「何なんだ・・・あれは・・・」
骸が思わず呟くと、リボーンは苦々しく口を開いた。
「あいつは規律に反して人間の魂を集めてる、一応天使だ。あいつは集めた魂のお陰でこっちでものうのうと生きていられるんだがな」
リボーンは吐き捨てるように言って骸には目もくれず、転がっているツナヨシをげしげしと蹴った。
「てめーの適応力には呆れ果てるぜ。「夜は家に帰ります」かコラ」
意味の分からない因縁をつけながら、ツナヨシの顔を皮靴でぐりぐりする。
「リ、リボーン・・・」
「馴れ馴れしく名前呼んでんじゃねぞ。司祭様だろコラ」
「ちょっと待ちなさい。何なんだ君は。突然空から降ってきて。そうしたくなる気持は痛いほどわかりますけどね、とりあえず足を上げなさい」
「うう・・・」
あまり庇って貰えてるような気がしないツナヨシは、リボーンの靴の下で小さくぐずった。
「てめーこそ何なんだ。人間か?」
こんな短時間に二回も人間かと問われる日がくるとは夢にも思わなかった。
「・・・人間ですけど」
一応答えはするが、違和感だけが残る。
「俺は大天使の使いだ。司祭だよ」
骸は薄く唇を開き茫然とリボーンを見る。
「大天使の使いは悪魔なのですか」
「はあ?悪魔なんざいねーよ」
そんな常識みたいに言われても知る訳ない。
「悪魔はなぁ、てめーらの心の中にいるんだよ」
青白い顔でけけけと不吉な笑みを浮かべるこの少年こそが悪魔に見える。
もう何もかもが納得いかない。
「白蘭は俺らの間じゃ悪魔なんて言ってるけどな、あいつも天使だ」
悪魔と言われているのが自分とは思わないようだ。愕然とする骸をよそに、リボーンはツナヨシを尚も革靴でぐりぐりする。
「俺はな、昼間は下に降りらんねーんだ」
やっぱり悪魔なんじゃないかと思う。
「なのに夜んなると穴倉に潜りやがって捜せるかっつの。万能じゃねぇっつの。ふざけんじゃねぇっつの」
弱っているツナヨシを容赦なくげしげしと蹴る。
「止めなさい。分かりますけどね、君の気持も。」
「うう・・・」
イマイチ味方になりきってくれない骸にぐずるツナヨシの胸倉を掴み上げたリボーンは、おもむろにツナヨシを殴った。
止めようとしたのも束の間、骸は目を見張った。
ツナヨシの羽で、光が弾けた。
眩い光がきらきらと降り注ぎ、現れた羽は、白よりも白い色。七色の光りを纏い、煌めく。
初めてツナヨシの羽を見たあの日と、同じ色だった。
でも殴るのは必要だったのだろうか?と誰しもが思いそうな疑問を抱え悶々としていると、ツナヨシが小さく羽を羽ばたかせながらぴょこんと立ち上がった。
そしてにっこりと笑うから、骸は思わず瞳を揺らした。
「俺、またお嫁さん頑張るからな!」
「・・・そうですか」
何だか複雑な気持ちになっていると、リボーンがツナヨシをぽかっと殴って、骸は何だかむっとした。
「な、何すんだよ・・・」
殴られた頭を擦って涙目になるツナヨシに、リボーンは凶悪に顔を歪めた。
「てめぇノンキなこと言ってんじゃねぇぞ。帰るぞ」
「え!?」
「え!?じゃねぇぞコノヤロウ。正直、ここまで汚染が進んでなかったことには驚いてる。最悪の場合も考えてたんだ。これ以上ママンたちを悲しませるな」
「この子は・・・最近具合が悪くなり出して」
野菜でも引っこ抜くようにツナヨシの髪を掴んでいたリボーンは、静かに言葉を紡いだ骸を振り返った。
リボーンは片眉を持ち上げると、ツナヨシに視線を移した。
「何で汚染が進んでなかったのかと言ったら、てめぇらがコイツのことを愛してくれたからだ。そうじゃなきゃ、コイツはとっくに干からびてるな」
「じゃ、じゃあさ、このまま」
「調子こいてんじゃねぇぞコラ」
肩に担ぎ上げると見せかけてそのまま頭から地面に落とした。
「てめー今なんつった」
ゆらりと顔を翳らすさまは恐ろしく凶悪だった。
これはツナヨシが怖がる訳だ、とどことなく納得する。現にツナヨシはぶるぶる震えていた。
「・・・この子たちには寿命があるのでしょう?それなら、好きにさせてやったらどうですか?」
「骸!」
ぱっと顔を輝かせたツナヨシに骸は一度目を合わせただけで、リボーンを見遣った。
リボーンはふうん、と腕組みをして骸の視線を受け取った。
「てめぇらがそうしてぇなら別に止めやしねぇ」
「リボーン・・・!」
目を丸くしたツナヨシに、リボーンは茶化すでもなく淡々と、言葉を紡いだ。
「このままこっちにいたら、ツナはもってひと月だな」
「ひと月って・・・」
目を見開き思わず呟いた骸に、リボーンは事実だけを述べるように、静かに言葉を続けた。
「俺がしたのは応急処置でしかねぇ。体ん中に溜まった毒は、そうそう簡単に抜けない。完全に浄化出来るのは、」
リボーンは緩やかな動作で空を指した。
「創始者、ジョットだけだ」
「そ、それならさ!」
「てめぇは黙ってろや!」
「うぐ、」
ぽかっと頭を叩かれて、ツナヨシは涙目になった目を擦った。
「ジョットはこっちには来れねぇ。アイツが大きく動くと世界が均衡を崩す。世界は壊れ、またゼロから世界が生まれ直すことになる」
「・・・それなら、この子が上に戻ればいいのでは?」
「その通りだ。だが浄化されてもまたこっちに来たら同じことの繰り返しだ。天使は体の作りが繊細だ。そんなことを繰り返していたら、命を削る」
瞳を揺らす骸に、リボーンは告げる。
「それでもお前らが共に過ごし共に最期を迎えると言うのなら、俺に止める権利は、ない」
骸は静かに目を見開いた。リボーンの金色の瞳が光りを弾く。
「決めるのは、お前たちだ」
リボーンが静かに言い切ると、ツナヨシははっと骸を見上げた。
「骸・・・前にも言ったけど迎えが来たら帰ろうと思ってたんだ・・・でも・・・でも今は・・・骸」
意を決したようにツナヨシが大きくひとつ瞬きをした。
「俺は、」
「帰りなさい」
最後の言葉を言うより先に、骸が当たり前のように言った。
「上からでもこっちが見えるのでしょう?それなら、寂しがる必要なんてひとつもないじゃないですか」
目を見張ったツナヨシに、骸は柔らかな無表情をしてみせる。
急かすでもない風が髪を静かに揺らす。
目を合わせたまま、骸は言葉を探した。
言わなければならないことがあったかもしれないし、言うべき言葉もあったかもしれない。
けれど散々考えて出て来た言葉は、骸が思った物とはまるで違った。
「僕は・・・大丈夫だから・・・」
大きな瞳がもっと見開かれて、きらきらと煌く光が眼球に映り込む。
まるで硝子玉みたいだ、と見当違いのことを少し思う。
言うべきことだったのか正しいのか、骸自身言葉の意味を分からないでいる。
けれどツナヨシはすべて分かったように笑って、言う。
「ありがとう!」
ツナヨシの目尻からぽたと涙が落ちた。
けれどツナヨシはすぐに俯いてぽたぽたと涙を落とした。胸が、痛くなる。
「話は纏まったみてぇだな」
言ってリボーンはツナヨシの羽の先を摘まんで眉を寄せた。
「こんなに小さくなっちまって、これじゃ飛べねぇな」
リボーンは軽々とツナヨシを肩に担ぐ。ツナヨシはされるがままで、ただ俯いて涙を落としている。
掛ける言葉が見付からない。
「おらツナヨシ、別れの挨拶くれぇしろ」
促されてようやく濡れた睫毛を持ち上げたツナヨシは、震えるような指先をゆるゆると骸に伸ばした。
骸は無意識にその指先を握り締める。
温かい。確かにここに居る。
別れの挨拶なんて知らないから、ただそっと離れていく指先を見詰めていた。
指先と指先が淡い光だけを残し、静かに、離れた。
ツナヨシはそのまま涙が零れる顔を、掌で覆った。
そんなことをしたら顔が見えない。
でもとうとう、掌は顔を隠し涙を隠し続けままだった。
リボーンは一度柵の上に足を置き、振り返る。
「とは言えツナヨシが大分世話になった。口添えくれぇはしてやるよ」
「・・・結構ですよ」
リボーンは口の端で笑って、脱いだ帽子を胸元に置いた。切れ長の目を静かに伏せる。
「慈悲深き者に恵みあらんことを」
濃紺の空にツナヨシとは比べ物にならないくらいに大きな翼が広がる。
柵を蹴る小さな音がして、音もなく翼がはためいた。
胡散臭い司祭の肩に担がれて、濃紺の空に真白な小さい羽が広がって
淡い指からはらはらはらと零れる涙が月の光に照らされて白銀の尾を引いていく
こんなにも綺麗で悲しいものが、この世に存在するのかと、骸はただただ見上げていた。
目に焼き付くこの光景は、一生忘れられないのだろう。
まるで幕引きのように雲が空を覆い、そして涙はそのまま雨になり、骸の頬に落ちた。
部屋に戻る途中にも、雨は強さを増していき、扉を開ける頃には部屋の中は雨の音に満たされていた。
薄暗い部屋の中は抜け殻みたいで、それでも確かにそこに居た。
どうしてだろう。あんなに狭いと思っていた部屋が、こんなにも広く感じる。
骸はまだ体温が残っている気さえするベッドに腰を下ろし、窓の外を見た。
別れはあまりにも突然過ぎて、涙なんて少しも出ない。
けれど窓を流れる雨が涙に見える。
骸はただじっと流れていく雨を見ている。
ツナヨシと過ごした期間なんて、今まで生きてきた時間と比べれば少しの間で、これから続くだろう長い人生に比べたら、瞬きをする間のもので。
だから夢だったと思えばいい。
あんなにも現実離れしていたのだから、ぜんぶ夢だと思えばいい。
骸は睫毛を頬に落とした。
雨は夜を滑って落ちる。
暗い夜では星も見えない。
2010.12.2