上げて思い切り引っ張った。
柔らかい頬がびよんと伸びる。

「寿命の話しはきっと、君が馬鹿だから計算違いをしているか、君が馬鹿だから記憶違いをしているか
君が馬鹿だからからかわれたかのどれかですね。」

「ふご・・・っ！？」

理不尽な暴力から解放された頬を擦りながら、ツナヨシは大きな目を瞬かせた。

「そ、それなら司祭様が「クソツナは足の指でもしゃぶってろ」って言ったのもからかわれたのかなぁ・・・？」

「・・・っ」

司祭もどうかしてると思う。

「それは本気ですね。」

「本気なのか・・・！？」

「当たり前ですよ。」

「自分の足の指なんてしゃぶれないのにどうしよう・・・俺、体硬いのに・・・」

骸の言葉をそのまんま信じたツナヨシは、出来なかった時の司祭からの制裁を思っているのか
顔を青褪めさせてごくりと喉を鳴らした。

そんなツナヨシを放置して、少し気持ちを落ち付けようと口を付けたマグカップの中のコーヒーはすっかり冷めていた。

冷えたコーヒーが唇を湿らせて、骸はぽつりと呟いた。

「・・・例えばこのまま、こっちにいたら君は、七年しか生きられないという事ですか？」

ツナヨシは大きな目を瞬かせた。

そして首をゆっくり傾けて、更に傾けて、尚傾けた。

上半身が屋上と平行になる。

「・・・っ」

分からないのか！！

「いて、いててて・・・っ！！」

骸はツナヨシの頬を引っ張って体を起こさせた。

「どうでもいいですが、早く迎えを来させなさい・・・！！」

ツナヨシは頬を擦って、しゅんと眉尻を下げた。

「・・・骸、俺の事、邪魔・・・？」

骸は言葉に詰まってしまってから、ぷい、と顔を背けた。

「・・・先に帰ると言ったのは君ですよ。」

「骸・・・！」

勢い良く抱き付かれて骸はぐ、と声を詰めた。

「俺、頑張ってもっといい奥さんになるから捨てないで・・・！！」

「結局それか・・・！！離しなさい！！」

ぐじゅぐじゅ泣くツナヨシの顔面を鷲掴んで押し遣るが、
離さないし涙とか鼻水とかよだれとか手に付くし、骸はああもう、と眉を寄せた。

昇り出した太陽に羽が緩やかに照らされていって、
朝日を受けた羽はやがてきらきらと光を含んで、光の粒になって空に登っていく。

ツナヨシはまだ骸に抱き付いてぐじゅぐじゅしている。

羽がなければ人間のようなのに、と少し思った事は黙っておいた。



09.10.11