二人だけで誰にも聞かれずに話しをするのなら、
リボーンの愛車の中なら間違いがない。

綱吉は少し前を歩くリボーンに付いて、大人しく助手席に収まった。


しばらく車を走らせてから、リボーンはく、と笑い声を洩らした。

「あいつらが騒いでたおめーの女の中身が骸だったとはな。」

く、く、と心底楽しそうに肩を揺らす。

「傑作だ。まんまと騙されたぜ。」

笑うリボーンを見て綱吉は、静かに目を伏せた。

何を恐れていたのだろう。
骸との事を咎められるのではないかとそればかりを考えていて
引き離されるのが恐ろしくて、何も言えないでいた。

いつでも綱吉の理解者でいてくれたこの家庭教師にでさえひた隠しにして、
酷い事をした。

それはきっと、骸に対しても。

「・・・骸とは、偶然会えて、それからずっと。」

ぽつりと呟いた綱吉に、リボーンはふうん、と鼻を鳴らした。

「偶然、ねぇ。水面下でボンゴレが総力を尽くしても影すら掴めなかったのにな。
まぁ、時期は大体分かる。おめーが浮かれ始めた頃だろ?」

「・・・自分じゃ分んないけど、そうかもしれない。」

「おめーの直感も大したもんだな。会いたかったんだろ?」

会いたかった、確かにずっと。
骸が警戒対象になっていると知ってからは尚更。

静かに頷くと、リボーンも釣られるように頷いた。

初めっからおめーに捜させてればよかったぜ、とぼやいて薄く窓を開けると
リボーンは器用に煙草に火を付けた。

骸と同じ煙草の匂いで、綱吉はふと骸の口元を思い出して目を閉じた。

「どんな形であれ、正式じゃなくても骸がボンゴレに戻って来るなら俺は大歓迎だがな。」

「・・・え?」

綱吉がぼんやりと瞼を持ち上げたので、リボーンは鼻を鳴らした。

「守護者の連中も、まぁ獄寺辺りはいい顔しねーかもしれねーが
内心では助かると思うぜ。」

「助かる・・・?」

「利害関係なく下心なしに「沢田綱吉」を守れる人間が増えりゃ、助かるんだよ。
骸くれー強けりゃ、尚更だ。」

「ごめん、ちょっと分からない・・・」

ただでさえ混沌とする頭で、リボーンの唐突な言葉は綱吉には理解出来なかった。

リボーンは銜えた煙草の煙に目を細めて顔を顰めた。

「要は、おめーの裸を見て喜んでる連中が思いの外多いって事だよ。」

「え・・・?」

「考えてもみろよ。すぐには信用出来ねーから、動向を探るっつーのはまぁ、
よくある話だ。珍しくもねー。だがわざわざ寝室選んでカメラを置くか?
下手すりゃ寝室だけじゃねーぞ。今はおめーの部屋は誰も入れねぇようになってるが
それ以前はセキュリティ甘かっただろ。何台出てくるだろうな。」

「ちょ、と・・・待って。何だよ、それ・・・」

想像を絶する言葉に、綱吉はただ愕然として訊き返すのが精一杯で
リボーンはまるで溜息のように煙を吐き出した。

「だからそういう事だよ。もちろんボンゴレと同盟すりゃ安全圏になるのは確かだが
おめーとそういう関係、になりたくて近付いてくる連中がいるのも確かだ。」

ぞわ、と鳥肌が立った。

動向を探られているのは気付いていたし、仕掛けた人間が誰なのかも大体把握していて
その人間全員ではないにしろ、少しでも自分をそういう目で見ている人間がいるという事実に絶句した。

「みんな、気付いてた、のか・・・?」

「傍にくっついて見てりゃ分かるだろ。」

気付いていなかったのは自分だけだったのかと、その事実にも呆然とした。

確かに幹部の守護者には同盟を解除した方がいいと何度も何度も言われていた。
こうして証拠を突き付けられなければ、何を言われてもそんな筈ないよと笑い飛ばしていただろう。


盗聴器の事は誰にも言ってなかった、リボーンにでさえ。


心配掛けまいとして。
けれどこれでは信用してないのと同じじゃないか。


いつからか、言葉が足りなくなっていたように思う。

「辛気くせー顔すんじゃねぇよ。」

「分かってる・・・でも今は、誰もいないからいいだろ・・・」

リボーンは揶揄するように眉を持ち上げた。

こうして素直に甘える事さえしなくなっていた。

頼ってはいけないと、弱い所は見せては駄目だと、
当たり前の事だが、履き違えていた。


綱吉は酷い自己嫌悪に、両手で顔を覆った。


「連中はおめーの相手が骸で万々歳だと思うぜ。」

「何で・・・?」

「おめーを一人占めする邪魔な奴がボンゴレの警戒対象なら、正当な理由で消せるからな。
内部の人間だったら迂闊に手は出せねーからな。」

「む、くろと連絡が付かない・・・」

ああそれで城島たちが落ち着きなかったのか、とリボーンは呟いた。

「まぁ、ボンゴレでも見つけ出せないような奴だから、二流の連中に見つけ出せるとは思ねーがな。
ただ煩わしさが増えて骸はイラついてるかもしれねぇが。」

くく、とリボーンが楽しそうに笑うものだから、
綱吉も些か気が抜けて少しだけ口元を緩めた。

「それでどうすんだ、骸は。」

「・・・ボンゴレに、戻ってくれるように話してみる。」

「おめーが開き直ったら、連中が何言ってくるか分んねーぞ。
ボンゴレ十代目は愛人をはべらせてるって言い出すかもな。」

「・・・構わない。」

「愛人、何て生温い表現はしねーかもしれねぇぞ。」

「構わないよ。それでも一人で危険な目には遭わせられない。」

「骸はどうだろうな。大嫌いなマフィアにそんな事言われたら、相当な屈辱だぞ。」

綱吉は言葉を詰めてから、それでも小さく頷いた。

「それでも、傍にいられれば守れるから。」

「抑えてやれるのか?」

「俺が骸を守る。」

誓いにも似た声で呟いて、綱吉はまた顔を伏せた。

骸に会いたい。

今はただ、どうしようもなく、会いたい。

「城島たちには俺から連絡入れる。違う名目で動いてるようにしておけば
あいつらも戻って来れるだろ。」

「・・・うん。頼むね。・・・それより先に、警戒対象から外せない?」

赤信号で停止していた車がゆったりと発進していく。
リボーンはひとつ瞬きをしてから煙草の灰を落とした。

「マフィア潰し、アイツがしてるって?」

「・・・それ、は訊いてない・・・」

「まぁ、アイツだろうな。お陰でボンゴレは抗争知らずだ。」

「・・・うん、でも、」

「そうだな。おめーと会うようになってからはやってねぇみてーだな。
骸がボンゴレに手を出さないのは、城島たち、人質がいるからだと影ではみんな思ってる。
俺だって今日の今日までそう思ってた。
骸がまさかボンゴレ十代目のためにそんな事をしてるとは誰も思わねぇよ。」

綱吉は戸惑いがちに瞳を彷徨わせた。

「・・・でもそれは骸に訊かなきゃ分からない事だし、」

そうなんだよ、とリボーンは苦々しく吐き出した。

「だから骸が実はボンゴレ十代目のためにやってました、って宣言すりゃあ、
都合の悪ぃ事はぜんぶ揉み消して、骸はボンゴレに戻れるんだよ。」

「・・・嘘でもそんな事言うと思う?」

「言わねーだろうな。」

「じゃあ言うなよ。」

同時に深い溜息を吐いた。

「殲滅じゃなくて痛い目に遭わせるくらいにしといてやれって言っとけよ。
じゃなきゃ永久に警戒対象だぞ。」

うん、と微笑んだ綱吉の横腹を、運転席から伸びて来た長い足が容赦なく蹴った。

「いった!!」

体を傾けた綱吉のこめかみにひやりとした銃口が突き付けられて
同じくらいひやりと鋭利な目をしたリボーンが舌打ちをした。

「惚気てんじゃねーよ。」

「惚気てねーよ・・・!」

蹴った際に蛇行した車に後続車がクラクションを鳴らしたので
リボーンは窓を下ろすと体を乗り出して腕を伸ばし、後続車に銃口を向けた。

「うわ、馬鹿・・・!止めろよ・・・!!」

「煩ぇな。」

ち、と舌打ちをしてダッシュボードに銃を放ったので、綱吉は慌てて見えない所に隠した。

「日本の警察もボンゴレの配下だからいいんだよ。俺は顔パスだ。」

「馬鹿・・・!悪用すんなよ・・・!!」

「三台後ろの車。」

「え?」

振り返ろうとして振り向くなよ、と釘を刺されたのでバックミラーで見ると
何の変哲もない乗用車だった。

「噂の同盟ファミリーの奴だぜ。見た顔がある。」

リボーンは一度見た人間の顔は忘れない。
職業柄だ、とは言うが驚かされる事も多い。

「おめーが骸と会う所を抑える気なんじゃねーの。」

「・・・でも何で、俺なんだろう・・・」

「男好きする顔なんじゃねぇのか。」

「なぁ・・・っ!」

顔を青褪めさせた綱吉に、くく、と笑う。

「この世界にどっぷり浸かって汚ぇものしか見てない奴には、
おめーのその平凡な感覚が新鮮なんじゃねーのか。救いを求めるっつーかな。
だから余計に執着しちまう。」

他人事のように聞いていた綱吉はふと目を伏せた。

「・・・よく、分かんないや。」

「あ?簡単だろ。骸が一杯いると思えばいい。」

「な、何で骸が出てくるんだよ・・・」

微かに頬を染めた綱吉が抗議めいて呟いたから
リボーンは帽子の陰で切れ長の目を伏せた。

「・・・本気で言ってんのか?」

「え?」

不思議そうな顔をした綱吉は流れていく景色に目を見開くと、
食い入るようにして外の景色を目で追った。

「リボーン、止めて!」

真後ろへ流れて消えた景色を追うように綱吉は体を捻ってシートに乗り上げた。

「あ?こんなど真ん中じゃ無理だ。」

一蹴されても綱吉は怯まずにただ後方を真っ直ぐに見詰めていた。

「いいから、早く!」

むくろ、と小さな口が呟いた。

リボーンは片眉を上げると、急ハンドルを切った。

「うわ!」

「舌噛まないようにしとけ。」

車は後方へ向かって急発進した。
きゅるきゅるとタイヤが悲鳴を上げる。

「な、なに・・・!?」

「舌噛むなよ。」

調度三台前にいた乗用車の前に急ハンドルで滑り込み、一瞬スピードを落とすと
けたたましい音と衝撃で、車体がクラッシュした。

リボーンは平然とハンドルを切って乱暴に車体を歩道へ寄せた。

「お前・・・!」

「ついでだ、ついで。」

前方で無残に歪んだ乗用車が煙を上げている。

「死んではねーよ。あんまり調子付かせるのも胸糞悪ぃからな。
ほら、さっさと行けよ。」

戸惑いがちに瞳を彷徨わせてから、綱吉はドアに手を掛けた。

「ツナ。」

駆け出し掛けた綱吉は、体ごとリボーンに振り向いた。

「今度会わせろよ。俺の前でイチャついたら風穴開けるが、冷やかすくれーはしてやるよ。」

綱吉は大きく瞬きをしてから、柔らかく笑った。

「いつもありがとう、リボーン。」

「気持ち悪ぃな。」

くす、と笑って駆け出した綱吉の背をバックミラーで見遣りながら
リボーンは煙草を燻らせた。

(・・・なるほど。)


本能は同じ大きさのもは恐れない。


それなら骸の執着と綱吉のそれは、同じ強さなのだろう。

骸の綱吉に対する異常なまでの執着が、まさか苛烈な慕情からくるものだとは思わなかったし
綱吉が骸に想いを寄せていたなんて、誰が気付いただろう。

(俺もまだまだだな・・・)

遠くのサイレンの音を聞きながら口の端を吊り上げてリボーンは、
灰皿に煙草を押し付けた。



綱吉はただ走った。

追い付いた背中は綱吉より小さく、パーカーのフードを深く被っている今どきの少年だった。

それでも綱吉は少年の肩を掴んだ。
驚いて振り返った少年は、綱吉の知らない顔だった。

骸、と綱吉は声に出さずに呟いた。

少年はふと口元を緩めた。

「やはりあなたには分かってしまうようですね。」

一度瞬きをした瞳は、待ちわびたオッドアイに変わり
綱吉は瞳を揺らして泣き出しそうな顔で口元を緩めた。

けれど、その表情はすぐに険しくなった。

「お前は・・・!!今までどこにいたんだよ・・・!!
みんな心配してたんだからな!俺だって・・・っ」

声を詰めた綱吉に、少年の姿のままの骸は
目を見張ってから大きく瞬きをし小さく笑った。

「みっともないからこんな所で泣かないで貰えますか。」

綱吉は子供のように顔を顰めて涙を零していて、
骸の声に乱暴に顔を拭った。

「・・・お前が悪い!・・・!」

顔から離れた涙に濡れた手を、パーカーから覗いた幼い手が握った。

そのまま綱吉の手を引いて歩き出す。

幼く冷たい手は、形も大きさも違うけれどそれでも間違いなく骸の手だった。

綱吉の目がまたじわりと滲んだ。

「どこにいたか、と言うのなら日本にいましたよ。」

「・・・え?」

「少々煩わしい事があったので一切姿を消していましたが、」

日本にいればあなたが僕を見付けると思って、と骸は前を向いたまま淡々と言った。

見開いた大きな目から、涙が零れた。

零れた涙をそのままに手を握り返すと、骸が少し振り向いた。

本当は今すぐにでもその姿を確かめて、抱き締めたかった。

けれどそんな事をしている場合ではないのだ。

「・・・俺の家、ここから近いんだ。行こう。」

些か驚いたような表情をした骸の手を、今度は綱吉が引いて走り出した。


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