骸からすれば綱吉が宇宙人だった。



彼は人より間抜けだし手際も悪いし不器用だ。
けれどもそれらを帳消しにして、尚且つ可愛らしく思わせてしまうほど、
彼はいつも一生懸命だった。

本社の人間と関わるのは面倒だからと、
押し付けられただろう教育係に何の疑いもなく収まって、
適当に済ませればいいものを、とにかく一生懸命に親切に教えてくれた。

体よく押し付けられた仕事だって、
嫌な顔もしないで一生懸命で、
でも手際が悪いからいつも仕事が溢れていて、
それでも俺仕事遅いからなぁ、で片付けてしまうお人好し。

見兼ねて手伝った時は、
骸の手際のよさに凄い凄いと惜しみない称賛を浴びせた。

そんなものは聞き慣れていた筈の骸だが、
綱吉の言う「凄い」は真っ直ぐ過ぎて、聞いていると恥ずかしくさえ思った。



骸は今までこんな透明な人に出会った事がなかった。
何色にも染まりそうなのに、決して何色にも染まらない、
そんな芯の強さもあって、気付いたらすっかり落ちてしまったのだ、恋に。



これが骸の初恋だったし、相手が男だから恋だと自覚するまで少し時間が掛かったが、
自覚してからはもう綱吉が欲しくて欲しくて仕方なくなった。

欲しくて仕方がないからストレートに欲しいと言い続けているのだけれど、



愛おしい彼は一向に頷いてくれない。



「残業手伝います。」


「え!?いいってば!六道は自分の仕事しなって。」

「研修期間だから大して仕事なんてありませんよ。」

「じゃあ・・・尚更帰りなって。せっかく定時で帰れるんだから・・・って、人の話し聞いてねーな。」

綱吉の話しを最後まで聞かずに隣の席に陣取ったかと思うと、
システムを起動し始めた。

昼も間に合わないからと言って食べながら仕事をしてるし、
夜も絶対に一緒に食事に行ってくれないのでこうするしか一緒にいる方法がないのだ。

「沢田さん、終わったら」

「行かない。」

「・・・。」

「・・・。」

溜息混じりに体ごと綱吉の方を向くと、綱吉はぴくんと指を引き攣らせた。

「そんなに僕の事嫌いですか?」

絶対目を合わせられない。
だって恐らくあの切ない顔をしているだろうから。

「いや・・・別に嫌いとかじゃないけど・・・」

歯切れ悪く答えると、視界の端で骸が腕組みをしたのが分かった。

「沢田さん、僕の事どう思ってますか?」

綱吉は骸の痛いほどの視線を感じながら、
それでも骸の方は向かずに気まずくふわふわと視線を漂わせた。

「う・・・いい奴、だと、思ってるよ・・・」

「それは恋愛対象としてですか?」

「なぁ・・・!」

骸はいつもストレート過ぎるのだ。

違う、と言っても「諦めません」としか返ってきた事がないし、
実際違うとも言い切れないもやもやしたものを抱えている綱吉だから
どうしても嘘が吐けない。

「・・・六道・・・そういう事言うなら、」

「・・・分かりました。黙ります。」

だからこうやって、あやふやにして話しを逸らすのが精一杯なのだ。

「お茶淹れて来ますね。」

「え・・・あ、」


綱吉を残してさっさと席を離れた骸の背がオフィスから消えるのを見届けてから
綱吉ははあああ、と大きく溜息を吐いた。
その頬はほんのり色付いている。

他にも人がいるのにこうして並んだだけで意識してしまって仕方ないのに
二人きりになんか絶対なれない。
二人きりになって、あの切ない顔で好きだなんて言われたらそれこそ一溜りもない。


断れない自信がある。



飛び込むにはあと一歩、まだ一歩、勇気が足りない。


(・・・でも、キス・・・)

思い出して瞬時に耳の先まで赤に染まる。

うわああ、と隠れるように机に突っ伏した。



今日は綱吉のために茶葉を用意してきた。
綱吉好みの甘い紅茶でも淹れようと給湯室に向かう。

けれど給湯室には先客がいた。

「六道くんの番号まだ訊いてないの?」

(おっと)

骸は足を止めた。

「そうなんですよ〜怖くて訊けないです〜」

「確かに近付き難い雰囲気はありますよね。
格好いいから彼女とかいそうだし。」

どうやら女性が三人ほどで、何やら相談事らしい。
悪い噂ではなさそうだけれど、このまま入って行くと面倒そうなので
時間を置いてからまた来ようと引き返し掛けた骸だったが、
聞き捨てならない言葉に再び足を止めた。


「実は最近沢田さんもいいな〜なんて思ってるんです。」


これは聞き捨てならない。

声の主は若い女性らしいが、声だけでどの子だなんて分かる筈もなく
骸は舌打ちをしたい気分になった。


「沢田くんか〜優しいけど頼りなさそうじゃない?」


出て来い、と言いそうになって何とか堪える。
正座をさせて綱吉の魅力を小一時間ほど語ってやりたいが、
それで綱吉の魅力に気付いて惚れられても大分困るので我慢する。


「でもいい旦那さんになりそうじゃないですか?あたし結婚願望強いから
将来の事考えると沢田さんかなって、」

気が早いとか言われながらも若い女性は言葉を続ける。

「六道さん、結婚とか興味なさそうだし。」


確かに結婚なんか興味がなかったが、
最近ちょうど綱吉と結婚したいと思い始めていたところだ。


「沢田くんはいいパパになりそうだしね。というよりお嫁さんにしたいタイプじゃない?」


それは分かる、と骸は心の中で大きく頷いた。
家に帰ったら綱吉が、おかえり疲れたでしょ?なんて迎えてくれたら毎日がどんなに楽しいか。

今なら彼女たちの話しに入っていけそうだ。
けれど状況は一変する。


「思い切って沢田さんをデートに誘ってみようかと思うんですけど。」


骸は目を見張った。

それは大変困る。
困るなんてものじゃない。
だって彼女は女であるというだけでもうすでに骸より優位にあるのだから。

綱吉が彼女を気に入らないとは言い切れない。

「でも六道くんはいいの?あんなに熱上げてたのに。」

「六道くんはもう高嶺の花っていうか、でも声掛けられたら揺らいじゃうかも。」

気が多いなんて言いながらきゃっきゃと話しに花を咲かせていた女性陣は
一様に同じ方向を見遣ってぴたりと動きを止めた。


「それなら僕にしておきなさい。」


たった今話題になっていた高根の花が、珍しく焦燥感を滲ませて
ね、なんて強引に同意を求めてくるものだから
ぽかんと口を開けて、それでも頬を赤く染めながら
三人が三人とも頷いてしまっていた。



「ね、ね、自分でやるからいいよ。」

「これは僕の趣味なので。」

「紅茶淹れるのが?」

そうです、と力強く言われてしまえば、もう止める権利がないように思ってしまう。
本当は綱吉が飲む紅茶を淹れるのが、趣味なのだが、
そこまで言ってしまうとやらせてくれないだろうから黙っておく。


給湯室に並んで立って、骸の手で淹れた、綱吉のために色付いていく紅茶を眺めている。
骸の淹れる紅茶はとても美味しかった。
自分で淹れてもそうはならないから、やり方だけでも覚えようとするけれど
どうにも具合が分からない。

ふわふわと揺れる茶葉を見詰めて、綱吉は骸に悟られないように小さく溜息を吐いた。

「・・・でもさ、あんまり六道がいるのに慣れちゃ駄目かなって、」

「・・・まるで僕が本社に行ったらもう二度と会わないような言い方ですね。」

そんな顔で見ないで欲しい。
どうして骸がそんなに自分を好きでいてくれるのか分からない。

綱吉は意図的に視線を落とすけれど、骸はじっと綱吉を見詰めたままだった。

骸は自分の態度をどう受け取っているのだろう。

「六道くん、本社の人が来てるよ。」

気まずい沈黙を破って、外から声が掛かったので
綱吉は骸の背中を軽く押した。

「ほら、早く行きなよ。」

どことなく納得していないような表情だったが、骸は給湯室を後にした。

綱吉がシンクの方に体を戻すと、呼びに来た女性社員は綱吉の横に並び立った。

「あのさ〜、沢田くんにお願いしたい事があるんだけど。」

「え?俺ですか?」

部署の違うその女性は、もう随分長い間この会社に勤めている人だが
部署が違うからほとんど関わり合いがないから、
お願い事と聞いて綱吉は不思議そうに首を傾げた。

「うちの部の、六道くんと同期の子がいるじゃない?」

「ああ、はい。」

「あの子がさ、六道くんの事ずっといいって言っててね、」

(あれ・・・)

つくん、と胸の奥が痛くなった。

指先が微かに震えて、自分で自分が動揺しているのが分かった。
そして続けて聞かされた言葉に、指先からじわりと冷えていく感覚がした。

「それでこの間、六道くんに僕にしておけって言われたのよ。」

「・・・え?」

「それなのにそれっきり何もないからさ、ちょっと訊いてみてくんない?
六道くんと仲良いの沢田くんぐらいだからさぁ。
どういうつもりで言ったのかしら。でもそれってそのまんまの意味よね。・・・沢田くん?」

「え、あ・・・」

「やだ〜ちょっとちゃんと聞いてた?」

「あ・・・大丈夫、です。聞いてました!」

「あんまり急いでないけど、なるべく、ね?」

お願いね、と軽く肩を叩かれて、何とか笑顔を浮かべて頷くしか出来なかった。

冷えていく体の感覚だけが、妙に現実的だった。


でも考えてみたら、当然なんだ。
もし本当に骸が綱吉を好きでいてくれたとしても
綱吉は骸にいい返事をした覚えは一回もないし、
それどころか拒否するばかりだったし、
だから骸が他の子に気が向いても仕方がない事で、
それに女の子に気が行くのが普通で、だからきっと自分の事は気の迷いだったんだ。


そう思うのが普通なんだ。


それなのに、鼻の奥がつんとした。


じわりと涙の味が込み上げる。


(・・・でも、じゃあ、朝のメール何だったんだろう・・・)

時間も関係なく送りつけられる骸からのメールは、そのどれもが愛を乗せてある。
それなら同じような事を他の誰かにも言っていた事になる。


ちくちくと痛む胸はやがて、苛立ちが混ざり始めた。



「まだここにいましたか。」

不意に掛かった声にはっとして跳ね上がった手がティーメーカーを弾いた。
熱い湯気を立てて、琥珀に染まった紅茶がシンクに伝って流れた。

「大丈夫ですか?」

火傷しないようにと急いで掬い上げられた手を、反射的に振り払ってしまった。
こんなに乱暴に拒絶された事がなかったから、骸は些か驚いた。


「沢田さん?」

骸の呼び掛けに我に返った綱吉だったが、骸の顔を見たら余計に苛立ちが増した。

「どうかしましたか?」

「別に何でもないよ。」

感情が抑えられない。
そっけなく言って、出て行こうとした綱吉の腕を掴んだ。

「沢田さん、急な話しなのですが、」

綱吉は、頭に血が上るのが分かった。

「付き合う事になったの?」

「え?」

「同期の子とだよ。」

「同期?僕のですか?」


「何でとぼけるの?」

「沢田さん。」

綱吉には骸が話しをうやむやにしているようにしか思えなくて苛立ちを露わにすると、
骸は戸惑いながらも綱吉の両肩を掴んだ。

「どうしました?」

同じ高さで目を合わせられて、綱吉ははっとしたがどうしても苛立ちを隠せない。

「・・・自分にしておけとか、言ったんだろ?」

「え?」

綱吉が何の事を言っているのかすぐには分からなかったけど
同期の子が、という言葉に記憶を辿ると、数日前確かにここでそんな事を言ったが、
綱吉が何故そんなに怒っているのか、骸には分からなかった。

「言いました。」

「言ったんだろ?」

いつもまっすぐに見上げてくる綱吉の瞳は今は伏せられて、骸の方を見ない。
目を合わせて欲しくて沢田さん、と呼び掛けるが、大きな目は更に伏せられた。

「そういうつもりで言った訳ではありません。」

「俺にもそうだったのか?」

「違います。」

どうしてこんなに突っ掛かるのか、こんな状況なのに
もしかして、なんて期待してしまう。

「・・・もしかして、嫉妬、してくれてるのですか?」

かぁ、と頬を染めた綱吉だったが、すぐに骸をきつく睨み上げた。

「違う!じゃあ何であの子にそんな事言ったんだよ!?
あの子の気持ち知っててそんな事言ったんだろ!?」

一度零れ出した気持ちは止められなかった。
本当はそんな事が言いたい訳じゃないのに。


「お前、最低だよ・・・!」


とうとう吐き出すように言ってから、綱吉ははっとした。


骸があまりにも悲しそうな顔をしていたから。


けれど今更謝れない。

綱吉は骸の腕を振り切ると、駆け出した。


分かってる。
骸は悪くない。


この気持は―・・・嫉妬。


自分が素直になっていれば、骸はそんな事言わなかったかもしれない。


(最低なのは、俺だ・・・)


全部骸のせいにして八当たりをした。


今更好きだなんて、絶対言えない。



「沢田、大丈夫か?」

「え・・・?」

席に戻ると、隣の席の同僚が心配そうに覗き込んできた。

「顔色悪いぞ。」

「あ・・・うん、ちょっと、」

誤魔化すように笑って頬に手を当てた。
骸といると、自分の色んな感情が溢れて止められなくなる。

このままじゃ骸を困らせて傷付けるだけだからいっそ、
こんな気持ちは消してしまえばいい。

骸はいずれ本社に行くのだから、それまでは何もなかったようにして
会わなくなれば骸だってきっと、自分の事なんて忘れるだろう。

少し離れた席に骸が戻って来たのが分かって、
綱吉は苦しくなって俯いた。


ディスプレイの端の封筒が点滅した。


すぐに気付いて手が出掛けたけれど、
例えそれが骸じゃなくても、開ける気にはならなかった。

「おい、沢田沢田。」

けれど、同僚が楽しそうに綱吉を小突いてきた。

「これ見てみろよ。」

社内メールの画面を指差されるまま覗き込んで、綱吉は目を見張った。


>誰に知られても構わない。僕は沢田綱吉だけが好きです。


差出人は六道骸。
宛先は社内の全員に。


オフィス内がざわめき立つ。
きっとみんなメールに気付いたのだろう。


綱吉は、小さく息を飲んだ。


「あ・・・俺が告白された事ないって言ったから気遣ってくれたんだ・・・ありがと。
でも、俺も女の子からの方が嬉しいかな・・・」

へらっと笑ってみせると、笑い声が起った。

みんな冗談だと思ってくれたらしい。

けれど、一人だけ、頬杖を突いた骸だけが笑っていなかった。

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