ボス、と背後から控え目な声が掛かった時にはもう、用件は分かっていて
綱吉はなるべくいつも通りの微笑を浮かべるよう努めてから振り返った。

振り返った綱吉がいつも通りだったからクロームが
安心の意味を込めて小さく息を吐いたのが分かった。

ボス、ともう一度消え入りそうな声を出すから、綱吉も釣られて眉を下げそうになってしまったが
辛うじて堪えて、微笑んだまま小さく頷いた。

「大丈夫。」

子供を寝かし付ける
ような優しい声に、クロームのバイオレットの瞳に安堵の色が宿った。
けれども僅かばかりの不安は残っている。

「・・・ボスがそう言うなら信じる。」

言って小さく駆け出したクロームの華奢な背を見詰めて綱吉は
溜息を洩らすのを抑えられなかった。



骸と連絡が付かない。



頼みの綱であったクロームでさえ綱吉を頼るならこれは、
もしかしたら考えている以上に事態は深刻なのかもしれない。

綱吉と会うようになってから骸は、
口では言わないが大分大人しくしているようだった。
けれど今まで骸がどれほどの怨みを買っているかは想像に難くない。


何かに巻き込まれたのか、或いは。


自分の元を去ると言うなら殺すと言った骸が、自ら離れて行くとは考え難い。
けれど、もしかしたらそう思いたいだけなのかもしれない。


纏まらない思考は最悪の方向へ迷走し、いつまで経っても抜け出せない。


本当は今すぐにでも、当てなどなくても、自分で捜しに行きたいくらいだった。


犬と千種はもう日本を出たらしい。
クロームも後を追うだろう。

クロームたちが骸と綱吉の事をどこまで知っているのかは分からないが、
犬と千種が日本を出る時久し振りに顔を合わせ、言葉は交わさなかったけれどそれでも
視線を交わしただけで分かり合えたような、そんな気さえした。


深い溜息と共に机に肘を置き、両手に顔を埋めた。


いつでも見られている立場にあるから、顔色ひとつで足元を掬われる事だってあるから
内部の人間にだって弱っている所を見せてはいけない。

けれど綱吉は、取り繕うだけで精一杯になっていた。

不意に扉を叩かれて鬱々とした瞳をゆったりと上げてから
ひとつ息を吐くと背筋を伸ばしてペンを取った。

「どうぞ。」

無言で部屋に入って来たのは今でも家庭教師を名乗るアルコバレーノ、リボーンで、
リボーンは目を伏せている綱吉の目の前まで言葉もなく歩み寄った。

「骸と会ってるらしいな。」

目に見えるような殺気にも似た不機嫌を滲ませ、
それでももう長い付き合いだから無理矢理に押さえ込んでいるのが分かる。
押さえ込んでこれなら、相当不機嫌だ。

綱吉は書類を横に流しながら目を伏せてふと微笑んだ。

「随分懐かしい名前を出すね。」

ある意味で今一番聞きたくない名前を意外な人物から告げられて、
綱吉はそう返すのが精一杯だった。
微かに震えた唇に、気付いて欲しくないと思った。

「俺の所に苦情が来たぜ。」

投げ付けるように目の前に放られたケースががちゃんと音を立てた。

「・・・?何?これ。」

薄い透明のケースに収まっていたのはCDロムだった。

手には取らずに眺めるようにしてから、不思議そうにリボーンを見上げた。
リボーンは翳った目元を鋭利に滲ませ、綱吉を見下ろしていた。


「てめーの寝室の映像だ。仲良く映ってんぞ。」


ざあ、と血の気が引くのが分かった。
骸が寝室に来たのはあの雨の日の一度きり。
それならあの日の出来事がすべて、「これ」に収められていると言うのだろうか。

「な、んで、お前・・・こんな、」

愕然と目を見開き、その瞳の奥に宿ったのは強い怒りだった。

椅子を跳ね飛ばすように立ち上がりリボーンの胸倉を掴み上げるが、
リボーンは表情すら崩さすに、その腕を払い退けた。

「骸とは二度と会うな。」

華奢な体は床に打ち付けられ、それでもきつく睨み上げると
リボーンは腕を振り上げた。

殴るような動作を見せた腕はそれでも綱吉の胸倉を掴み上げるに留まり、
意外だったのはリボーンがそのまま綱吉の耳元に口を寄せ、
綱吉にしか聞こえない声で血でも吐くように告げた。

「いいか、これはてめーだけの問題じゃねーんだ・・・!
骸の事を思うなら口応えすんな・・・!」

目を見開いた綱吉の襟首を乱暴に離すと、
苛立ちを隠しもせずに転がる椅子を蹴上げた。

「分かったな・・・」

綱吉が掠れる声で分かった、と呟くと、
リボーンはロムを床に叩き付けた。

自然を装いリボーンの革靴がロムを踏み潰すと、ぱきりと小さな音が鳴った。


その亀裂の深さを見て、リボーンが怒りを向けているのは綱吉に対してではなく
ましてや骸に対してでもないのを悟った。


綱吉は滲む目を両手で覆った。


だけど不謹慎にも綱吉は安堵していた。
骸との事をひた隠しにするのはとても嫌だったから。
けれど知れ渡る事と理解して貰う事は全く別物だというのは綱吉にも分かっていた。

いつでも頭に血が上り易いリボーンは、いつでも冷静になるのも早いから
綱吉は部屋を整えてからリボーンの元へ向かった。

廊下へ出るとリボーンが壁に背中を預けて、綱吉が出て来るのを待っていた。

立ち尽くす綱吉に口の端を吊り上げ、上出来だ、と揶揄を込めた褒め言葉を吐いたから
綱吉は微かに力が抜けた。


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