こうなるのはもう分かり切っていた。


人目に付かぬようにホテルの部屋で会う事になるのも、
食事も前戯のひとつに過ぎない事も。


どちらから仕掛けたとか、そんな駆け引きめいた事じゃなくて
視線が絡むのとキスがイコールで結ばれていただけで。


互いに服を脱ぎ捨てる余裕すらなく噛み付いて、
綱吉を真紅のテーブルに押し付けた。

腹這いになった綱吉の首を押さえ付けて
深くまで一気に押し入る。

綱吉は儚い仕草でテーブルクロスを握り締めて
僅かに爪先立った足元がふるりと揺れた。


蹂躙しているのと何ら変わらぬ荒い動作も、
それでも綱吉は淫らに頬を染めて熱い吐息を漏らす。

柔らかな髪から覗く真っ白くほっそりとした項に汗が伝うから
どうしようもない激情が沸く。


尋常じゃないと心のどこかで思うが、
骸に止める術はない。


体を繋げてみたいと思った事は一度もなかった筈だ。


それなのに今こうして余裕すらなく
抱いているというには程遠い獣染みた行為をしている。

綱吉の中に入り込み体を擦り合わせて
男同士では何の意味もない精液を綱吉の体の中に入れて
今まで味わった事もないほどの悦びに心が震え上がる。


それが意味するものはただ一つで、
自分でも知らぬ内に綱吉に向かっていた欲を押し込めて掻き消していたのだ。


ただ、それだけだったんだ。
その事実を今更突き付けられる。


ずるりと体を引き抜くと、綱吉もまた小さく震えた。


カッターシャツから零れる細い足に
二人分の濁った白い液体が伝っている。

ゆっくりと焦らすように爪先まで伝い、
はたりと絨毯に落ちた。


「・・・むくろ?」


吐息すら消し掛けた骸を不思議に思って体を起こし
骸の固定された視線を辿ると、綱吉の足元だった。

「わ!」

視線の先の淫らな様に頬を染めるが、
骸の視線が固定されているのはそこではなかった。


白さの中に一点、赤が混ざっていた。


綱吉は瞳を揺らすと、捲くられたシャツをそっと下ろした。


「・・・シャワー浴びてくる」


小さな足音が、足早に遠ざかっていく。


漆黒の絨毯に落ちた一滴、それは黒に馴染んですぐ消えた。
けれど骸はそれすら視界に入れたくなくて明かりを落とした。

パノラマに広がる窓の外の光の波は騒々しく
咽ぶほどの光の粒は空に浮かぶ月さえくすませた。


バスルームからタイルを打つ水の音が聞こえてきて
骸は上着に伸ばし掛けていた手を止めた。

さんざん躊躇った後、結局ソファーに腰を下ろした。


すべてを見た訳ではないのに
不規則に落ちる水の音が綱吉の肌を思い立たせる。


華奢で頼りないその細い体を水が伝う様や
水を弾く色付いた肌を。



骸は苦しげに眉根を寄せて深い絶望を覚えた。



綱吉の体から零れる赤に、こんなにも怯えている。

もう目を逸らせない気付かないふりが出来ない。



こんな弱い自分は知らない。



失う、というのならもし綱吉が他の人間にあの声で語りかけて
あの瞳で見詰めてあの体で愛し合うというのなら絶対に許せない。

この手が離れると思うだけで気が狂いそうだった。

長い間ずっとずっと抑圧し続け、気付かないふりをしていた感情は
消える事なく鎮まる事なくたった一度触れてしまっただけで止める術なく溢れ出てきて
苛烈な波となって体中を支配する。



こんな自分は知らない。



綱吉がバスルームにいる間に出て行ってしまえば
もう二度と会わないで済むのに
本当はそうしようと思っていたのに
 
綱吉に飢えたこの心は、
また綱吉に触れられると知っているこの頭は、
頑なに体をこの場に縛り付ける。


足手纏いになる感情ならいっそ、要らないと思ってた。
世界が音を立てて壊れた「あの日」からどうにも均衡が保てない。


けれどそれでも生き長らえたのはただ
綱吉の世界から自分が消えたと思っていたから。


綱吉がいなければもうすべてのものが意味を持たない。
例えば呼吸を繰り返す事だって
彼がいなければ何の意味も持たない。
 
それで一体何になるというのだろう。
憐れなほど脆くなる自分が一体、何の意味を持つというのだろうか。



足手纏いになるからいっそ、手なんか伸ばして欲しくなかった。




始めから終りまですべてが
許されるものではないというのに。




ここに来さえしなければ
連絡さえしなければ
話しさえしなければ
呼び止められさえしなければ
あの場所に行きさえしなければ
 
 
 
彼に、出会いさえしなければ
 
 
 
骸は静かにまぶたを落とした。
 
 
 
 
本当にそう、言い切れるのだろうか?
綱吉に出会った事を後悔しない日はない。
けれど綱吉に出会わなかったらと思うだけで心が竦む。


本当はずっとずっとずっと、
 
「む、くろ?」
 
控え目に驚く声が掛かって、骸はすっと瞼を上げた。
 
ソファの後ろに立っているのだろう、綱吉の姿は見えない。

「あ・・・よかった。」

何が、とも訊き返さない骸の背に
それでも綱吉は笑い掛けた。

「帰っちゃたと思ったから、・・・嬉しい。」

「・・・・嬉しい?」

「わ!」

振り向くと綱吉の腕を強引に引っ張った。
体は強く引かれるまま背凭れを滑り
綱吉はソファへ背中を落とした。

「あなたは自分が何を仕出かしたか分かっていないようですね。」

「分かってる、」

「分かっていない。」

綱吉の華奢な首をぐっと掴む。
徐々に力の籠る手に、それでも綱吉は身じろぎさえせずに骸を見上げた。

「あなたは自分の立場を分かっているのか。
僕が誰だか分かっているのか。」

「骸、だろ?」

苛立ちの滲む目を細めて手を離すと、
綱吉はすっと口を引き結んだ。

「ごめん。ふざけてる訳じゃない。」

軽くむせ込んでゆっくりと体を起こすと
ソファに座り直した。

「今までずっと、ごめんな。」

「何がですか?」

静かな謝罪はすぐに跳ね付けられた。

「危険因子は叩き潰す。マフィアらしいと思いますけどね。」

「・・・うん、その事もごめん。」

「その事も?他に何があると言うのですか?
あなたが謝るのは思い上がりというものだ。
そもそも全て僕が発端だ。違いますか?」

「違う。俺だよ。」

骸は鼻を鳴らした。

「それが自意識過剰だと言っているんだ。」

「・・・あの時、イタリア行きが決まった俺は、お前に弱音を吐いた。
絶対に行きたくない、死んでも嫌だって。」

「だから何ですか?」

「骸なら」

「そう言えば僕ならあなたを殺すとでも?下らない。
僕はただ単にあなたが死ねばいいと思ってただけですよ。」

「うん、どうせいつか死ぬなら骸の手がよかった。」

息を詰めたのを悟られたくなくて、
骸はきつく眉根を寄せた。

「・・・でもすぐに気付いたんだ。酷いエゴだなって。
もし本当に俺が死んでたら、骸は俺の命を背負わなきゃいけなかったから。」

「・・・今更一人二人増えたって変わりませんよ。」

「変わるよ。だって骸はちゃんと背負ってるから。」


真摯な声はどこまでも誠実で、
その声で名前を呼んで欲しくなかった。


下らない、と骸はうわ言のように呟く。


「言い訳になるけど、骸がボンゴレの警戒対象になってるって知ったの最近なんだ。」

「例えあなたが始めからその事実を知っていたとしても
止められたとは思えませんね。今のあなたにも止められるとは思えない。」

「・・・耳が痛いな。でも解除に向けて動いてるから。」

「結構ですよ。もともと貴様らの仲間になる気などない。」

「お前はいつもそうやって、俺の事ばっかり心配してくれたよな。」

「自惚れるな。」

「自惚れるよ。」

切なさを孕む声に遮られて、骸は目を見張った。
綱吉は泣きそうな顔で笑って呟くように言った。

「自惚れちゃうよ。あんなに、見詰められてたら・・・」


一瞬、強い風が吹き抜けた錯覚に捕らわれた。
あの時から何もかも変わらない。

時間だけが過ぎ、結局は何も変わらぬまま、
また、出会ってしまった。


何もかも、変わらないまま。


「犬たちの事は心配しないで。
俺がずっと見てるから。何があっても守るから。」
 
そんなのは分かっている。
じゃなきゃもうとっくに連れ出している。
 
「それであなたは僕を懐柔しに来たのですか。」

悲しみに揺れた瞳は見ないふりをした。

「それなら何故、骸はここに来てくれたの?」

綱吉は小さく息を吸い込んだ。


「俺、骸が好き。」


呟くような声は、それでも強い意思があって心を掻き乱す。
骸は苦しげに眉を寄せて瞳を閉じた。

「会えなくてもずっと、好きだった。」
 
「あなたに、」
 
綱吉の言葉を遮るように強く言い放つ。
 
「あなたに好かれる真似をした覚えはない。」
 
「よく殴られてたもんな。」
 
綱吉はそっと笑った。
 
「・・・でも骸が優しいの知ってるし、」

「そんなものは幻想ですよ。」

「うん、でも知ってるから。」

儚い笑顔はそれでもいつも、
容易く折れない強さを秘めていて。

「骸が誰よりも一番、俺の事考えてくれてた。」

綱吉は小さく笑って、「ちょっと乱暴だったけど」と付け足した。



骸、骸、と名前を呼ぶ声が、鐘の音に聞こえる。
葬式の鐘の音だと思った。

初めて会った「あの日」に壊れたものが、
また、壊れ始める。



「それに、お前の拳には愛があった。」

「・・・・。」

どんな顔で言ってるのかと思えば、綱吉は真面目くさった顔をしていた。

「な・・・!何笑ってんだよ・・・!俺は真面目に言ったのに・・・!」

「だからですよ。」

些か拗ねたように口を尖らせた綱吉だったが、すぐに柔らかく笑った。

「今日、骸が笑った所二回も見た。」

そろりと伸ばされた手は、それでも骸に触れる事を躊躇ってはいなかった。
そっと頬を包まれて、骸は表情を強張らせた。

「もっと骸の色んな顔が見たい。怒った顔も泣いた顔も全部見たい。」



絶対な意思はあった筈だ。
なのにどうして抗えない。


骸から手を伸ばして綱吉のバスローブに指を掛けた。
バスローブはするり、と華奢な肩から滑り落ちる。
綱吉は恥らって目を伏せた。
 
その表情から生まれる睫毛の震えや
淡く色付く頬でさえ、全て自分のものになるというのだろうか。
 
露わになった白い肌は毒々しい街の光を映し出して
それなのに酷く綺麗で眩暈がした。


やはりこれは不可侵のオレンジ。
容易く触れてはいけなかったのだ。


「後悔、してる?」


思ってもなかった問い掛けに骸は何も言わずに目を閉じた。
苦しげに寄せられる眉根に、綱吉は泣きそうな顔で笑う。


「俺、骸が後悔してないって言えるように頑張るから、だから」


控え目に呟く声が微かに震えて
骸はそっと視界を開いて目を見張った。



「傍に、いさせて・・・」


閉じた瞳から涙が零れて頬を伝う。
 
なんて綺麗に泣くのだろうと思った。
こんなに綺麗な涙は見た事がない。


すぐにその顔を包み込んで引き寄せると
綱吉は涙を散らせた睫毛を震わせて骸を見詰めた。

頬に添えた手を綱吉の涙が横切って落ちた。

「骸・・・」

柔らかい声を奪うようにそっと唇を合わせた。

「むくろ・・・」

呼吸の合間に名前を呼んで、また唇を合わせて。


鐘が鳴る。葬式の鐘が。


けれど死に向かうとは到底思えないような、
ここにあるのはただ穏やかでただ柔らかくて、
まるで包み込まれるような。



骸、と柔らかく鐘が鳴る。



ああ、と骸は目を閉じた。



死に行くにはあまりにも穏やかであまりにもやさしくて


この身が朽ちずに魂の再生があるのだとしたら
もしかしたらこんな気持ちを言うのかもしれない。


絶望によく似たこれを
人は幸福と呼ぶのかもしれない。



綱吉がいないと生きていけないと言うのならそれは、
綱吉のためになら生きていけるのと同意義で
生きる意味を見失いがちな骸には
祝福されるべき事だろう。



だって本当はずっとずっとずっと、
彼に愛してほしかったから。
彼に触れてほしかったから。



柔らかく鐘が鳴る。葬式の鐘が。
信じてるとか、そんな単純な感情じゃなくて
綱吉のために自分が存在出来るというのなら




この体に流れる血の、最後の一滴まで
命が終わる最期の呼吸の一つまで
啼き止まぬこの魂のすべてを




薄く唇を離して、揺れる瞳で見詰め合う。




「ぜんぶあげる。」




僅か震える吐息に、綱吉の大きな目の縁に涙が堪ってはらりと落ちた。
綱吉は顔を歪めて涙を零し、骸の体に縋りついた。





「ありがとう・・・大事にする、」



彼ならすべてを、受け入れてくれるから。



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