性描写アリ
(…落ちた)
綱吉はがっくりと項垂れ足を引き摺るように来た道を戻る。
頭上で低く垂れ込める灰色の雲が一層気分を沈ませて、曇り空の下の海も寂しげに見える。
綱吉はまた溜息を落とした。白い息が尾を引く。
まさかその場でバイトを断られると思っていなかったのでショックを隠し切れない。先方さんが言うにはもうちょっと若い人がいいらしい。
(…それならそうやって募集してくれればいいのに)
でも理由はそれだけではないだろうけど。何で前の会社を退職したのか訊かれて答えられなかった。死ぬつもりで辞めました、なんて到底言えない。咄嗟にいい理由も見付からず、綱吉は物言わぬ石のようになってしまった。
まあ、怪しいと思う。仕方ない。店長の怪訝な顔と履歴書を二度見されたことしか覚えていない。二度見されるような経歴ではないので、きっと年齢のところか性別のところで引っ掛かったのだろう。
年齢であることを願う。
坂道をのろのろと上って行くと、空よりも濃い灰色のアスファルトにぽつりぽつりと染みが出来てすぐに消えた。
ふと視線を上げると頬にぽつりと雨粒が落ちてきて、綱吉はぱちと目を瞬かせ正気に返った。
(降られる前に帰ろう)
慌てて坂道を上る。
冷えた空気は体温を奪っていく。綱吉は睫毛を揺らした。
(雪になるかな…)
雪は、苦手だった。
門を潜って玄関の軒下に飛び込むと雨は勢いを増した。さあと雨の落ちる音が響き始める。
綱吉はほっと息を吐いて水滴を払うと玄関を開けた。家の中には灯りが点いていて、クラシックの音楽と一緒に珈琲のいい香りがした。
ぱちりと瞬きをして突っ立っていると、リビングから骸がちらりと顔を覗かせてすぐに戻って行ったので、綱吉は目を丸くして慌てるように家に駆け込んだ。
「あれ!?学校は!?」
てっきり暗い家の中に帰ると思っていたから、灯りが点いていたことも骸がいたことも素直に嬉しくて鬱々とした気持ちが少し晴れた。
骸はダイニングテーブルに置いたカップに珈琲を注いでいて、視線をそこに注いだままやる気のない声で言った。
「何か雨降りそうなんですよね〜」
「へ?ああ、もう本降りになってるぞ。もしかしたら雪になる…」
窓の外に視線を向けていた綱吉ははたと瞬きをした。
「まさかお前そんな理由で休んだのか!?」
「別にどうでもいいでしょう」
「よくないよ!昨日教授が心配して電話かけてきたのに!」
「君が話しを合わせてくれたお陰で僕はきっと体調不良と思われてるでしょうね」
そんなつもりじゃなかったのに!と憤慨している綱吉に、骸は「それで?」としれっと言った。
「面接はどうだったんですか?」
途端にうっと言葉を詰まらせた綱吉は、ぺちゃんと床に腰を落とした。
「だ、駄目だった…その場で断られちゃったよ…」
骸はやれやれと大袈裟意溜息を吐いた。
「何してるんですか。ちゃんと働いてくださいよ」
綱吉はまたう、と言葉を詰まらせると膝を抱えてそこに顔を埋めると、蝿でも追い払うように大きく手を振った。
「う、煩い!!それ以上何も言うな!!これでも落ち込んでるんだからな…!」
裸足の骸が歩み寄ってくるのが分かって綱吉は尚も手を振る。その手を蝿のように叩き落して、テーブルに珈琲を置いた骸はしゃがむとおもむろに綱吉の髪を掴み上げ引っ張り顔を上げさせた。
瞼を半分落として綱吉の目を正面から見遣る。
「何を、しているのですか」
綱吉はがあんと目を見開く。
「そ、そんな活舌よく言わなくたって…!」
骸はふんと鼻で笑うと立ち上がった。
「どうせ間抜けな顔でもしてたんでしょ」
否定出来ない。綱吉はくそ、と呟くと失意の中でもちゃんと駅前で買ってきた求人誌を鞄から取り出してテーブルの上に置き、勢いよく開いた。
「絶対見付けるからな…!吠え面かくなよ!」
馬鹿じゃないですかと背中越しにあっさり言われ、くそとまた呟く。
「…」
けれどまあ元気は出た。腫れ物に触るように慰められるより、自分ははっきり言われた方がやる気が出るのかもしれない。
綱吉はちらと骸を見遣る。骸は自分の分の珈琲をカップに注いでいる。
「…ありがとな」
骸が目だけでちらと綱吉を見ると、綱吉は居心地悪そうに頬を掻いてテーブルの上に置かれた珈琲に視線を滑らせた。
「こ、珈琲のことだよ…」
もごもご言っている内に骸が歩み寄って来て、綱吉の斜め前辺りに腰を下ろした。雨の音が聞こえるほどに雨脚が強くなっていた。
綱吉が目のやり場に困って手元に視線を落とすと、骸が求人誌を閉じた。嫌がらせはいつものことなので開き直すと、骸がまた閉じた。
綱吉が開くと骸が閉じて、骸が閉じると綱吉が開いて、不毛で静かな攻防を繰り広げていると、骸がばたんと大きな音で表紙を閉じて、珈琲を口に含んだ。
「働かなくてもいいんじゃないですか」
「何!?情緒不安定!?」
骸はしれっと珈琲を飲んでいる。働けと言ったり働かなくていいって言ったり何なんだ、とぶつぶつ言いながら表紙を開くとまた骸に閉じられた。
「お前なぁ…オレは骸にお金借りてるし、無収入じゃここも出て行けないだろ?」
綱吉が呆れ半分で諭すように言うと、骸はぽいっと求人誌を投げた。
「何なんだよ!?」
骸はテーブルにカップを置くと頬杖を突き、綱吉をしげしげと見詰めた。
「な、何だよ…?」
「じゃあ体で払ってくださいよ」
「え?体で払うって言ったって家政婦さんいるんじゃ………」
言いながら違和感を覚えてあるひとつの答えに至ったとき、綱吉はみるみる目を見開いていき、その視界の中で骸がにっこり笑った。
「お…おま…おおお…おま…!」
体の中から熱が競り上がってきて顔を熱く沸騰させる。言葉なんて出てきやしない。骸は妙な音しか出せなくなった綱吉に緩く笑う。
「何本気にしてるんですか。君相手に勃つ訳ないでしょう」
瞼を半分落として完全に馬鹿にし切った笑みを浮かべて骸が言った。
綱吉は殴られたような精神的ショックを受け再びがあんと目を見開いた。言葉があからさまだった分、余計に。
いや、この場合骸の言い分が正しい。自分だって男相手にそんな状態になるのかと言ったらないと言い切れる。
けれど綱吉はショックを受けた。
そしてその後ふつふつと怒りが沸いていた。
だから、馬鹿にした笑みを浮かべたまま立ち上がろうとした骸に飛び掛った。骸は勢い余って綱吉に押し倒されるような形になり、綱吉は勝ったと言わんばかりに骸に馬乗りになるとその肩をぐいっと押え付けた。
綱吉の下で骸は大きく目を開いた。
綱吉は怒りに身を投じ、とんでもないことを口走る。
「た、勃せてやるよ」
綱吉の影の中でみるみる目を見開いていった骸はもう開かないんじゃないかというところまできて瞳を揺らすと、ぐふ、と吹き出した。
品のない音が出たのはきっと可笑し過ぎたのだろう。綱吉が腹の上に乗っているのにも関わらず体を捻って大笑い。
その反動で綱吉は床にぺちゃっと落ちて腹を抱えて涙を浮かべながら大笑いする骸を呆然と見ていた。ありえない!と言って骸はまた吹き出して笑う。
ひとしきり笑った骸はあ〜あと笑いを引き摺った声を漏らして涙を拭ってむくりと体を起こし、呆然としている綱吉を見てまた吹き出した。
「は〜…こんなに笑ったの久し振りですよ。身の程を弁えてくださいね。どうしたって君には無理です」
言うだけ言って骸はすたすたと二階へ上がって行ってしまった。その背中を綱吉は呆然と見送る。
いくらなんでもあんまりじゃないか。先に言い出したのは骸だし、何かよく分からないけど凄く傷付いたし、置き去りだし。綱吉は一瞬目を潤ませたが、すぐにじわじわと怒りが沸いてきた。どうやら骸相手だと闘争心が沸くらしい。
そして綱吉は意を決した。
その後骸と一緒に凪を迎えに行っている間にも夕飯を食べている間にも、綱吉は虎視眈々と狙い澄ましていた。骸に何見てるんですかと呆れ声で言われても、綱吉は獣みたいに憮然とした目で骸をじろじろと見ている。
そして今ではすっかり気に入って使っている父親のバスルームで上着を脱いだ綱吉は、鏡に映った自分の体をしげしげと見た。
男にしては色が白いと思うけど、それだけだ。胸がある訳でもなし、女性らしい体のラインがある訳でもなし、映っているのは華奢で平たい体だけ。
しゅんと眉尻を下げた自分の顔が映ってはっとしてわざと強気な表情を作り、下着に足を縺れさせながらバスルームに駆け込んだ。
バスルームからあちい!と叫び声が聞こえてきて、リビングにいた骸は怪訝な顔で首を傾げた。
「何か変ですよね」
リビングで求人誌を逆さに見ていた綱吉は声を掛けられて慌てて求人誌を落としそうになった。骸は瞼を半分落とし、じとっと綱吉を見ると、綱吉は気まずそうにふいと目を逸らす。
「…別に変じゃないけど…」
「…」
まるで納得していないように綱吉をじろじろと見るが綱吉が何も言わずに目を逸らしたままなので骸は立ち上がり、ふと視線を落とした。
「…来ないんですか?」
「へ!?あ、後で行く…」
いつもリビングで一人になるのが嫌で骸が部屋に戻るとくっ付いて行くのにそんなことを言うものだから、骸はますます怪訝に眉根を寄せる。
骸の疑いの眼差しに口笛を吹くと言う誤魔化しになっていない誤魔化しをすると、骸は不意に顔を逸らした。ほっとしたのだが、リビングの入り口で骸は一度立ち止まると振り返りもせずに呟いた。
「…どこか行くならちゃんと声掛けてからにしてくださいね」
「え!?う、うん…?」
綱吉からしてみたら予想もしていなかった言葉が掛かって慌てて頷いてみたものの、言葉の真意が分からなかった。それでも骸は二階に上がって行って、綱吉は今自分の中の計画で頭が一杯だったため、それ以上は何も考えられなかった。
一人だからそわそわするよりも、もっと他のことでそわそわしている。時間が経つのが異常に遅い。そういえば昨日もそうだったなと思い出して慌てて思考から追い出した。
落ち付かなくてやっぱり骸の部屋に向かった。
何度か躊躇った後にドアをノックすると勢いよく扉が開いて骸が憮然と見下ろしてくる。綱吉はびくっとしたがお邪魔しま〜すとか細い声を出して骸の横を擦りぬけると、いつもと同じ場所に腰を下ろす。
骸は何か言いたげにするものの結局何も言わずに絵を描き進めていた。綱吉はそわそわと落ち着きなくしていたが、骸も綱吉も言葉少なかったので、結局うとうとしてそのまま寝てしまう。
それでも落ち着かない気持ちではっと意識を引き戻すとまだ夜も深く、部屋は淡い光とまだ降り止まない雨の音に沈んでいた。
薄い闇の中でぱちりと瞬きをして部屋の中に視線を這わせると、ソファで横になっている骸が見えてほっとした。ほっとしたらまた緩やかに鼓動が速まる。綱吉は息を飲んで気休めに胸を撫でた。
そろそろと足音を忍ばせて骸に近付くと、骸はすっかり寝入っているようで小さな寝息を立てていた。
「…」
綱吉は眠っている骸を見下ろして息を飲み呼吸を整える。骸が寝返りを打ったので体を跳ね上げ慌ててしゃがむ。頭を抱えて小さく丸まるが、骸が起きる気配がないので、気を取り直して顔を上げた。
上げたらすぐそこに骸の寝顔があって思わず叫びそうになったが何とか堪える。
「…」
静かな雨の音がする。自分の心臓の音がやけに煩くて、頬が熱い。きっと、赤くなっている。
ドキドキと胸を震わせながら、綱吉は息を止め、そっと唇を寄せた。
骸の吐息が鼻先にかかり、綱吉ははっと我に返った。
(いやいやいやいやいや)
床に額を付けて大きく頭を振って気を取り直すと、綱吉はきゅっと眉を持ち上げた。
絶対勃たせてやる。
綱吉の目標はそこだったのでキスする必要なんてないのだ。自分に言い聞かせ、キスしようとしてしまった事実を忘れようと努めた。
(…やっぱりオレ変だ…)
自覚はある。頬を真っ赤にして骸の唇から視線を外し、けれど絶対勃たせてやるとの目標は醒めることなく綱吉はよし、と気合を入れ直す。
どうやるかなんて分からないけど、馬鹿にされたままじゃ気持ちが収まらない。よし、ともう一度頷いて深呼吸をする。
鼓動の早さに視界さえ震わせながら、綱吉は、静かに骸の下穿きに手を掛けた。また大きく深呼吸をする。
胸を震わせて一気に下穿きをずらすと引き返せないと言い聞かせ、色気もなく骸のそれを一気に口に含んだ。
下腹部の違和感にぱちりと目を開けた骸は、ふわふわと蠢く淡い色の髪に気付いて目を見開く前に勢いよく体を起こした。
「何してるんだ…!!」
じゅ、と吸われて切なげに柳眉を顰めた骸だったがすぐに綱吉の髪を掴み上げた。
「止めなさい…!気でも狂ったか!」
ぐいぐいと容赦なく髪を引っ張られても尚綱吉は意地になって吸い、そして骸の腕を掴むときっと睨み上げた。
「だめ!!」
何が駄目なのか自分でもまるで分からないが骸の力が緩んだのでまた吸い付いた。
ぎゅっと目を閉じて瞼の下の暗闇の中で綱吉は懸命に舌を這わせた。口の中に含めば唾液の音がして一生懸命舐める。いや、舐めるなんて可愛らしいものではない。飢えた獣が餌を求めるようにむしゃぶりついている。それくらい綱吉は必死だった。
唇を濡らした唾液はやがて骸のを伝ってそれに添えている綱吉自身の手をも濡らした。
そんなのは気にもならずに愛撫を続ければ骸のそれは着実に形を変えていって、口に含み切れなくなった。
そこで綱吉は大変に満たされた気持ちになった。
オレにだって無理じゃないじゃないかとどこか誇らしげに思ってふと我に返った。
それで?
骸のそれは口一杯で鼻でする呼吸は熱くて思考が混濁する。この先どうするのか考えてもいなかったし、考えられる心境でもない。
(…だ、出させる…?)
思ってかあと体を熱くして薄ら目を開いてしまって、視界に入った濡れて光るその光景の卑猥さに思わずまたぎゅっと目を閉じる。
落ち着きを取り戻せない鼓動にくらくらし始めた。気付けば骸は完全に抵抗をしていない。時折濡れた吐息を耐える気配がして、その度に綱吉は胸を震わせた。
どうしたらこういう状態になるのかは自分も知っている。だって同じ男だから。
骸は自分の愛撫に反応しているのだ。そう思えば胸の奥がきゅうと痛くなった。
ぴちゃ、と濡れた音がして綱吉は真っ赤な頬に泣き出しそうな顔で唇を外すと、消え入りそうな声を漏らした。
「むくろぉ…」
意味も分からず泣きたい気持ちになって名前を呼んだら、突然顔を掬い上げられ引き上げられるままに体を伸ばすと、伸び切った先でキスが待っていた。