霧が薄くなっていく。

空はじんわりと薄紫から淡いブルーへと変わっていった。

霧さえも喉に詰まる気がして綱吉はごほと短く咳き込んだ。少し前を歩く骸は振り返りもしない。

ふと血の気が引いて、気付いたら膝が地面に突いていた。体に張り巡らされている筈の神経は痛みすら感じさせてくれず、綱吉は地面に突いた手を他人事の様に眺めていた。

「立てますか」

不意に掛かった骸の言葉は立ちなさい、と言っているのに等しかった。

手を差し伸ばされる事はないと分かっている綱吉はぐ、と体に力を込めて立ち上がった。唇が震える。
立ち上がった先は酸素が薄い気がして、呼吸を求めれば求める程頭がじんわりと滲み、気を失いそうになる。
身に纏う血の臭いが一層気分を悪くさせた。

綱吉も分かっていた。

こういう時は大丈夫かもう安心しろとか、そういう言葉を掛けられると一気に気力が削がれてしまう事を。

生きていたい。

そう思う事こそが命を繋ぐんだ。

じゃり、と革靴の底で砂を擦り足を出す。
はあと深く息を吐いた綱吉はそこで足を止めて、俯いたきり動かなくなった。

「仕方のない人ですね」

乾いた声は呆れさえ含んでいなくて、それでも綱吉には酷く優しく沁みた。

だらりと体の横に垂れた手を、骸が握った。

そして雲でも引く様に、そっと引かれる。

綱吉の視界はじわりと滲んだ。

初めて握った手袋をしていない骸の手は、確かに温かくて、少し乾いた皮膚の感触がやけに鮮明に脳に届いた。


生きている。


今、ここで。


昨日の夜は地獄を見た。この世の終わりなんじゃないかとさえ思った。

酸素が体の末端まで行き届かない内にまた、拳を振り下ろす。体はやがて感覚を失っていき、人形の様になる。
何を動かしているのか、どこを動かしているのか、自分でも曖昧に、ただ反射する神経だけが体を支配した。

血の臭いが凄かった。

雨が降っているのかと思っていたけど、生温かいそれは、そんなに優しいものじゃなかった。

夜が明けないのかと思った。世界が終わったのかと思った。永遠に続く地獄じゃないかと思った。


でもそれはおこがましかった。


どこで何が起こったとしても、世界は回って夜は明けた。
何事もなかった様に時計は回り、起き出した人達はそれぞれの生活を、昨日と同じ様に繰り返す。

この夜を知る人間が骸と綱吉だけになった以上、誰も知る事無くなかった事になっていく。

例え今ここに自分がいなくても世界は、回るのだ。


繋いだ手の温度が近付いていく。

触れているその皮膚に、生命を感じた。


生きていたい。


取り残されていく恐怖より、綱吉はそう思った。

空気はひんやりと朝の気配を孕んでいく。体に込められた穢れを流してしまいそうな程。
登り始めた太陽がやがて街を明るく照らす。そしていつもと変わらない日常が始まる。

「ねぇ、骸」

掠れた声に骸はふと視線を落とす。

「骸がいなかったらオレはここにいなかった。だからと言う訳じゃないんだけれど」

空が静かに青に近付く。

「骸のものに、なりたいな」

朝の空気はとても冷たく、透明度が高い。

骸は軽く瞬きをして、意外そうに眉を持ち上げた。

「おやおや。そんな姿で告白ですか。もっと気の利いたシチュエーションの方が好ましいですが、折角なので頂きますよ」

骸が手を握り直したので、綱吉はふと笑った。


空は滲み、夜が明けていく。


2012.02.11
夜明けとむくつなが好きです