骸には結局玄関までおんぶして貰った。どうもすみません。

ぴかぴかに磨かれた玄関や廊下に砂がぼろぼろと落ちていくのを申し訳なく思いながら、玄関から一番近い父親のバスルームを借りた。

申し訳なくて一応謝ったのだが、何でも家政婦とは別にハウスクリーニングなるものをお雇いになっているそうで、汚しても問題ないと言われて安心した反面投げ遣りな気持ちにもなった。

温かいお湯にほっとして清々しい気持ちでリビングに行くと、朝食が届いていた。
朝の柔らかい光の中で、美しく盛り付けられた朝食が温か味のある光を乗せている。

本当にこんな贅沢な体験していいのかなとか、もしかしたら自分はもう死んでいて実はここは天国なんじゃないかとか思った。
思ったけどぼへっと突っ立っていたところを骸に容赦なく叩かれ(邪魔だったらしい)痛みに現実だと思い知った。

仕返しに骸の襟足を掴みながら席に着くと、スクランブルエッグの乗った皿の横に真っ黒な物体があった。
何だろう、と鼻先を寄せると、背伸びした凪がテーブルの隅から瞳を覗かせているのに気付いた。

「私が焼いたの」

「オレのために?」

こくんと凪が頷く。
嬉しく思いながら視線をまた真っ黒な物体に移すが、真っ黒だとしか分からない。

鼻先を寄せると焦げた匂いしかしないので、ちらと隣の骸の皿を見ると、同じ場所にはパンが乗っていた。


「パ、ン」

思わず呟くと凪が瞳をキラキラさせて頷いた。
これは最早パンというより炭に近い。そっと指先で触れてみると、指の腹が黒くなった。

「食べてやってください。凪が自らそういう事をするのは珍しいんですよ」

声こそ真摯に言っているが目がニヤニヤしている。綱吉は思わずくそと呟いた。

「骸様のも焼きます」

「大丈夫ですよ、凪。早く支度しないとバスに遅れますよ」

凪ははいと素直に頷いて綱吉の正面にちょこんと座ってフォークを持った。食事を進めながらも綱吉が炭もとい自分が焼いたパンを口にするのを心待ちにしている。

綱吉はそんな凪の期待に応えんがために意を決した。

おもむろに炭もとい凪が焼いたパンを手に取って一気に齧った。じゃりとばりの間のような音が響いて口の中の水分が一気に奪われ、残ったのは痺れだった。苦過ぎると痺れることを初めて知った。

けれど吐き出す訳にはいかないので白い歯で黒いパンをもりもり食べる。凪が嬉しそうなのでとても良かったと思った。

「美味しいよ、凪ちゃん。でもオレはもうちょっと生焼けの方が好きだな」

口の周りに炭をつけながら綱吉が言うと、凪は嬉しそうに足を揺らしながらうんと頷いた。

「骸も食べてみろよ。せっかく凪ちゃんが焼いたんだからさ」

黒くなった歯の隙間を見せて笑いながら、綱吉は残りの炭を骸の手に託した。骸はひくりと睫毛を揺らす。

いえ僕はと言い掛けた骸を、凪がじっと見ている。じっと、見ている。
骸は綱吉にしか聞こえない程度の声でくそ覚えてろと言うと、炭を、食べた。

赤い唇からぼろぼろと炭を落としながら凪ににこにこと笑って見せる。その辺りのシスコン根性は見上げたものだ。そう思って自分も同じことしたのを思い出して綱吉は複雑な気持ちになった。

テーブルの下では綱吉と骸の足の踏み合いが盛んに行われている。

「美味しいですよ。まぁ僕ももう少し生焼けの方が好みかもしれません」

爽やかに言って笑う歯の隙間が黒くなっていて、綱吉が思わずぶっと吹き出すと骸が睫毛の下から睨んだ。
そんな二人のやり取りを、凪は嬉しそうに見る。

凪は普通の公立幼稚園に通っているらしい。だから家の近くまで来るスクールバスに乗って幼稚園まで行く。
あまり特別扱いされることに慣れさせたくないとの教育方針からだそうだ。

綱吉はてっきり骸が毎日車で送り迎えして、近寄る男児に大人気なく睨みを利かせたり怒鳴り散らかしたりしていると思ったので、両親の意向が強いとしても垣間見た常識人な部分に大層戸惑ったのも事実。

「過保護が過ぎるのはよくありませんからね」と、とっくに過保護が過ぎている骸が精悍な顔つきで言うのはまるで説得力がなく、更に歯に黒い物が付いているので綱吉はへらっと笑った。


笑ったらやっぱり頬を摘み上げられた。
 


大変騒々しい朝の光景の中でも、シンプルなのに味がとてもいい朝食に感動しながらもちろん全部頂いて、骸は凪をバス停まで連れて行った。バス停は坂を下り切った所らしい。きっと坂の下では骸の登場をそわそわと待つお母様方がいるのだろうなぁと何となく思った。

パソコンを借りて仕事を探そうかと思い始めていたところに骸が凪を送って帰って来た。

「なあ、皿って洗った方がいい?」

テーブルの上の皿は一応キッチンに運んだのだが、勝手にいじるのも気後れするほど綺麗だったので骸に確認してみる。
骸は緩く眉を持ち上げると「別にいいですよ」とあっさり言ったので、綱吉は安心してほっと息を吐いた。

「オレ不器用だから割ったら申し訳ないし、前に皿を洗っててボヤ起こしたからちょっと怖かったんだよね」

「…っ!?」

骸は言葉も出ないと言った表情で目を剥いて、綱吉を凝視した。

「皿洗いでボヤってどういうことですか…!?」

「う〜ん、オレもよく分かんないんだよね。気付いたら燃えてたっていうか」

「自然発火!?」

「あ、でも目玉焼き作ろうと思ってボヤ起こしたのはコンロの火のせいだな」

「何回ボヤ起こしてるんですか!?しかも目玉焼きって!」

「えっと」

指を折って数え始めた綱吉を強引に止めて骸は些か疲れた顔ではっきりと言った。

「絶対キッチンに入らないでください」

この件に関しては綱吉に異論はなかったので素直に頷いた。こんな大層なお家を燃やしてしまったら絶対弁償なんて出来ない。

止められた指を元に戻してパソコンを借りていいか尋ねようと思って顔を上げると、もうすでに綱吉見ていた骸と目が合った。

些か驚いたのだが、骸がすぐに言葉を掛けてきたのでうやむやになった。

「君、暇ですよね」

「うん、思いっ切りな」


「だったら出て来なさい」

胡散臭いくらいにこっと笑った骸の歯にはまだ炭が付いていた。
突っ込んだら「君もですよ」とあっさり言われたので何も言えなくなった。



そんな骸から手渡されたのは一万円札で、集合場所は観光地でも有名な港町だった。ここからなら電車で30分程度で行ける。
骸は一限に出席した後しばらく時間があるらしく、集合を掛けられたのだ。

どんなに訊いても何をするのかまるで教えてくれないので、もやもやしている。

(何するんだろ…)

綱吉は何だか落ち着かなくてリビングをうろうろした。

一度立ち止まって時計を見て、またうろうろし始めた。

そんな自分に我に返ってテレビでも見ようと電源を点けた。平日の午前中の番組は見慣れないものばかりで新鮮で、でもまったく頭に入って来ない。


理由は分からないけどそわそわするのだ。


時計を見てもやっと二分過ぎただけで、秒針は気が遠くなるほど遅いように思えてしまう。

(…そういえば、夜景きれいってよく聞くなぁ…)

港町は夜景も綺麗でデートスポットとしても有名だ。けれどもその考えに至って、綱吉は慌てて首を振った。

(や、別に昼間だしデートとか別に関係ないし…!)

綱吉はまた歩き出して時計を見たが、さっきから一分しか経ってない。

テレビから笑い声が聞こえるけど、綱吉に耳は届かない。リビングの中を何往復かした後、綱吉は遂に家を出ることにした。
今出発したら指定された場所には1時間くらい早く着いてしまうが、どうしても落ち着かないのだ。

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