「な、凪ちゃん、あんな事言っちゃだめだよ!」
「どうして?だってツナ君がお兄ちゃんになるの嬉しいんだもん」
「凪ちゃん…」
珍しく拗ねた口振りで紡がれた言葉にじーんと感動を覚えたが、すぐにはっと我に返る。
これが男女間の話だったらまったく問題ないのだが「オレ男だから骸と結婚は出来ないよ!」
「そんなことない」
「や、でもさ、ほら世間体とかあると思うんだ。凪ちゃん家は特に立派なお家だし」
「引っ越せばいい」
「そういう問題じゃないって…!」
「だって、ツナ君と骸様は恋人なんでしょ?恋人同士が結婚するのは自然」
どきりとした。綱吉は骸のことが好きだけど、骸が自分を好きかは分からない。骸は口は悪いけど、優しいのは知っている。時折見せる柔らかな気遣いに、もしかしたら骸もなんて夢みたいに思うこともあるけど、口に出してしまえば今の関係が壊れてしまいそうで不安だった。勝手に恋人気取りでいたら、それこそ迷惑になる。
「ツナ君?」
凪が心配そうに顔を覗き込んでいる。きっと酷く情けない顔をしていたのだろう。綱吉はすぐに笑って、いつの間にか辿り着いていた家の門に手を掛けた。
「オレと骸は恋人なんかじゃないよ。ただの、友達」
はっきりと言えば凪の大きな目がうるうると滲み、泣きだしそうに俯いた。
「わ、わ、ごめん…!泣かないで…!」
慌てて凪の背中を擦ると、視界の中に腕が伸びてきて門を押した。ゆっくりと開いていく静かな音の中で骸が門を通り越した。
「え…!?あ、え!骸…!?今日早かったんだな!」
突然の骸の出現にも激しく動揺したが、骸は綱吉に緩く視線を投げただけでそのまま家の中に入って行った。
心がひんやりとして目を見開いて動きを止めるが、抱き上げている凪がくすんと鼻を啜ったので慌ててまた背中を擦った。
凪を何とか泣き止ませて一緒にリビングで遊んでいると凪は少し元気になった。ほっとして綱吉は二階を見上げた。
さっきの骸の冷たい目を思い出して胸がずきんと痛くなった。
「…ちょっと骸のところ行ってくるね」
凪がまたキラキラと期待を込めた目で見詰めてくるので綱吉はえへへとだらしなく笑って逃げるように階段を駆け上がった。
ドアの前で深呼吸してノックする。
「むくろ」
こそっと呼びかけてみるが返事がない。
「…、あのさ、さっき凪ちゃん泣かせちゃってごめん…」
返事がないのでシャワーでも浴びているのかとノブに手を掛けると勢い良く扉が開いた。
「わ!」
けれどそこにいた骸は凪をいじめたと罵るような骸ではなくて、冷たい目をした骸だった。綱吉は目を見張って息を詰めた。
「課題が終わらないので入って来ないでくれますか」
「あ…」
綱吉の返事を待たずに扉が閉められて、綱吉はその場に佇んだままだった。
夕飯時になっても骸は部屋から降りて来ず、凪が呼びに行っても部屋から出て来なかった。
綱吉は悲しい気持ちが強くなっていってしょぼんと眉尻を下げた。
(…なんだろう…凪ちゃん泣かせちゃったからかな…)
凪を寝かしつけてから、リビングでぼんやりと膝を抱える。
静かな家の中が妙に広く感じて、取り残されたように寒くて寂しかった。小さく丸まるように膝を抱え直す。
かちゃりと小さな音が響いてはっとして振り向くと骸がいて、けれど骸は睫毛を伏せたままで綱吉の方を見ようとしなかった。
またちくりと、胸が痛む。
「…どうしたんだよ?」
ほんの少し泣き出しそうな気持ちで綱吉はか細い声を出した。骸は何も言わずに踵を返すが、微かに振り返った。けれど泣き出しそうな綱吉には睫毛の先しか見えない。
「…もし君が僕の言った事を真に受けているのだとしたら」
「え…?」
何の事か分からずに思わず声を漏らすと、骸はとうとう綱吉に背を向けた。
「体で払えと言った僕の言葉を真に受けて僕と寝ているのだとしたら、他の人間の所に行って貰えませんか。僕は君を買っているつもりはありませんので」
綱吉は目を見開いた。瞬時に体の血液が足元へと下がって、冷たくなっていくのは体だけではなくて心もだった。
震え出した指先に綱吉は見開いた潤んだ目を泣き出しそうに細めた。
まさか、そんな風に思っていたなんて。
「好きでもない人とそんな事しない!!」
ありったけの声で叫ぶように言えば、滲んだ視界の中で骸が驚いたように振り返る。
深い悲しみは怒りにも似て、綱吉は歯を食い縛った。
「馬鹿に、するな…!!」
吐き出すように言って駆け出した。名前を呼ばれた気がしたけど綱吉は振り向かなかった。
コートも着ないでそのままの姿で家を飛び出した。
冷たい空気が肺を刺す。ぼろぼろと零れていく涙が頬を痛いほど冷やしていく。
もしかしたら骸も自分を想っていてくれてるんじゃないかって、思ってた。なのに、まさかあんな風に思っていたなんて。
辛い。悲しい。かなしい。思ってた以上に骸が好き。
「…ぅ」
零れた嗚咽は冷たい空気の中で白い息に変わる。綱吉は何も考えられずにただ走った。
人も車も通らない夜の道で足を縺れさせ、アスファルトに勢い良く転んだ。体を擦る痛さに虚しい気持ちが込み上げて、のろのろと体を起こすともう涙さえ零れなかった。
立ち上がって体を緩く叩くとぼんやりと歩き始めた。鼻の奥で涙の匂いがする。
ふと顔を上げると駅の光りが目の前で滲んでいた。最終電車を知らせる電光掲示板が人のいないホームに寂しげにぶら下がっている。
綱吉はかじかむ指先でポケットを探った。小銭が少ししか入ってない。これでは行ける場所なんて高が知れているし、その先には何もない。
溜息を落とす。もうすぐ最終電車がやってくる。
綱吉はふらりと無人の改札を通り抜けた。
真っ暗な駅は死ぬつもりで駅に降り立った時と何も変わっていなかった。
不思議だなぁと思った。
それなのに今は死ぬ気持ちにならなかった。
怖いからじゃなくて。
綱吉は冷えた自分の体を抱いた。
怖いからじゃなくて、骸の熱が残る体を捨てる気になれなかった。
思ってた以上に、骸が好き。それは、確かな事実だった。
骸にどう思われていても、それでも骸が好きだった。
またじんわりと滲んだ視界の先の小さく電車の明かりが映った。