春は、すぐそこ!

〜前編〜

「最近、あんまり顔合わせないなあ……」

綱吉には、兄がいる。一つ年上の高校2年生だ。
綱吉にとっては、大好きな自慢の兄。

無理だと言われながらも同じ高校を目指し、実際合格が決まった時は本当にうれしかった。
それも、兄と同じ高校に行きたいがため。

なのに、最近は学校でも家でも、なぜかあまり会わない。学校はともかく、同じ家の隣の部屋で寝起きしているはずなのに、どうしてだと綱吉は思う。

生徒会に所属する兄は、朝も早く放課後も学校に残り、いろんな仕事をこなしているらしい。
朝寝坊で遅刻ギリギリに教室に飛び込む綱吉が、朝に兄と会えないのは仕方ないとしても、夜まで会えないのは、兄が部屋にこもってしまうから。

塾など行かなくても成績の良い兄は、その分家での予習復習を欠かさない、らしい。
部屋に入れてもらえないので、それを確かめるすべは綱吉にはない。

「おはなし、したいな……」

自室で、クッションを抱きしめベッドでごろごろしながら、綱吉は隣の部屋にいるであろう兄に、想いを馳せた。

綱吉が、自分と兄が実の兄弟ではないと知ったのは、中学2年生の時のこと。

海外勤務の父親が珍しく帰国していて、母親と話しているのを聞いてしまったのだ。

兄は、父親の親友の息子だったらしい。
確かに、兄は家族の誰とも似ていなかった。

綱吉が、母親そっくりの女顔だったから余計にその差は際立っていた。

綱吉がその事実を知っていることは、家族には言っていなかった。ショックでその場を離れて、結局そのまま聞けずじまいだったから。

綱吉は、兄に昔から憧れていた。なにをやってもダメダメな自分とは違い、すべてを器用にこなす兄。
なのに、兄弟ではないだなんて。

でも、兄弟ではないと知って喜ぶ自分がどこかにいて、綱吉は驚いた。

どうして、うれしいんだろうと考えて、好きなんだと気づいた。
兄弟として、ではなく、一人の人間として兄が好きなのだ、と。

気づいたと同時に、恐ろしくなった。

兄弟であるからこそ、兄と一緒にいられる。兄弟でなければ、なんのとりえもない自分はそばにいられない。

兄弟でよかった。でも、兄弟じゃ好きになっちゃいけない。でも、兄弟じゃなきゃ一緒にいられない。
そんな、答えの出ない迷路のような考えに囚われていた。

けれど、一歩踏み出したくて、想いを自覚した日から綱吉は呼び方を変えた。

『むく兄さん』から、『骸さん』へと。

それは、一人の人間として自分を見て欲しかったから。
弟ではなく、『沢田綱吉』個人として、接して欲しかったから。

男同士と言う根本的な問題は、クリアしていた。

なぜなら、父親の知り合いに同性愛者がいたから。
両親はそのことで差別したりしなかったし、それを見て育った綱吉もそれが当然と思っていた。

だから、問題は『兄弟』という枠だけ。
せめて嫌われないようにと、綱吉が勉学に励みだしたのはそれからだった。

その成果は、兄と同じ高校に行くということが証明している。
なのに、肝心の兄とここしばらく会っていない。

高校に入るまではよく二人で一緒に勉強をしていたのに、最近はそれもない。
近くにいるのに、会えない。会えないから、想いは募る。

「オレ、嫌われちゃったのかな……」

ここまで会えないとなると、故意に避けているのではないか、と綱吉は考えていた。

「ちゃんと、話したい」

綱吉は、深呼吸して立ち上がった。

綱吉は、隣室のドアの前に立っていた。
ノックをしようと手を上げては下ろしを繰り返す。

(う〜、やっぱダメだ! 明日にしよう!)

綱吉が自室に戻ろうとすると、母親が階段を上がってきた。

「あら、ツっくん。ムっくんに御用? ちょうどよかったわ。これ、渡してくれる?」

「え、あ……」

違うとは言えず、綱吉はバスタオルを預かった。

「お願いね〜」

(ええいっ)

コンコン。

『どうぞ』

声を聞いただけで、心が震える。
綱吉は、そっとドアを開けた。
骸は、背を向けベッド上でなにかをしていた。

「骸さん、これ母さんが渡してって」

声をかけると、骸は勢い良く振り返る。

「あ、ありがとうございます。じゃあ」

骸はすぐに立ち上がりタオルを受け取ると、すぐにドアを閉めようとする。
ドアの隙間からはベッドが見え、そこには大きなスーツケースが開いて置かれていた。

「あれ、骸さんどっか旅行?」

「え、ええ。生徒会の合宿があるんです」

「へ〜。そんなのあるんだ。いつから?」

「……一週間後です」

「なにか、手伝おっか? あ、のね、最近あんまりお話し出来てないから……。ちょっとでいいんだ、一緒にいてもいい?」

骸は驚いたように目をみはったが、結局綱吉を部屋に招き入れた。

「久しぶりだ……」

約一年ぶりの、骸の自室。綱吉は、思わず辺りを見回す。

「なにも、珍しいものはありませんよ?」

スーツケースを閉じ、骸はベッドに座った。
綱吉がその隣に座ろうとすると、骸は立ち上がり勉強机の椅子に移動する。

久しぶりに好きな人とふたりきりになれた綱吉は、うれしさに次から次へと話し出した。
骸は、時々相槌を打ったりしてほぼ聞き役に回る。

『ムっくん、ツっくん、お風呂入っちゃいなさい〜』

階下にいる母親から、二人に声がかかった。

「あ、ごめんね。夢中になっちゃった」

「いえ、楽しかったですよ」

「オレも。……オレ、骸さんと兄弟でよかった」

「……え?」

「しばらく話せてなくても、話し始めたらブランクなんて忘れちゃう。やっぱり」

「出て行ってください」

一緒にいると楽しい、と続けようとした綱吉の言葉を、骸がさえぎった。

「お願いです。一人にしてください」

ぐいぐいと強い力で、骸は綱吉の肩と背中を押す。

「む、骸さん、あの、オレ」

廊下に追いやられ、綱吉はどうしてと振り向いた。

「兄弟で、なければよかった……!」

骸の声に、嘘は感じられなかった。

「あ……」

綱吉が、唯一の絆だと思っていたよすがは、その瞬間断ち切られた。

「弟などと、思ったことは一度もない!」

目の前が、真っ暗になる。

「出て行け!」

骸のいつにないキツイ言葉と声に、綱吉はびくりと身体を強張らせた。

みるみる瞳が潤み、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。

気付くと、自室のベッドに潜り込んでいた。母親が様子を見に来たが、寝ていると思ったのかそのまま立ち去る。

綱吉はただ茫然自失の状態で、そんなことにも気付かなかったが。

(兄弟でも、ダメで。片想いも、許されない)

綱吉は、自分の中にある気持ちに整理がつかない。
もうぐちゃぐちゃで、どうしたらいいか分からなかった。

(……好きな気持ちも、涙と一緒に流れちゃえばいいのに)

綱吉は、一晩中泣き明かした。

どれだけつらい夜を過ごしても、時間は流れる。朝日は容赦なく、綱吉の目を焼く。

(目、痛い。のども痛い。……そしてなにより、眠い)

綱吉は昨夜、一睡も出来ていない。
そんな中、学校へ向かって歩いていた。

今朝早く、骸が家を出る音を聞いてから、綱吉は階下に行きシャワーを浴びた。鏡に映る顔は、酷いものだった。
目は腫れ充血し、顔全体がむくんでいる。

母親に、今日は学校休む?と聞かれたくらいだ。

でも、家にこもっていても考え込んでしまうだけだし、それならまだ授業を受けた方がマシだ。
そう考え、よく晴れた、けれど冷たい空気の中フラフラしながら歩いた。

いつもより一時間近くも早くに来た高校は、人気がなかった。
グラウンドや体育館には朝練に励む生徒がいるのだろうが、校舎内はしんと静まり返っている。

とぼとぼと教室へ向かう綱吉に、後ろから突然声がかかった。

「沢田綱吉?」

「え?」

振り返ると、漆黒の髪と漆黒のまっすぐな瞳がこちらを見下ろしていた。

雲雀恭弥。

綱吉は、骸とこの男が一緒にいるところを何度か見かけた。確か風紀委員長。
綱吉は、自分が認識されていたのが意外で、聞き返した。

「えと、雲雀さん。オレのこと、知ってるんですか」

雲雀にとってはその質問自体が意外だったようで、逆に聞き返される。

「沢田の弟でしょ。アイツから聞いてる。なんで知らないと思うの」

「あ、オレ、骸さんに嫌われてるから。まさか、話してくれてるとは思わなくて」

あれだけ泣いたのに、まだ瞳が潤む。

「嫌われてる?」

「あ、はは。昨日、ケンカしちゃったんです。兄弟でなければよかったって言われちゃいました」

「……ふぅん。それできみは、見送りに行かないわけ」

「……見送り? それって、なんのことですか?」

雲雀は、おやと言うように目を少しみはった。

「あいつ、なにも言わずに行ったの」

綱吉の脳裏に、昨夜見たバスタオルやスーツケースが浮かぶ。

「生徒会の合宿って……」

「ふん、そんなこと言ってたの。言っておくけど、そんなのないよ」

「一週間後って……」

「出発は今日だよ。場所は、カナダ。留学するためにね」

(カナダ。外国。オリンピック開かれてたっけ)

どうでもいいことが、綱吉の頭をぐるぐる回る。

「……………………ですか」

「なに?」

「何時の、飛行機ですか?!」

「行くの?」

「行きます!」

「どうして?」

「オレ、ちゃんと伝えなきゃいけないこと、伝えてないんです。
離れるわけないって、甘えてて、オレ、オレ一緒にいたい、離れたくないよ……」

最後は泣き声と混じっていたけれど、雲雀の耳にははっきり届いた。

ぐしぐし涙をぬぐうと、綱吉は雲雀をまっすぐ見る。

「教えてくれて、ありがとうございますっ!」

そのまま走り去った。


あまり速いとは言えないその後ろ姿に、雲雀はため息をつく。

綱吉は、今までないくらいに一生懸命に走った。
小さい頃、近所の子犬に追いかけられた時よりも、必死に。

今から空港へ向かっても、間に合わないことくらい分かっていた。
でも、走らずにはいられない。綱吉の心は、後悔と愛おしさがあふれていた。

どうして、ちゃんと自分の気持ちを伝えなかったんだろう。

どうして、離れてしまう前に骸を止められなかったんだろう。

どうして、こんなに好きなんだろう。

気づいたときには好きで、兄弟でよかったと思っていた。
だって、友達や恋人ならその時限りかも知れないけど、兄弟は一生だから。

家族だと言うことに、変わりはないから。

だから、骸に『兄弟でなければよかった』と言われて、すごくショックだった。
自分が信じてたものに、裏切られた気がして。

(オレ、ダメツナだから、気づかないうちに、骸さんにいろんなこと我慢させてたんだ)

でも、謝る機会すら与えてくれないなんて、そんなのずるい。


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