骸はその日の内に同席していた女性達に連絡を取った。
けれど不思議な事に、綱吉の事を知る人はいなかった。もちろん綱吉を男性だと思っている人もいなかったので、骸は特に綱吉の正体を言う気はなかった。

少しつつくと実はね、と言ってみんな話してくれたのだが、あの場にいた女性達は高校の同級生と言っていたが本当は全員、初対面だったらしい。
思い返せば思い出話しには一切触れていなかったし、何となくではあったけど、よそよそしいなと感じたのを思い出した。


そしてみんなこう言った。

知り合いの男にコンパがあるから来いよ、と誘われたと。


そうなると、その男が故意に綱吉をそのコンパに参加させた事になり、綱吉とは知り合いと言う事になる。
なるほど、と骸は心の中で頷く。

けれどさすがにその男の連絡先を訊くのは不自然なので、さり気ない流れでその男の素性を漠然と尋ねる。

男は会社の社長らしい。


それだけでは何も分からないので、骸はコンパに誘ってきた同僚に電話をした。

誰がコンパの主催だったのかを端的に尋ねると、前の会社の先輩が知人に言われて参加者を集めていたらしい。

近付くかと思った男の存在が返って遠くなってしまった。

そうですか、とだけ言って電話を切ろうとしたのだが、電話の向こうで声がした。

『そういえばさ、奈々ちゃんどうだった?』

骸はぴくんと睫毛を揺らす。

『実はオレも可愛いなって思ってたんだよね』
「殺すぞ」
『…え?』
「何ですか」
『今なんか』
「何も言ってませんよ。幻聴とは飲み過ぎじゃないですか」
『え、幻聴…幻聴かなあ』

疲れてるのかなぁと受話器の向こうで呟く声に鼻を鳴らして通話を終えようとしたけれど、まだ言葉が続いた。

『彼女になった訳じゃないんだろ?だったら今度オレにも紹介してよ』

骸の形のよい口の端がぴくりと引き攣る。

「それは無理ですね。彼…彼女はもう僕にベタ惚れで、今日も会う予定ですしね。だから死ね」
『え!?』
「どうしました?」
『え、いや今』
「また幻聴ですか。まだ寝てた方がいいんじゃないですか?起してすみませんでした」

無理矢理話をぶった切って、何が起きているか把握出来ていない同僚を放って電話も切る。

「…」

骸はしばらく考えてから、パソコンの前に座った。

(あまり気乗りはしないが)

そう思いながらもキーボードを長い指で弾く。



午後になると雨はすっかり上がって、青空が広がった。雨後の綺麗な空気の中を骸は足取りも軽く歩く。靴の先がぱしゃりと水溜りを弾いた。

白い雲の流れは少し速くて、骸もそれに合わせる様に足早に歩く。

駅を出て歩いて行った先にはスポーツ広場がある。
緩い坂道を上ると野球場が見えてきて、少年野球のチームが試合をしている。向かいのコートではサッカーをしている社会人のチームがいて、大層賑やかだった。芝生の上では家族連れがシートを敷いてのんびりしている。

骸はランニングコースの上を歩きながら腕時計に視線を落として、満足そうに笑むと、再び足取りが軽くなる。


やがて見えて来たコバルトブルーのトラックに、骸は口角を上げた。


トラックの横には同じ色の自動販売機があって、その扉は開いていた。
ダンボールがいくつも重なっていて置かれていて、ガコンガコンと缶を補充する音が響く。

骸は一層が機嫌よくなって、迷わずにその自動販売機に近付いて行った。

「ミネラルウォーターが欲しいのですが」

開かれた扉の向こうに声を掛けると、慌てた様な音がした。

「あ、はい!あ…でも入れたばかりなんで、そんなに冷えてないですけど…」
「構いませんよ」

コバルトブルーのつなぎを着た作業員が立ち上がる。

「ありがとうございま、」

そして骸を見上げて   の瞳を見開いた。陽に透けるその視界の中で、骸がにこっと笑った。

ぎちりと動きを止めたのは綱吉だった。

骸は緩く顎を持ち上げて笑うと、固まったきり動かなくなった綱吉の手からペットボトルを取り上げて、空になった掌にお金を乗せる。蓋を回して開けた所で、綱吉がハッと我に返った。

「な、え、どうして」
「どうしてでしょうねぇ?」

まったく答える気がない返事をして、骸はペットボトルの水を口に含むとトラックに寄り掛かった。綱吉は呆然と目を見開いたまま骸を目で追って固まったままでいる。そんな綱吉に気を良くした骸が薄く笑う。

「おい、ツナ。手ぇ止めてんじゃねぇよ!」

不意の罵声は運転席から聞こえた。骸も思わずぱちりと瞬きをする。

綱吉が顔色を悪くしたので骸は運転席に目を向ける。ダッシュボードに行儀悪く足を乗せ、運転席に収まっていたのは痩身のスーツを纏い、目深に帽子を被った男だった。
咥え煙草に火を点けてから、骸に気付いて目だけで見遣る。

「何だお前」

そう言ってからすぐに男はにっと笑った。

「あーなるほど。おめぇがツナを女と間違えてお持ち帰りした野郎か」

なぜ知っているのかとむっとしたが、情報源かと思った綱吉が隣で悲鳴に似た声を上げたので骸は瞬きをする。

「な、なんで知ってるんだよ…!」
「オレ様の情報網を舐めんじゃねぇぞ」

綱吉と男の距離感はほとんどなく、親しいのが骸にも分かった。骸はふと面白くない気持ちになって隣の綱吉に視線を落とすが、綱吉は顔色を悪くして男ばかりを見ているので、またむっとした。

「ええ、そうです。彼は僕のベッドの上にいました。朝までね」
「ちょ、誤解されるような言い方しないでくださいよ…!」
「……てめぇの尻の穴の事情なんざどうでもいいがな…」
「何珍しく引いてんだよ…!リボーン!」

リボーン、と骸は心の中で呟いて、緩く笑った。

「君があのコンパの主催で、社長さん、ですね」

帽子の陰でリボーンが眉を持ち上げる。

「まぁその通りだが、何でそんな事を知る必要があった?」
「僕は振り回されるのが嫌いなんです。知らない事があると振り回される」
「それは首を突っ込むからだろ。興味がなければどうでもいいんじゃねぇのか?」

骸はむっと口を引き結んだ。

「興味?いいえ、違いますね。振り回されるのが厭なだけです」

リボーンはへぇ?と楽しそうに言いながらハンドルに寄り掛かった。
綱吉は骸の隣で二人の会話をぽかんと聞いているので、その間抜けな顔に骸は何だか無性に腹が立った。

「お前のせいだ!」
「な、なにが…!?」

怒鳴り散らかした後、骸は怯える様に目をまんまるく丸くしている綱吉を放って、にやにやしているリボーンの視線を避けながら助手席に乗り込んだ。

「え、な、何してんの…!?」

零れ落ちそうな位目を見開いた綱吉を、腕を組んで見下ろした。

「モタモタやっていていいんですか?」

骸はおもむろに綱吉の傍らに積まれているダンボールに視線を落とした。
綱吉ははっとすると反射的に骸の奥の運転席に目を向けるので、骸はまたむっとした。

「で、何なんだよ」

リボーンが面倒臭そうに吐いた煙が骸の目の前に広がっていく。骸は神経質に眉根を寄せて煙を手で払った。

「行きたい場所があるのでそこまで乗せて行ってください」
「おめぇ図々しいな」
「欲に素直なだけです」

綱吉はトラックの外で慌ただしく自動販売機をセットして、ダンボールを潰している。一人関係なさそうなその姿が無性に腹が立つ。骸はじわりと眉間に皺を寄せた。
隣でふと吹き出す呼吸と一緒に煙が吐き出されて、骸は皺を寄せたままリボーンを見遣った。

「いいぜ、乗せて行ってやっても」

面白れぇから、と続いた言葉に骸は面白くないと思うが、腕を組むに留まって、ばたばたと駆けて来た綱吉に視線を落とした。
そして骸が座っているのを忘れているかの様に高い位置のステップに足を置いて、勢いを付けて乗り上げようとしてきたので骸は綱吉の頭に手を翳す。綱吉は骸の掌に頭を押し付ける格好になって勝手にバランスを崩してよたよたするも、また勢いを付けて乗り上げようとした。当然また骸の掌に頭を押し付ける格好になってバランスを崩しよたよたする。

「馬鹿か」

吐き捨てる様に言うと、綱吉はハッとして骸を見上げた。

「うわあ!まだいた!」

骸はすうっと目を細める。

「お前のせいだ!」
「だ、だから何なのそれ…!?っていうか降りないの!?」

つんと顔を逸らした骸に目を丸くしていると、リボーンが面倒臭そうに綱吉の顔を向けた。

「行きてぇ所があるんだとよ」
「え…!引き受けたの…!?」

珍しいなとぶつぶつ言っていた綱吉だったけど、リボーンと骸の刺すような視線を感じてビクンと体を引き攣らせ、顔を逸らしながら助手席に収まった。
横に長い座席は成人男子が3人座ってもまだ少し余裕があるが、綱吉はなるべくドアに寄り添って骸に近付かない様にしているので、無性に腹が立つ。骸は腕組みをして険しい顔をするので、綱吉は眉尻を下げて余計に縮こまる。

トラックは湾岸の大通りをひた走って、やがて入り込んだのは工場地帯だった。一角を区切る大きな門を擦り抜けて、更に走って行く。
一つの街かと見紛う程広大な土地は、それでも建ち並ぶのが非日常的な建物の工場だけだ。大きなタンクローリーとすれ違う。
物珍しい光景にも骸の眉間には皺が寄っているだけで、その刺々しい雰囲気は収まりを見せない。
リボーンが煙草を燻らせれば、骸が眉根を寄せたまま手で煙を払い、綱吉は眉尻を下げたまま煙を手で払う。

「あ、のさー…どこまで来るの…?」

消え入りそうな声で綱吉が呟くと、骸がぴくんと睫毛を引き攣らせた。

トラックは右折して大きな工場へと入っていった。
静かに重心傾むかせながら、骸は綱吉をきつく見遣った。

「ここに!用があるんです!」

言ってやると、綱吉は目をまんまるくして素っ頓狂な声を上げた。

「ここ…!?何で…!?ここはオレの勤め先…ぎゃっ」

骸は手を伸ばしてドアを開けると綱吉を蹴落とした。
べしゃっとアスファルトに体を落とした綱吉の横に足を落として、骸は何でもないように降り立つ。リボーンは二人の様子をまるで気にしていない仕草で運転席から下りた。

「おかえり、ツナ、リボーン。あら?その子は?」

少し鼻に掛かる甘い低音に振り返ると、ゆるゆると水を吐くホースを手にした女性が立っていた。
健康的な腕がノースリーブから伸びている。

「おう、ビアンキ。おめぇのメイク完璧だったみてぇだぜ。そいつ、ツナの事をすっかり女だと思ってたんだってよ」
「あら」

くす、とビアンキが笑って骸を見遣る。骸はむっとするけど、ビアンキはお構いなしに歩み寄り、よたよたと立ち上がった綱吉の頭をおもむろに撫でた。

「可愛かったでしょう?衣装も私が揃えてあげたのよ」
「いえ、特に可愛いと思った訳ではありません」
「素直じゃないのね」
「いてててて」

一際ビアンキの声が低くなり、マニキュアを塗ったその手は綱吉の髪の毛を鷲掴んで引っ張った。

「ほら、どきなさい。洗車するから」

ぺっと捨てるように解放された綱吉は2,3歩よろけて足を突く。骸は腕組みをしたままさっさと移動して綱吉の横に立つと、高圧的に見下ろした。綱吉は不自然な体勢のままぴきっと固まる。

「10秒以内に着替えてここに戻って来なさい」
「え…!?」
「今日はもう終わりですよね」

骸は綱吉にではなく、背中を向けて歩き出していたリボーンに向かって念を押す様に言う。
リボーンは肩越しに振り返ってくく、と笑うとああ、と短く言った。
その対応は面白くないのだが、骸はすぐさま綱吉に視線を落とした。
茫然としている綱吉に、言い放つ。

「10秒以内」
「え、ええ!!いやでも、ロッカーまで5分はかかる」
「10秒以内」

トラックに放水しているビアンキが肩越しに振り返って、くすと笑う。骸はそれを流して綱吉に目だけで早くしろと告げる。綱吉は顔色も悪く瞠目しながらも、駆け出した。骸は腕組みをしたまま、その姿を溜息で見送る。

「なぜ彼にあんな格好を?」

コバルトブルーのトラックに透明の水がぱしゃぱしゃと弾けて光りを散らす。ビアンキはゴーグルの下で緩く骸を見遣った。

「知りたいの?」

骸はふいと目だけを逸らす。

「君の言葉には違う意味がありそうだ」
「そう思うのは、貴方の気持ちのせいじゃない?」

骸は鼻を鳴らしただけで答えなかった。ビアンキはぱちと瞬きをしてからふと笑って、駆けて行く綱吉の背に目を向けた。

「嫌がらせ、かしらね」

骸は怪訝に眉を顰めてビアンキの視線を辿る。
その視線の先で、前を歩いていたリボーンがさり気ない仕草で綱吉に足を引っ掛けた。綱吉は面白いくらい地面を転がっていく。

「二人の事は知らないわ。私はリボーンに頼まれただけ」

投げ遣りでもなくビアンキは言って、またトラックに目を戻した。

「…」

視界の端で水がきらきらと光りを反射する。
その先ではリボーンと綱吉が何か言い合っている。
骸は苛立たしく瞼を落とした。

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